落書き馬鹿を監視する社会 *イタリア落書史、追記あり

イタリアはフィレンツェ。サンタ・マリア・デル・フィオーレといえばブレネレスキが設計したクーポラで有名な大聖堂。でか過ぎた聖堂をうっかり作ってしまい天井をかけることが出来なくて当局を大変悩ませ、ブレネレスキが解決するまでの何十年かは天井が無かったよな豪儀な建築史をもつ。

それが世界遺産に登録されてるのは当然であるが、そいつが落書きだらけで大変だとか日本で話題になっているらしい。

高校野球監督も落書き? 伊の世界遺産 茨城県高野連調査へ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080629/crm0806290124002-n1.htm
イタリア・フィレンツェ世界遺産に登録された地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に日本人旅行者らが書き残した落書きが相次ぎ問題となるなか、水戸市の私立常磐大高(浅岡広一校長)の硬式野球部監督(30)が大聖堂の柱に書いたとみられる落書きが見つかり、県高野連が調査に乗り出したことが28日、分かった。同校野球部は7月5日から始まる第90回全国高校野球選手権県大会に出場予定。県高野連は30日に、同校や監督らから詳しい事情を聴く。
中略)
 大聖堂の落書きは今月になって相次いで発覚。研修旅行で訪れた岐阜市立女子短大の学生が今年2月、大聖堂の見晴らし台の大理石の壁に、油性ペンで学校名の略称や自分と友人5人のニックネームを落書き。また、京都産業大学の学生3人が3月、観光で訪れた際に大聖堂の柱に名前や学校名などを油性ペンで落書きした。

世界遺産というか、フィレンツェ人たちの心のランドスケープな大聖堂に落書きするとは。フレンツェ市が赦しても私が許さん!
・・といいたいが、ずっと以前からこの聖堂落書き多かったんだよね・・っていうか、イタリアって世界遺産級の遺物がごろんごろんしていて、ルネッサンス期の壁画なんかも下方に落書きががりがりされているのとか多い。イタリア人は民度が低い。。じゃなくて世界中の民度の低い観光客が落書きするのか。手元にあるイタリアンフレスコのチマブーエの絵にも VIVIANとかRAPHAELOとかREGINAとかガリガリと名前やら言葉が大量に刻まれていて無慚なのがある。中には写本文字並の落書きまであって、落書きな人の美意識を感じたりする。まぁ酷いもんだ。ヴィヴィアンとラファエロと鳩(レジーナ)も訴えるといいと思う。
有名な落書きといえばローマのドイツ人の落書きだ。
1527年 ローマは神聖ローマ帝国軍によって蹂躙される。この時ローマに大量のドイツ人が押し寄せ、ローマの町で傍若無人の振る舞いを為す。世に言う「サッコ・ディ・ローマ(ローマ略奪)」である。
ローマ市民達の屋敷が破壊に遇い、多くの市民たちは殺され、女性達は陵辱され、そして財産は強奪された。ルター派の多かったドイツ兵達はカトリックの総本山サンピエトロや教会にも襲いかかり、多くの教会が破壊された。敵対教派ゆえの容赦の無さに加え、どうも給料の払いが悪いとか色々兵士達に不満があったのが原因で暴走したようだ。聖地で暴れまくった十字軍はカトリックが送り出したわけだが、因果応報という奴か同じ目に遇ったというわけだな。ミケランジェロは当時システィーナの壁画を制作していたが、この礼拝堂はドイツ軍の兵舎となった。其の時この礼拝堂はドイツ軍兵士達の落書きで満ちあふれたそうだ。また、この時の落書きがファルネーゼ家の壁画で見ることが出来る。だまし絵の間にそれがある。
にしても、ローマという街は落書きが多いイメージがある。

落書き好きの皇帝というと乾隆帝。貴重な文化財である書画骨董に自分のサイン書きまくり、ハンコ押しまくり。
其の中国も落書きが多くて、唐代に作られたという石仏が落書きだらけですごい有様になっていた。こんなもんを自慢気に観光客に見せるんじゃねぇっていうぐらい酷かった。
遺跡がごろごろし過ぎている国はどうも落書きに無頓着なのだろうか?

まぁこれを以て、だから落書きぐらい大目に見ろよなどとは言わないが、というかモノ作りなわたくしとしては、落書きとかされたくないなとか思うわけで。ただ、密告社会みたいなことになってるってなんか嫌な気分ではあるなと。まぁこれを教訓に各自、落書きは恥ずかしいんでやめようねと自覚するがよいとおもわれなのです。略奪ドイツ人も乾隆帝もあの世で反省するように。


そう言えば上記記事の末尾に勝谷さんとかが意見を寄せていた。

コラムニストの勝谷誠彦さんの話
 「誰でも簡単に海外に行ける時代で、『そこに行った』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、落書きという安易な方法をとる。実名まで書いてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に1つだけの花』と思いこむ人間が増えて、そこに自分という存在が残ったと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。野球部監督も、もし落書きをしていたとしたら、そうした1人にすぎないということ。立場があるのだから、きちんと謝ればいいこと。辞任だとか、重い処罰を受ける必要はない」
社会評論家の赤塚行雄さんの話
 「昔から相合い傘の落書きが街角の壁にあるなど日本人は落書きに対して割と寛大なことが底流にある。落書きといっても汚い言葉を書くわけでなく、記念写真を撮る感覚で証拠を残したいという軽い気持ちから書いている。だが世界の歴史的建造物となると意味合いが異なる。外国では宗教が教育の中心にあるが日本は違う。かつての日本では『修身』が、モラルを示していた。勉強だけできればいいという現代社会の歪みがこうした問題を起こしているのかもしれない

イタリアのほうが寛容だと思うが・・・。略奪ドイツ人は勉強だけ出来ればいいとは思っていなかったと思うし、ヴィヴィアンちゃんもラファエロ君もたぶん宗教教育は受けてるかもしれない国の人だと思う。
乾隆帝は自己愛が暴走している人だとは思うけど。

出典が産経なのであれゲな方向なんだろうが、何故に「日本人は・・・」などというのか?何故に現代の病理にしたがるのか?そっちの謎心理のほうが不可思議だ。何故日本の昨今の言論人はこのような文法を使いたがるのか。憂国するにも程がある。


しかし日本のポピュリズムはどんどんピューリタン化しつつある。
これってどうなんだろうか?たしかにどんな場面でも倫理面で言えばそれが正論である。嫌煙人達の主張も、馬鹿げた言論を弄する某教授への批判も、失言する政治家の駄目言論問題も、どれも「これって間違いじゃないか」と言われたらそうだとしか言いようがないが、しかしおおらかさがない社会ってのは嫌だななどと、特に最近思いたくなるような現象が多くなってきた。
◆◆追記
アメリカの聖書学者にしてアングリカンの牧師(神父?)ドクトル・マルクスが、我エントリ読んで、トリビア書いていたんでご紹介。
○Comments by Dr Marks
http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20080701
■ コメントにならないコメント−13 (1. 映画を観る東大の授業、2. パウロは還暦前に死んだか、3. イタリア人は落書き屋の元祖)

猫猫センセのエントリとわたくしのエントリへの返歌。

専門家に29日のWじじぃネタ読まれたのは恥ずかしい。専門家だけあってパウロの誕生年を何故にローマ・カトリックは8年とした?という疑問を早速。8年の根拠について回答出来る方はマルクス博士の疑問に答えてもらいたい。因みにダークフォースに満ちあふれたような風貌の教皇ベネディクト16世は「歴史家はパウロの生誕を紀元7年から10年の間としているからです。」と申しているようですよ。まぁなんとなく「真ん中ぐらいでよくね?」位の程度だと思います。ただしレイモン・ドブラウン師の設定から更に絞り込まれているのでその辺りは何故?誰がいってるの?なのはありますね。
出典↓
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/2008/pauline_year.htm

で、落書きネタでも新約聖書の背景の時代だけあって詳しい。マニアックなローマ時代の落書き事情がぽろっと紹介されている。
そういえば密偵ファルコシリーズで、ファルコは自分の仕事の広告を壁に書いていた。他人様の家の壁に広告を書くのだな。まぁ「××参上」というような自己顕示ではなく、掲示板としての役割を各ご家庭の壁がシチズンに提供していた社会だったということでしょう。こういう公共性の精神のせいか、落とし紙的落書きで有名なのは政治批判が貼り付けられるという彫像もある。パスクィーノと呼ばれるその像は16世紀の口の悪い靴屋の名前からとられたらしいが、この親父、彫像に政治風刺、教皇庁批判なんかを紙に書きつけ貼っておいたらしい。それが評判になって、ローマの人々は風刺落首を彫像に貼るってのが流行になったようだ。一種の掲示板。つまり今で言えば2ちゃんねるのようなことをルネッサンス期のローマ人がしていたのだな。彫像はさしずめニュース板という按配か?
この習慣は現代も残っているようで、このパスクィーノの像には風刺の詩なんぞが貼り付けられるそうだ。

落書きも公共的なものは面白いものがある。
・・・がこういう風潮があるからローマなんぞは落書きに寛大というか、落書き多過ぎなんでなんとかしろ。あと道のごみ汚過ぎ。でも、そういうローマってなんか好きだ。いいかげんが好きだ。

そういえば猫猫センセで思い出したが、喫煙についてイタリア人はだらしがなかった。ナボナ広場のバールで灰皿下さいといったら、この地面が灰皿だ!といっていた。見ればみんな地面にたばこを捨てている。とにかくどこでもぷかぷかしていて、禁煙とかかれた飛行機内でもぷかぷかとやるのでアリタリアの機内は臭い。特に国内線。煙草に顔をしかめるのはアメリカ人と相場が決まっていて、このアメリカ人旅行者どもは態度でかくて行儀が悪い。イタリア人はこういう行儀の悪い態度のでかいアメリカ人を嫌っていたが、そういう奴等がイタリア人の煙草に顔をしかめている光景ってなぁ・・・と思った。
そのイタリアも今は公共の場では煙草禁止らしい。新自由主義的なるものの拡大と共にアメリカ的ピューリタニズムも輸出されているようだ。

ところで件の落書きは公共的なものでなく、自己顕示的な自己愛という指摘はその通りだと思うが、そういう「名を残す」文化は日本でも伝統的にあるよ。千社札とかね。シール形式ではない昔ながらの方法の千社札なら建物にも優しいと思われ。

続きはこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080701/1214924043