『銀河パトロール隊』E.E.スミス 米華思想なスペースオペラの古典

スペースオペラというのはSFの一ジャンルで、有名どころでは『スターウォーズ』とか『キャプテン・フューチャー』シリーズとか『スタートレック』なんかがそれに相当するんだと思う。SFに詳しくないからそういう風に思ってるんですが、ひらたく言ってしまえば西部劇がそのまんま舞台を宇宙に移したような代物だな。壮大な宇宙を舞台にしためりけん人的エンタテーメントですな。

ところで下流経済の為、イマイチ読みたい本に手が出ない私は、家にある本を片っ端から読み漁っているというのはいつもの通りの日常なのであるが、実家の文庫書棚に古典SFを発見した。父が若い頃に読んだSF小説である。

銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫)

銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫)

書影は新しいものであるが、父の書棚に会った創元推理文庫の表紙は真鍋博というイラストレーターの作品で、彼はいかにも60年代的な「未来」を描く。
この文庫本は字が小さく詰まっていて、科学的な単語が多かったために、幼いわたくしは読む気が起きずにいたのだが、挿画が沢山あり、その不思議な絵に見とれてはいた。つまり「レンズマン」シリーズは真鍋博の絵として記憶されていた。

父は理系人間で脳みそが数式で出来ているとしか思えない、ある意味数学の天才ではあったが、小説などを読むときは西部劇とか時代劇とかエンタテーメント性があるのが好きである。カミュとかマゾッホなんぞにはけして手を出さない。お手軽なカタルシスがあるのが好きなようである。ゆえに池波正太郎とか司馬遼太郎子母澤寛宮城谷昌光とかが書棚に並んでいるわけであるが、それ以外のお軽そうな読み物といったらブルーバックスぐらいなもんだ。ブラックホール理論とか。そのほかは専門書でよく判らん、つまらなそうな技術本だった。
科学知識が豊富で活劇が好きなら当然まぁスペースオペラ好きというんで、こので、『レンズマン』とかバロウズの『火星シリーズ』なんかが書棚に並んでいたのだな。しかも細かいことは気にしないのでハードSFではなくエンタテーメントなほう。アシモフのとか『二重太陽系死の呼び声』なんぞはあったが、ハインラインとか、更に活劇としか思えない『デューン』は何故かなかった。

わたくしは科学脳ではなく、当然SFはよい読者でもなく、時代的に話題になったのをつまみ食い程度にしか読んでなかったので父の書棚のこのジャンルはスルーしていた。つまりスペースオペラなるものがどういうものかとか実は未だよくはわかっていないんだが、この『レンズマン』がそれの典型であるというぐらいは知っている。そういうわけで大変にティピカルな「スペースオペラ」なるものを読んでみる週間にしてみた。

レンズマンシリーズは7巻ぐらい出ていて、『銀河パトロール隊』が有名。
特殊な「レンズ」と呼ばれる精神感応装置を身につけたエリート達が銀河系宇宙を活躍する。敵対するのはボスコーンというどこか正体不明な悪玉である。レンズは純粋思考な存在の銀河における至高者としてあるアリシア人に選ばれた人間しか身につけることが出来ず、他の人間がそれを装着しようとすると死んでしまうという恐ろしいシロモノである。レンズを装着したレンズマンは精神が強靭な社会奉仕意識が強い優秀な宇宙の保安官である。
ただ悪の存在と対決する宇宙保安官の科学冒険物語ってならあまり面白くもないんだが、数多の銀河の惑星の描写などがけっこう面白い。あまりに違う異星人の価値観に出くわしレンズマンが戸惑うとか、異星人がそもそも人類とはぜんぜん構造や文明発達が違うとか、その異星の惑星そのものがあまりにへんてこだとか、そういう描写がこのシリーズの魅力でもある。人類にとっては騒音以外のナニモノでもない街に住む、感覚が鈍いリゲル人の車の運転とかね。訓練されたレンズマンでも青痣が出来まくりである。視覚認識がおかしくなる麻薬の産地の惑星とかもある。このあたりの「へんてこな惑星、異星人」の描写は『銀河鉄道999』や手塚治虫の『火の鳥』にも受け継がれている。

まぁ科学方面の知識はよく判らないのだが、これらのシリーズが書かれたのは1930年代から40年代にかけて。丁度、第二次世界大戦前後である。『アメイジングストーリー』という有名なSF雑誌に連載されていた。この物語でもなにげに登場するんだが『驚異物語』なんて訳されていたぞ。
この物語の中では原子爆弾とか超原子爆弾とかが普通に出てくるんだが、このドーナツ屋の研究所に勤めていたおっさんが広島に落とされる原爆について知ってるということは既に「原爆」というのは当たり前の存在だったんですかね。

まぁ科学的なものが古いとかそういう辺りはよくわからないんですが、物語の設定的に、銀河という広大な活躍をしているパトロール員が「北米」に所属していて、けっこうそういう国籍的なものから抜け出ていないとか、地球人のレンズマンはみんなアングロサクソン系なんじゃねーの?とか、そのあたりに米国中華思想みたいなのを感じたり、優性思想が透けて見えたり、あるいは敵対するのは容赦なくぶっ殺していたり、しかも虐殺としか思えない殺戮をしていたり、「その場で死刑を行う権限がある」とか、太陽を平気として利用する為に一瞬ではあるが太陽のエネルギーを全部使ってしまうとか、人種差別反対とか死刑反対な人権な人とか、平和な人とか、エコな人が怒り出しそうなすごいことをしているんだが、これもあの時代のアメリカ的な発想なのかもです。そこんとこも面白かったりしますね。

ついでに主人公のキニスンってヤツがいかにも体育会系の脳みそ筋肉で、ストレスに置かれるとDVでもしてしまいそうな性格って辺りもすごいなーとか思ってしまいます。マッチョ万歳な時代のアメリカの価値か。日本も軍国主義化ではそんな感じだがアメリカ的な明るさと楽天的な描写でやられると、いやすげーとか思います。あと女性がレンズがなくとも直感的にナニゴトかを理解できる能力がある設定ってあたりが、けっこう笑えた。一応、心理学者ではあるが、女性固有のある種の直感がテレパス的だという作者の認識がどっかにあるのかも。

物語の設定は完全善なる存在のアリシア人という至高の存在的な異星人が銀河における生命体の文明の興亡に関与してきたとか、対して絶対悪的存在のエッドア人もまた何故か地球の文明に関与していたり、つまりまぁ善悪二元論的世界であり、人類のこの意思とは違う超越意思があるという点では、ありがちなキリスト教一神教の発想ではあるが、現代にもそういう設定のSFは多い。よく知られているのだと、FFXIIとか。萩尾望都の『スター・レッド』なんかもそういう設定だったな。ただしこちらは至高存在に主人公達は敵対している。それに比べると実に無邪気に至高者を受け入れているあたりがアメリカのクリスチャン的というか、50年代以前の発想というべきか?
そしてこれは戦争に次ぐ戦争を体験して来た時代の価値かもしれない。

時代的な限界があるとはいえ、まぁだらだらと続く書き方とか、話二勢いがありすぎて話そのものがすっ飛んでるとか、読みにくいこともありますが、やはり古典としての風格はかなりよろしい感じです。

まだあと4巻ほど読まないと・・・。

◆◆

ところで、この物語の中心的モチーフに惑星トレンコで採取できる麻薬シオナイトがあるんだが、『デューン(砂の惑星)』ではメランジとかいうスパイス争奪戦だったな。前者はアヘン戦争的教訓からくるものか。北朝鮮とか未だそんなことしていたわけで。後者はそれとは違って現代に未だにあるエネルギー争奪の光景でもありか。

で、レンズマンシリーズでも鉄を燃料としている異星人が、パトロール隊と敵対勢力が戦争しているところにやってきて、双方の艦を「資源の宝庫だ!」と喜んで漁夫の利を得んと、ただ鉄のみを強奪していくというのがありました。お陰で戦争してる場合ではなくなる。しかも強奪後の残骸を見るとみごとにボルトとか人間の血とかが綺麗に抜き取られている。かなりまぁ笑える光景なんだが、現代の争いはエネルギー争奪になっちゃってるな。

レンズマンシリーズについての謎メモ

本文とも重複するが、謎とかゴーマン思想について備忘しておく

・銀河パトロールは全銀河系宇宙で活躍しているのだが地球は何故か「北米」とか国家が未だに現代の設定である。
・銀河パトロールの財源はどうなっているのであろうか?
銀河パトロール隊を敵対者から守る為に北米の大統領選に出馬している。そんなちっぽけな機関なのか?
・知的生物でないと看做すといきなり奴隷化したり、破壊してもよいと考えている知的生物多すぎ。悪者のみならず主人公側もそうだ。
・なんとかビームとかシールドとかがどんどんインフレ化しているがこれは活劇シリーズのお約束か。
・主人公キニスンは滅法男らしい肉体派万能人であるが病院で休むのは嫌いである。じっと寝ていられず病院を破壊するのも辞さぬ性格で看護婦を罵倒するようである。こんな我儘な忍耐力のない主人公は嫌だが、この時代のめりけん人読者はこれを男性的魅力の一つと考えたのだろうか?
・登場人物は相当うぬぼれたのが多い。物語でもわざわざ指摘はしているが、賞賛合戦とかもしていて微妙にうざい。
・惑星そのものを要塞化ししかもそれを移動させてくるっていう敵の兵器があるんだが、それが破壊されたときのその空間の質量とかバランスは大丈夫なのだろうか?他人事ながらその近辺の星系の環境変化を憂慮する。
・本文にも書いたが太陽エネルギーを全て用いて破壊する手段というのは、地球環境等には優しくないと思うがどうだろうか?
・女が少ない。でも、三国志でもそうか。
・東洋人が全然出てこない。まだ読んでない巻に出てくるかな。
・キニスンはほとんど個人的復讐の為に車輪人間基地をぶっ壊しに行ったとしか思えない。いいのか?それで?

まだあるかも。