海の道の音楽 サロードと三線と

8月も終りの日でございますね。明日からガッコがはじまるので憂鬱なお子様もおられることと思いますが、島では8月の末日の今日は町議の選挙で盛り上がっていた模様。
わたくしはというとなにやら忙しく、それは何故かといいますとお客様がいらしていたからなんですが、今回のお客様はミュージシャン。それもなにやら見たこともないへんてこなインド楽器をひっさげて島に下り立ちましたよ。

インドの楽器サロードと沖縄の三線をぶら下げて来島したコウサカワタル氏は、北海道で青森出身の父と台湾出身の母の元に生まれ、幼少時代を沖縄で暮し、沖縄の小さな島世界に息が詰まると自ら中学を受験、島を飛び出し、親元を離れ埼玉のガッコに中高に通っていたという早くから自立していたお子様だったらしい。んでもってその後シンガポールに暮らし、沖縄に舞い戻ってきた、まぁルーツも暮しの拠点もアジアのこの列島を自由自在に動き回るようなそんな様子だった性か、故郷といわれても、北海道の白樺も沖縄のヘゴも故郷の光景で、何処だか判らん状態。そういう彼の「音楽」は北海道からシンガポールを通り越し、インドに至る海の道の過程の中にあるという。ローカルに固定されないような、しかしアジア全域に共通してあるような精神性の「音」というものが自然に彼の求むる道となったのかもしれない。
インド北部の宮廷音楽、ヒンドゥスターニー音楽で用いられる楽器サロードは15弦の弦楽器で、旋律の弦と共鳴音の弦を持つ、たいそう華やかで豊かな奥行きの音を持っている。インドの弦楽器はそれ自体でオーケストラに匹敵する音の広がりがある。残響する、共振する音が、旋律に陰影を与えていく。フレットのないネックはサロードに固有のもので、その為、音が固定されず奏者はかなり高度な耳の感度を必要とするが、そこで紡ぎ出される音は、中間色の彩りがあり、アジア的なあの不安定で曖昧でカオス的であるが秩序がそこにあるような、つまりまぁ大層フラクタルな旋律である。

コウサカ氏にとってこのサロードとの出会いはたいそう運命的な出会いでもあり、サロードを知っていたからそれを手にとったのではなく、すでにコウサカ氏の「音楽」が先にあり、その音の再現にもっとも適した楽器がサロードだったという。だから古典的なインドの音楽の再現でも応用でもなく、彼が成長してきた過程で育んできた内面にあった音楽を表彰させる為に弾く。ゆえにインド的な音を持つこの楽器のそのインドの伝統が生み出した完成された音でありながらしてコウサカ氏の音楽になっている。
それはコウサカ氏が奏でる他の楽器、アコースティックのギターも、三線も、同じであり、それぞれの特性を弾きだしながら、尚、コウサカ音楽であったりする。それは数多の故郷を持ち、その数多の文化の中で己という揺るぎなきものを獲得した彼の生き様そのものの音であるのだろう。

・・・・・・・・・・・という、コウサカ君のミニライブを夏最後の今晩、レストランアマンでやったんだな。いやぁよかったよ。島贅沢だよ。
コウサカ君のライブ姿↓

コウサカ君は6月に一度島に来て、ライブをやったんだが、アマンのおかみさん、お慶さんが、ソロライブで静かに聞きたいと、「是非良かったらうちで」とコウサカ君といつの間にやらライブの約束をしたらしいんだな。そういうわけで島に来てくれたのだ。奄美でライブがあってその帰りに寄ってくれたという按配。
我が家の客間が空いてるんでよかったら、どぞ〜。というわけで、我が家を拠点にして、アマンでミニコンサートと相成ったいう次第。

今朝は朝から我が家の居間でチューニングしてました。

小さなお店は満員御礼状態。旅で島に拠ったお客さんも来てくださって、賑やかでした。コウサカ君はリハーサル中に早速自分の演奏姿をカメラに納めてブログにアップしてましたよ。つーか、私が撮らされたんだけどよ。
ブログに送信中のコウサカ君↓

コウサカ君のぶろぐ↓
http://blue.ap.teacup.com/applet/nippyon/20080831/archive

コウサカ君のライブ曲は三線サロードとギターを持ち替えながらどんどん弾いてまして、サロードでは伝統的な奏法としてのつま弾く他に、弦を用いて弾く(を?ジミ・ーペイジか?!)という独自の演奏法を用いた曲も披露。三線はシンプルな沖縄の音楽と、んでもってサロードでそれを更に変奏して展開。という按配の「てぃんさぐの花」サロードヴァージョン。ギターは、おお、こいつはニール・ヤングぽいっつーか、ブルースっぽいよ、んだが実は沖縄の伝統音楽だよという「唐舟どーい」まで、とにかく様々な表情の音楽と、曲ごとに三種の楽器の弦を自在に操るんで、飽きないです。いや、アコースティックギターのチューニングをアジアン風味に変えるだけでこんな音が出るんですねという魔術をみたり致しましたね。微妙な歪みがニール・ヤングっぽいのかもにょ。津軽三味線にも通じるよね。

そんな贅沢な夜の締めくくり。
家に帰り着いて庭で満天の星の下、ごろんと芝生に転がって茶をのみながら話をしていたら、天空を沢山の流れ星が長い尾を引いて横切っていった。

贅沢な夏の夜の終りでありました。

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コウサカ君のライブ情報はここ↓
http://www.myspace.com/watarukousaka

主に沖縄が多いけど、9月には三軒茶屋で、そのあとロンドンとベルリンでライブ。再び六本木でライブと、結構忙しいようです。お近くのライブハウスにコウサカ君が来たら是非行ってください。かなり贅沢な音のひとときを愉しめますよ。

CDはインディーズで出てます。こんなのとか↓

シケ ヌ チュラ サ

シケ ヌ チュラ サ

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コウサカ君滞在中、ずっと音楽と弦楽器の講義受けておりましたね。

インド音楽の持つ完成された洗練された音世界の話から、弦楽器の発達史とか、それぞれの地域が生み出した音楽と、思想の関係性とか。かなり面白かったですよ。非常に繊細で情緒に訴えかける音を奏でながら理論がしっかりしているんで、やはり音に揺らぎが無いんでしょう。すごいなーとか思いましたね。
こういう揺らぎのなさってのは、げいじつでは重要な要素ですね。びじつでもそうなんですが、自分の立ち位置を見極めとかなきゃいけないんで、どこかではやはり理性で己を捉えておかにゃいけない。宗教なんかでもそう。

で、ピアノは音痴な楽器だとか言っておりました。音が自在でなく、やはりアレは近代の合理性が生んだ楽器だとか。中間域がない。それは西洋のフレットを持つギターでも同じだそうです。音がずれちゃうんだそうですよ。私のごとくぼやっとした人間にはよくわからないんですが、耳が優れた人にとってはピアノのように音が固定された楽器は、まぁ256色くらいのぱそ画面でモノ見てるみたいで、サロードみたいな複雑な音を出すのは何万色もある現代のパソ画面みたいなものかもです。
ヴァイオリンのような弦楽器はオーケストラを前提に作られているんで音に限界があるとか、近代という工業化された文化から出てきた楽器だと。成程。

んで、日本では日本固有の独自な庶民の「音楽」が誕生したのは実はゲーム音楽だそうだ。それ以前の音楽は「音楽」ではなく「音を愛でる」ものだったんだそうです。日本の伝統的な楽器は「謡い」があって音があるという隷属的な存在でもあったというか、つまりそういうわけで自立した「楽器の音楽」はゲーム音楽のジャンルで誕生した電子音楽だそうです。
ゲーム文化はすごいなぁ。ゲーム脳とか言ってるヤツにゲーム音楽者達の爪の垢でも飲ませた方がいいと思われ。