言の葉による呪 昨日エントリの訂正

昨日わたくしは言語に縛られるということを書いた。言葉とは名辞する存在である。名付けるという行為は呪であり、祝である。
神はこの世の創造を言葉で以て為したとはヨハネの言であるが、創世記では人間は名付けをする仕事を先ず神から与えられている。旧約新約通じて、言語は非常に面白いポジションにある。ユダヤから派生したキリスト教イスラム教というのはかようにロゴスというものにどこか敏感である。同様に東洋も中国、日本など、言語というものに一種の畏れ以て接してきた文化である。陰陽道なんかではそういうのが漫画とかでもぺろっと語られたりする。

で。昨日の芸術エントリで恐ろしい話を紹介した。これ↓
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080517/1210995987

わたくしの認識に対する間違いについて指摘したトラバをくださった方がいた。
○atkonthenetの日記
http://d.hatena.ne.jp/atkonthenet/20080518/p2
■それがひどい

ようはわたくしが佐藤センセの文を誤読し、その誤読結果で恐ろしいと激しく勝手にぶるぶるしていたのだな。
つまり、馬鹿質問者は新聞社のジャーナリストで、文芸誌の編集関係ではない。

それだと全然恐ろしくない。新聞社ってのは既にある時からどうも文芸関連は衰退した感じがしていて、見限っていた。だから「ありそー」とか流してしまう。恐ろしくもんともない。

わたくしが恐ろしいのはわたくしがこよなく愛する書籍世界にそういう馬鹿が蔓延することである。
文芸の編集は概ね読書家が多く話が面白い。知識人が多い。国書刊行会の編集さんなんか身も知らぬ一読者の問い合わせの電話にいかにユイスマンスをこよなく愛すかを感じるがごとき返答をしていらしたが、すごい出版社だと感心した覚えがある。青土社の編集者もオタク的に青土社系の怪しからん分野に萌えていて、こういう人達が社の個性を支えているのだと感心するのである。大手出版社も体力があるゆえに、編集さんは様々で、こだわりを持っている人に出会うと嬉しくなる。ただ昨今、それが怪しい感じがする若い編集もぽつぽつと増えてきて、がく然とすることもタマにある。特に大手出版社は漫画部門なども抱えているので、そっち方面に深いが文芸には疎い人などもいるので仕方がないとは思うが、大手は一応あちこち就かされるので本意な場所に居れるとは限らない。出版社はそういう感じで、トーハンの呪いの元に編集者が泣く泣く仕事をしてる場面などもよく聞くが、とにかく編集現場の人間の、書に対する愛着はそれぞれの分野で利害を超えた何事かを己に持っている。ゆえにその場にいきなり消費社会的合理主義者がいたり、文芸代表としてくるなんて光景は終末的光景なのである。

そういうわけで、朝っぱらの寝ぼけた頭でパソを立ち上げ、佐藤センセのブログが久しぶりにアンテナ上位にあったのでぽちっとなと押した。んで、寝ぼけ頭にそこに飛び込んできた「恐ろしい話」という「恐ろしい」という言の葉に呪縛されたのだな。わたくしが恐ろしいと感じるのは上記の終末的光景である。そういうわけでどんどん誤読したという按配である。

言の葉の呪とはかくも恐ろしいのである。
正直、atkonthenetさんが呪を解いてくださらなかったらずっと打ち震えていただろう。己が愛する世界の終末にいたづらにおびえておったりしただろう。

発信者が言語芸術世界の鉄人佐藤亜紀ということもあり、その言の葉の呪のかかりっぷりは激しかたっというか、ご本人の文書すっ飛ばしてタイトルだけで世界を描いていってしまう。

こういう誤読ってネットでよくあるね。
誤読の呪から解かれるには己を謙らせ、虚しくするしかない。間違いは間違いだと即座に反省する必要性がある。なんでけふは昼間っから反省した。

かくいうわけで、関係者各位にはご迷惑をおかけました。ここに謝意を表明しておきます。



あとオルハン・パムクさんはオルハン・バムクさんではなくオルハン・パムクさんです。これもご指摘ありました。
違いが判らん方は文字を拡大してみましょう。これ、よく間違えちゃうというか判っててやっちゃうんですよ。
なんかつい「バムクさん」って言いたくなっちゃうんだよね。なんでだろう?