『古都』川端康成

けふはカテドラルに行ってミサにあずかる為に出かけたよ。おでかけるときに読む本として川端康成の『古都』を持って出た。

古都 (新潮文庫)

古都 (新潮文庫)

仕事で読まなきゃならないんだけど、京都めぐりって按配の小説に懐かしさを覚える。わたくしのガキの頃はまだ市電が走っていたしね。高い建物なかったのよ。で、それより前の母なんかが見ていた京都の景色なんだろう。川端の描く古都は四季の美しさに満ちている。京都はそういう街だ。
闇にあやしく浮かぶ円山公園の大きな枝垂桜。その霊的な美しさ。或いは竹の青々とした様の緑に霞む路行き、雨にぬれた小さな坪庭、宵闇の黒々とした山の肌に刻まれていく大文字の送り火、紅く色づく木々の中を行く回廊、降りしきる雪が甍の上に積もり墨絵のごときしかし抽象的な模様を描く街並み。それはわたくしの原風景でもある。
古い町家の大きな梁がすっと伸びた天井の窓から射し込む光のうっすらと水周りを照らす台所の板張りの寒さ。蹲にたまる水。様々に顔を変える庭の茶花。夜、怖くて母をたたき起こして不浄までいく廊下は屋外にあり、冬はことさらに身に沁みた。主人公を取り巻く環境は全て映像となって鮮やかによみがえるようでもある。
登場人物は二十歳そこそこの娘さんなんだろうけど大人びている。しかし恋愛に対してのその奥手ともいえるような様とのギャップ。現代女性とは様々な面で対極の女性。昔はこんなんだったんだよね。そいでもって私もそんな小説を読んで育ったはずなんだけど、大人びたトコは未だ得られず、恋愛に関しては実は奥手である。駄目じゃん。

で、お出かけたはいいけど、なんだか体調不良で、そのうえ昨日から頭痛も酷くて、実は風邪も引いていたらしく前日は昼間延々寝込んでいたんだけど、その残滓がまだ抜けない状態で家を出たもんだから『古都』を読む気がしなかった。なもんでくだらなそうなものか軽いでも読みたいと雑誌を買おうとした。文春か新潮でも買おうとしてなんとなくSAPIOを買ってしまった。「金正日」という文字に引かれて。こないだもニューズウィーク買ったしね。「北朝鮮」の文字に引かれて。で、失敗だった。SAPIOはつまらなかったよ。頭痛の性で集中できなかった性もあるけど。今そこにある危機の情報収集としてはイマイチ感が漂ってしまった。