『菜の花の沖』司馬遼太郎2 爺の薀蓄

文春文庫の新装版では『さぶ』か『薔薇族』みたいな実は司馬爺薀蓄文学な『菜の花の沖』その司馬爺の薀蓄っぷりについて、どげなものか詳しく書かなかったので、ここにメモ程度に紹介しておきます。
菜の花の沖』の舞台は幕藩体制下、兵庫の港町。田沼意次が権勢を誇っていたのち失脚しちゃいました辺りの時代。主人公は船主であり、荒れ海にも臆さぬ船長でもありながらして利に聡く、しかし欲に溺れることなく、志を愛すという、司馬爺好みの合理主義的尚且つ理想家な漢。
老先生は幕藩体制の経済状況を街の目、それも港町を点々とする一介の船主の視点から描き出す。幕藩体制による矛盾。農本主義による商業の限界等、また藩と直轄領との差異等、江戸時代の経済状況薀蓄が細かくて面白い。
船についての薀蓄も船オタクなら楽しいかもしれない。和船が幕府によって発達することを妨げられていたというのは知らなかった。マストは一本と定められることによって、当時西洋の船が、或いは唐船が度々日本に訪れ、その優れた性能を目の当たりにしながらも遠洋には向かない船で沿岸貿易に従事するしかなかった。まぁ鎖国時代なので仕方がない。こういう知識はなかったのでなるほどなぁと感心した。
例えば『大航海時代』なんてゲームをやっていると船は重要で、ゲームのはじめは予算もなく安いキャラベルという船を買う。船足は速く小回りは聞くので冒険者好み(コロンブスもこの船がお好きだったらしいよ)の船だがいかんせん交易をやるには積載量の少ない船で地中海沿岸をちまちま移動しながら収益を挙げるしかない。少し金がたまるとナオやらキャラックのように積載量の大きい船を買う。最終的にガレオン船という巨大帆船を買って海の果てまで交易に出かけるなんてゲームだ。
このゲームやってると『菜の花の沖』の主人公の苦労がわかる。瀬戸内海近海の海を行ったり来たりするなら安全だ。しかし旨みはない。やはり北前舟と呼ばれるような長距離交易(主人公は蝦夷まで足を伸ばす)こそ利ざやの大きい交易だ。しかしその道中は荒れた海をも越えねばならず危険は大きい。当然丈夫な船が要求される。和船はその点、脆い。甲板がなかったというのは司馬老先生のこの書ではじめて知った。
和船の構造はますを3つつなげたような物でまさしく箱が海に浮かぶようなシロモノだそうだ。『ONE PIECE』で、ルフィたちの船のゴーイングメリー号が「竜骨がもう逝かれて廃船」なんて言われてウソップが落ち込んだりしていたが、その竜骨そのものが和船にはないそうだ。そんなのはじめって知ったよ。トリビア。その為、波に弱い。冬の海に激しく弱いので冬は交易はお休みだったらしい。へぇ。これら和船は徳川家康がかつて江戸攻めを恐れ、発布された法により、丈夫さを探求することが赦されなかった。つまり性傭船のごときがっちりとした構造を持たず、操舵を誤まれば波にたやすく壊れる。ゆえにかなり高度な航海術を必要としたのだろう。

そんな足枷のあるような船でお江戸の船人たちは遠い海まで漁をし、荷を運び、とにかく勇ましい。

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物語の舞台はやがて蝦夷地へと移る。老先生は松前藩下における蝦夷の過酷な状況を紹介する。蝦夷、つまりアイヌといった蝦夷先住の人々を松前藩は奴隷化し自立できないようにしていた。奄美もまた薩摩によってかなり過酷な状況下に置かれていたと聞くが、南と北の民族にとってこれらの藩士達は地獄の極卒にも等しかったのだろう。
江戸幕府蝦夷地を直轄領にするべく乗り出したのは、勿論彼ら蝦夷の人々を人に非ぬ扱いをする松前藩を憎んでではなく対ロシア防衛である。ロシアと抑圧された蝦夷の民が手を結ぶことを畏れたからではあるが、しかしその調査に入った藩士達は蝦夷の人々が置かれた過酷な状況に憤っていたようだ。
奄美や沖縄でも薩摩に対しては未だ恨みがどこかで残っている。彼ら島人達がどんな思いをしたのかはわからない。しかし貿易で潤ってもよさそうなルートでありながら、近代は貧しさの中に置かれてきた歴史がそれを物語っているかもしれない。