アンパンマンがブームか?何故アンパンマンは嫌か?

どうもアンパンマンはてな界隈で話題になってるようです。
uumin3さんとことか、usauraraさんとことか。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070911#p1
http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20070906/1189054624

実は『アンパンマン』ってキャラの顔だけ知っていて、視た事ないんですよ。だからどんな話か知らなかったんですが、一応ヒーローモノで、バイキンマンというのが敵役で、アンパンマンはパンチ力があるにもかかわらず結構へたれで、しかも顔を食わせるらしい。
自己犠牲の元に人々を救うという設定だそうで。こんな感じの人を想像しちゃいましたが↓

絵づらがきもくて私は苦手ナンですが、なんで流行るのか判らんでしたよ。
へたれだけど人を救うってのは遠藤周作のイエス像みたいだなとuumin3さんのところで書きましたが、田川健三とかは嫌がりそうなキャラだな。
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で、私もusauraraさんが指摘しているように、アンパンマンのあの親父でガキな、つまり脂ギッシュに肉厚な顔とぞんざいな三頭身の身体がなんとなく嫌いなんですが、それ以前にあの色調が赦せんのだ。そもそもスーパーマンのあの色調もおされでなくて赦せないんですが、それはガキの頃に遡る感性でして。
例えばディズニーのあの一連の漫画も色調造作含め嫌いだったし、日本が誇る鉄腕アトムも嫌いだった。話はそれなりに好きだったんだが、絵が嫌いだった。色調が嫌いだったというか。原色使うなよ。だからアニメ絵ってなんとなく好きでなかった。
ただ、手塚アニメは「悟空の大冒険」が好きだったな。アレはなぜか綺麗でなんとなくモダニズムな絵画を見るかのごとくであった。
usauraraさんがコメント欄で

絵の具ないんかしらん、て思うくらい貧しいです(笑)
私は色彩が好みかどうかはすごく大きなポイントなので、アンパンマンの世界の「さくらくれよん12色セット」みたいのは
どうにも昔の「こくご」の挿絵みたいで・・・

と書かれているように、原色だけの子供向けの絵がとにかく嫌いだったですよ。
そういうわけでパンのくせに真っ赤な鼻と頬をしているのが不味そうとか、ぞんざい過ぎるコスとその色調とか、赦せんですな。
お子様といえど視覚情報にはこだわりあるのは結構いると思うが、日本の「かわいいもの」というのはどうしてこうかわいくないんだろうと何時も思う。テニエルの絵のような絵画を好んだ私としては陰影のあるイギリスの古い版画のごとき絵のほうが子供心にアプローチしていたです。どうもそれに比すと日本の漫画絵は手抜きで赦せんとガキの頃は思っていたが。ガキにはこの程度の絵でいいよという大人の基準値が赦せなかったといいますか。
ボッティテルリやレオナルドの絵みたいのが絵本になっていたら幸せだろうなぁと思ったもんだが、姪っ子にレオナルドを見せたら「キモイ」とのたまった。ピカチュウの絵の方がいいらしい。「そんな漫画みたいな絵ばかり見てると目が腐る」と負け惜しみを言ってはみたものの、やはり好みの違いかにょ・・・・?
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アンパンマン、キーワード繋がりで、上記の謎について書いておられた方がいた。
○深く考えないで捨てるように書く
http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070908/1189234026
■[読んで書く]リアルな絵、デフォルメ絵

そのへんの話から、傾向として、日本人はデフォルメされて輪郭のはっきりしたかわいい絵柄を好み、欧米人はリアルで陰影の強い立体的・写実的な絵柄を好む、というのはあるようには思う。

これについては、何故なんだろうか?と思いますね。
先ず、子供向きの絵と、通常の美術作品と分けて考えると、西洋絵画は光学的、東洋絵画は面的(コンポジション?)と言えるんですが、日本画が明解な輪郭と面を持つのに対し、西洋画は輪郭がない。陰影に注視する。
これについて何処で読んだか忘れたんですが、顔の構造の立体感が影響しているという説。
人間の目線というのは概ね顔に先ず行くんですが、西洋人の顔ってのは正面から平たく見るのと斜から見るのととにかく立体的でごつごつしているから陰影を意識せざるを得ないのに比して、モンゴロイドの平面的な顔というのは平面的なコンポジションや比率で見ていく。故に浮世絵なんかにしても、非常に面的な比率ってのが意識させられる。

とはいえ、まだ中世だったヨーロッパの絵ってのは、輪郭が結構目立つものもあったり(写本の挿画とかね)色面の比率を気にして描かれたようなのもあるので、立体的な意識が鮮明になってくるのは国際ゴシック様式からルネッサンス以降という感じか。中世の絵画はかなり漫画みたいですよ。
ゴシックというと建築技術の発達の目覚ましい時期でもあり、またアラビアの数学、或いは光学的な事などが意識させられてくる時代で、建築における彫刻が先ず光と影を意識していく。その光と影への視点は絵画へと移行していくという感じでもあったかもですよ。ことに壁画は装飾を施したり彫刻を置くほどの金が無い代替えでもあったのでだまし絵的に壁画でなんとか表現してみるよ。ってなことも関係しているとは思いますが。それとルネッサンス期はやはり光学的な学究への関心があったんで、こちらはその科学的な事の証明としての絵画表現という事もありましょうし。
反面、日本の美における絵画表現は、例えば安土桃山の時代に西洋画に触れた画家達がその手法を採り入れようとした結果、金地に工芸的な洗練されたフォルムの図を描くという世界へと向かったわけですが、そもそもその借景的に絵を採り入れんとする建築物がこれまた西洋の立体的な建築と違い、工芸的なモダニズムなフォルムを重視するものだったり。面的なものが整理された空間には西洋の陰影のはっきりしたものよりも、コンポジションを重視するような絵画の方がよりよいという感じか。

ところで花鳥風月に関していえばわたくしは西洋人の描くボタニカルアートより遙かに北斎北斎漫画にあるような絵の方がリアルに感じる。それを感じた近代西洋人が真似しようと必死になるけど、しょせん猿まねにしかならなかった。この感覚の違いはナンだろうね。慣れだけではないような。

さて、伝統絵画的なことから離れ、子供向きの絵となると、これまた西洋のと日本のとは違うようで。といってもわたくしは西洋モノを与えられ続けてきたので日本のをよく知らない。アニメと西洋絵本を比しても仕方ないんですが。前者は大量のセル画を描かねばならない消費型の絵であるわけで、そもそもツールが違う。
で、アニメというと、アメリカのとかは、大人が蠢いてる世界。色は汚い。キャラがへんてこであるのも多い。フランスのは日本のアニメほど面白くないが色彩感覚がすごいと思った。東欧のアニメは気合いはいりまくってアニメじゃないよ絵画だよってのまである。
西洋の子供も日本のアニメは大好きなので別に生まれついての差違なんかないと思うんだが、作り手の感覚に差違があるんだろう。
友人のフランス人の漫画描きはメビウスみたいな絵で中間色を使いまくりである。いかにもフランス的な色彩感覚。旨く説明出来ないが、鮮やかなオレンジやピンクとブルーグレーなんて対比の色調を使う。その色彩感覚は子供絵であるアニメでも似たような対比が見られる。絵画で言えばパウル・クレー的な色調といいますか。欧州の中では色彩感覚がもっとも近いフランス人(パステルトーンを好むとか)でも、やはり感覚的に違うなと。
ただ、西洋が子供に向けて発する絵画表現はやはりあの過去の重厚な歴史の重さをどこかに背負ってるようにも感じます。保守的で近代という時代でも抽象画の優れた画家があんまりいないイギリスなんかでは子供の絵も伝統的な銅版画の技法で挿画などを描いてますね。転じて我が日本の子供向けの絵の伝統というとかつては東京美術学校の油画科なんぞを出た人が描いたりしていたわけで、こちらも結構リアル絵や劇画調のが多かった印象です。明智小五郎と小林少年シリーズの絵とかリアルだったなぁ。
だから漫画絵ってのはほんとに現代の産物でしょうね。
そして、漫画文化を独自に開花発展させた日本では、子供>漫画絵という図式が出来上がっていく。なんとなく西洋人、東洋人のあきらかな感覚的差違というより、描き手がどんな人が多いか?ってのの差違の方が大きいんじゃないかとも思います。

ところで、「かわいいもの」の感覚の差違ですが、こちらは西洋の赤ちゃんが我々には多少グロテスクに見え、日本の赤ちゃんのかわいらしさと違うなと。その辺りから来るんじゃあるまいか?などと思ったりもしています。西洋の赤ちゃんって、なんか恐いよね・・・。

うーん。散漫な論考になってしまいました。