沖縄に行った話『ナツコ沖縄密貿易の女王』奥野修司 沖縄女傑

昨年、島のイタリア料理店の壁画を描いた。店長夫婦の小粋さに感銘してボランティアのつもりでやった仕事だったが、そのお礼にと以前から行きたいようと言っていた美ら海水族館に連れていってもらった。なんとも却って高くついてもうしわけないことだったが、有り難く受けることにした。
与論島から本部までは船で2時間。辺戸岬は島から見える。西に浮かぶ伊平屋を見ながら南下し、本部島と伊江島の間を抜けると本部港がある。
目前に迫る伊江島第二次世界大戦終結の年、激戦の地となった。平べったい島の中央に聳えるただ一つの山は奇妙な形をしているのだが、米軍がありったけの砲弾を撃込んだからだという都市伝説があるほど、その時の攻撃がいかに苛烈なものだったか、今となっては想像するしかない。この島にいた日本人は軍民間問わず参戦し、女性までもが竹槍を以て応戦し、散っていった。軍兵士2700人、住人1500人が死んだという伊江島は我が島とほぼ同じ大きさである。
対岸の半島、本部の港もまた爆撃を受けている。
そんな土地にのほほんとやってきたわたくし。戦後しばらくは死体が累々とあり、白骨が転がりまくっていたという海岸にも、寂れまくったつまり失敗に終わったと言われる海洋博公園にも戦争の面影はなく、ちゅら海〜♪とか言いながら水族館に向かったです。
まぁ水族館はいいよね。魚が沢山いてさ。1日いても厭きないです。ジンベイザメとかマンタとか、でろんでろんと泳いでるし。いいねぇ。こういうの。旨そうな魚が大量にいるしね。深海の怪しげなのとか毒なのとか色々。毒な奴等は近所の海にうようよいるんで覚えておこうと思った。そういえば先日の浜下りではオニヒトデを真っ二つにしてやった。サンゴを食い尽くす悪いヤツである。こいつもご丁寧に毒がある。ガンガゼもいる。
こういうふうに日本中の水族館に行きたいぐらい好きなわりには実はあまり行ったことがない。江ノ島水族館にも、葛西臨海公園だかにある水族館にも。こういうのはスゲーとか騒ぎながら見るのが好きなんで誰か付き合ってくれんかといつも思うが、水族館好きの友人がいない。こういう時、子供を持ってないのはつまらない人生だったなとか反省している。そういうわけで女将さんのお慶さんとすげ〜とか騒ぎながら見ていたよ。
その後、今帰仁グスク跡に行った。偶然行った。おや?世界遺産じゃん?ってな感じで行った。ほんとに城の跡があっただけの世界遺産だった。マチュピチュみたいだとかお慶さんが言っていたが、マチュピチュの方がすごそうな気がするけど、城壁のうねうねとした様がなんとも好きな造形である。いいところであった。
で、沖縄蕎麦食ったり、島では買えない備蓄用の外側の堅いパンを大量買いしたり、メリケンヴィレッジだか言うとこで米軍の放出品の安いジャケット買ったり、Tシャツ買ったりして、タコライス食って一日が過ぎた。いかにも観光客な沖縄な過ごし方であった。沖縄をこんな風に観光したことがなかったので満足である。なんせ沖縄には実はかなりの回数行ってるのに「観光」したことなかったからな。感動するよ。もうね、糞じゃまな米軍の嘉手納だったか普天間だったかの基地まで、観光な目には異国情緒溢れる的に麗しく見えてしまうからなぁ。駄目駄目である。
反省して、沖縄戦の教科書を買ったはいいが、これがまた糞つまらないというか、写真はすごいんだが沖縄戦と関係ないだろうというような資料まで載っていて全然使えない資料であった。半分は沖縄と関係ない戦争記事で、南京とか、劣悪な捕虜収容所とか、馬鹿げた太平洋上の作戦とか、従軍慰安婦とか、揚げ句、東洋のマタハリ川島芳子とか関係ないでしょうよ。な記事満載。つまり沖縄戦ではなくて単なる反戦教科書であった。反戦精神はまぁいいのだが、表題と違うのは詐欺である。このようなだまし討ちをするからサヨク運動家は嫌われるのだなとか思ったが、これはむしろ敗戦国民日本人を、この書によってとにかく敗戦根性たたき込み、完膚無きまでに自信なくさせ、アメリカ様に隷属させ、食う寝るなどの面倒は全然見ないけど、奴隷化しますよ教育本だなとか思った。戦争した日本という国がいかに激しく馬鹿で低俗で残忍で駄目駄目だったかを波状攻撃でされたら、「反戦野郎な平和主義の売国奴共め!!!氏ね!」などと反発してしまいますよ。沖縄戦で沖縄がいかに大変だったかを知りたいと思って手に取る、反戦的で謙虚な気分になってる人間に対して、これでは逆効果である。アイディンティティの所在とはかくも難しいものなのである。
淡々と沖縄戦について記述していた方が遥かに反戦根性が身に付いたのに。企画失敗だな。
そういうわけで滞在中は沖縄の人々がいかに戦後大変だったかを学ぶ為にこげな本を読んでいた↓

ナツコ 沖縄密貿易の女王 (文春文庫)

ナツコ 沖縄密貿易の女王 (文春文庫)

rice_showerさんに紹介してもらった書。読破。

沖縄では密貿易が盛んだったらしくてこの書で紹介された女性夏子は女だてらに男たちを使い、激しく儲けたらしい。戦後の物資不足の時代、闇で儲けた人は数多くいた。沖縄は米軍統治下で島同士の行き来もままならぬ中。米軍の目を盗んで、豊富な米軍の物資を横流しして儲けたらしい。交易先は台湾。本土。特に夏子は台湾や神戸の華僑とのつながりを持ち、驚くほどの財を得たようだ。しかしそれを自ら浪費するのではなく、今でいうベンチャーキャピタル的に、事業を興したり仕事を始めたいと思う島んちゅに貸し与えていたようで。しかもほとんど返済されなかったようなんで、慈善事業みたいなものである。
こういうことを30歳ぐらいでやってのけたというから驚きで、写真を見ると、ほんとに若々しく、あごで海の荒くれ達をこき使うような風貌にはとても見えない。しかし、沖縄人固有のきりっとした彫りの深い顔と一直線に結ばれた口とが強さを感じさせる。

沖縄のこの時代の歴史は必ずしもケーキ(景気)ばかりではなかったとは思う。本島のように軍の遺物やら米軍の豊富な物資がある土地で、ズルをする度胸があるなら、そして命を落とす危険の高い海へ漕ぎ出していく度胸があるなら儲けることも可能だっただろうが、概ねの一般的な市民はそうもいかなかっただろう。生産手段はことごとく破壊されていた。また、本島以外のなにもない離島の暮らしぶりは相当だったに違いない。与論島などは相当悲惨だったという話は聞く。アメリカは本島以外の島には全然興味がなかったらしい。更に統治する司令官は室の悪いのが送られていたらしく、琉球という地域自体が見捨てられた土地でもあった。よーするに米軍的には左遷地域。ゆえにまぁ米軍物資が横流しされていても無頓着であったのかもしれない。だがそれが不可能な島々の人々は苦しかっただろうなとか想像してしまう。

ただ、海洋の民の風通しのよさはボーダーを越えていく。前線である与那国は台湾との交易で激しく潤っていたともいう。与論島は沖縄まで本土から運んだのかは知らぬが牛を運んでいたとか、まぁとにかくこれらの島々は交易路となったようで。この時代の八重山なんぞはもうほとんど台湾であったし。国境ってナニ?的な自由はあった。新自由主義の先駆け的な夏子はしかし歴史の中に埋没していく。彼女の記録はほとんどない。奥野がよみがえらせなければそのまま消え去ってしまったかもしれない。

こんな女性を産み出した、沖縄という土地の不思議さは、今や亡くなりつつあるかもしれないと本土資本の巨大なホテルが海岸沿いに林立する様を見て思ったりもしましたよ。

因みに泊まったホテルのほど近くには彼女が当局に目をつけられた時、潜伏していたという港町があった。与論島の中心街にもよく似た小さな集落だった。

一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet
本日のブクマ
【コラム】中国がチベット問題を解決できない理由 | Chosun Online | 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/article/20080412000051
http://www.chosunonline.com/article/20080412000052

朝鮮日報が中国を分析中。