浅田次郎二点『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』清朝没落絵巻

浅田次郎新田次郎ではない。字面で間違えそうになるが、ぜんぜん違う。つーか間違えそうになるわたくしがおかしい。

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴』は単行本で二冊、文庫で四冊という長編である。実は浅田次郎という人はこれ以外読んだことが無く、どんな作家か全然知らない。家に転がっていたこの本を読んだのはすごい昔なのだが、大学の同僚が最近出たこの小説の続編的な『中原の虹』まで読んだ。面白かったなどといっていたので、家の中を探して発掘してきたこの本を読み返してみた。
本書の舞台は清朝末期。西太后と光緒帝の御世。つまり清という王朝が既に息も絶え絶えとなった時代が舞台である。西欧と日本という近代列強に目をつけられた中華帝国の断末魔の時代である。
主要となる人物は二人。素封家の息子で科挙の試験を受け進士となり、やがて康有為らと戊戌の変法に加わる梁文秀とその義兄弟でもあり、赤貧洗うがごとくのどん底貧乏の出自から、自らを去勢し、宦官となり、やがて西太后に使える身となる李春雲。中国王朝で立身出世して行く典型的な過程の二人を据えて、「西太后」という人となりの治世を書いたというのが本書である。文秀と雲春という対照的な二人を書きながら、西太后と光緒帝という清末期のの施政者である叔母と甥の物語である。

この時代を舞台にした物語というと、ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」やニコラス・レイ監督の「北京55日」などが代表作だ。ラスト・エンペラーは光緒帝の次の宣統帝の時代であり、後者は「義和団事件」が中心である。その前夜の物語が『蒼穹の昴』だ。

小説としてはまぁ面白く読めるエンタティメントという印象で、上記の映画を見たあとのような感覚ではあるが、科挙のシステム、宦官制度、また義和団事件の背景にあるような様々な政治的な事柄などが詳しく書かれているわけで、興味深く面白い。なんせ中国5千年だかの歴史の重積のうえに成り立つ漢文化が作り上げた皇帝世界と、満州旗人の末裔の世界ってのはわたくし的には激しく萌えなんで、まぁ小説の出来がどうこう以前に、清代の時代小説って少ないから嬉しいわけですよ。
小説では何故か清朝の絶頂期に君臨した乾隆帝と西太皇后の交流が書かれる。実は乾隆帝西太后が生きた時代は全然重ならない。乾隆帝は18世紀末期に没してるが、西太后は19世紀の生まれである。なんかざ〜〜っと流れるように読んだんでそこんとこどういう風に説明されているか覚えていないが霊的な存在としての乾隆帝を生前を知っているかのように西太后が何故捉えているかがよく判らん。
ところでこの小説では乾隆帝の御世は素晴らしく栄光に満ちたものとしてかかれているのだが、乾隆帝はそれ以前の二代皇帝が作り上げた栄光世界を衰退に導いた張本人でもある。しかも自分が「60過ぎても皇帝なんてのは老害だ」とか言って皇帝の席を退いたわりには、次代皇帝を陰で操る垂廉政治を行った辺り、西太后と重なる。つまり浅田次郎が描く彼らの姿とは別ではあるが確かに共通する要素のある二人である。

清代末期の腐れっぷりは今の中国の腐れっぷりとよく重なる。人民がいつ蜂起してもおかしくないすれすれにあるようで。特に役人がおいしい思いをする格差社会。その役人さんになるには科挙というすざまじい試験に通らないといけないのだが、東アジアの儒教文化圏は未だそういう文化風土がある。東大に受かれば、勝てば官軍的な。しみじみ中華と日本というのは近しいもんだと思った次第。

ところで、なんだか栄光の清代の話としてイエズス会士のカスティリオーネティエポロの書簡がでて来るんだけど、なんかどうも唐突である。一応、重要な役割に繋がるようなのだが。このあたりの宣教師の物語については中野美代子の『カステリョーネの庭』がだんぜん面白いです。

結論からいえば、小説としての完成度は低い。散漫であるし。ディテールと舞台設定は面白いし、ありがちな預言者という設定は講談本的とはいえ盛り上げ役でもあり、そういう辺りで、読ませる力はある。ただどーも人物描写がつまらん。それぞれが設定は面白いのにどっかで半端だ。焦点をただ梁文秀と李春雲にしぼればよかったのに、中途半端に西太后に情けをかけるから半端なんではないか?

さてこの小説には続きがある。『珍妃の井戸』と『中原の虹』前者は読んだ。後者はこれから読む。『蒼穹の昴』が中途半端な終わりかたしてるのは後者を書く予定だったからだろう。カスティリオーネの役割もはっきりしてくるか。

珍妃の井戸 (講談社文庫)

珍妃の井戸 (講談社文庫)

これは義和団の変渦中で殺された光緒帝の寵妃、珍妃の死をめぐるミステリーである。連合軍側である、イギリス、ロシア、ドイツ、日本の高官達がその事件解明に乗り出す。
そこで得られる様々な人物の証言は食い違う。珍妃の死を、それぞれの立場で嘘を交えながら証言していく。己の利を交えて作られていく嘘の光景は芥川龍之介の『藪の中』、あるいはそれをモチーフとした黒澤明の『羅生門』のごときであるが。浅田次郎の脳裏には所謂、歴史修正主義的なものへの批判があったのかもしれない。
いずれにしても、『蒼穹の昴』番外編であり、その手の歴史ものを期待するとがっかりかもしれないけど、紫禁城の中がどうなってるのかみたいな辺りで、中華文明萌えなわたくし的にはちょい満足したです。

ところで紫禁城というのは、なんとなく閉鎖空間で、壺中天な世界でぁゃιぃ感じに満ちているので、と〜〜〜っても興味深い。酒見賢一の『後宮小説』ではファンタジーとしての後宮世界を描いているが、どーもそういう幻想を抱きたくなる。一度いってみたいと思うのだけど、北京にいく機会がなかった。そしていまやあんな環境では行く気がしない。日本人とわかると唾吐かれそうでいきたくない。中国は基本的に好きなんだけど、今の中国政府の作り出す空気はなんとなく嫌いだよ。

関連書物

後宮小説 (新潮文庫)

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ファンタジーノベル大賞をとったこの小説。中国ファンタジーとして面白いんだが酒見賢一孔子を主人公にした『陋巷にあり』以降どうしているんだろう?ざっと検索したところ、諸葛孔明の話を書いてるみたいだが面白いんだろうか?

カスティリオーネの庭

カスティリオーネの庭

中野美代子のこれはそこはかとなく澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を思い出す。学者小説だな。幻想小説ではないんだが幻想小説を感じてしまう。個人的に好きである。