『ティンブクトゥ』

pataさんが書評を書いていたので興味を持ったオースターの最新作、『ティンブクトゥ』を読了。
pataさんの書評↓
http://pata.air-nifty.com/pata/2006/10/post_838b.html

ティンブクトゥ

ティンブクトゥ


オースターというと『スモーク』をニューヨークで見て以来、好きになった作家だ。ニューヨークの想い出はオースターと共にある。冬のニューヨークは息も白く、立ち上る蒸気も白く、クリスマス前の平和なまったりとした空気が日に照らされてあるみたいなそんな所で、どことはなしに小さなドラマがあちこちにあるようなそんな所だった。
ニューヨーカーはとにかく話しかける。人とのふれあいを求めているオーラを放出している。寂しそうな人たちがしかし孤独にうごめいているような所で、オースターの小説ってのはそんな空気を持っている。大きな事件も起きない。けどドラマはある。
ニューヨークというとまず思い出すエピソードがある。以前も書いたことがあるかもしれない。
ある日、友人が仕事で使うつもりで買った薔薇の花一輪を、彼が忘れていったので慌てて地下鉄まで走って追いかけた。息が切れるまで走ってたどり着いた地下鉄の構内。そこに居合わせた人々に「なんて素敵なラブドラマでしょう」と生暖かい目で見られ、走りすぎて息が切れている私に嬉しそうに話しかけてくるのまでいる。いやはや、こいつらってほんと単純。
万引き犯で有名なウィノナ・ライダーがよく飲みに来るという草臥れた店で、ローリングロックという気の抜けたビールを飲んでいたら「俺は日本語を知っているんだぞ」というおっさんが話しかけてくる。「書いて見せてよ」というと「木」という字を書き始めた。えらく時間をかけて書いたのはそれだけだったと記憶する。そして書き終わったら満足したらしく去っていった。ナニをしたかったんだか。そんな店で一人で飲んでいるというウィノナもなんだか寂しそうだ。

とにかくなんだか話しかける機会を捕まえたくてうずうずしているのが多い。クリスマスの街ではあちこちでプレゼント用の商品が売られていたが、わたくしもお土産用にと大きな犬のぬいぐるみを買った。その帰る途上で、色々な太ったおばさん、白いのやら黒いのやらが話しかけてくる。
「どこで買ったの?なんてキュートなのかしら!」
私はこの犬に「ブーツィー」という名をつけた。なんせ醜くて駄目犬なぬいぐるみだったからそれにふさわしい駄目な音の名前をつけたかった。話しかけて来る知らないおばさんたちに
「この子の名前はブーツィーっていうのよ」
というと概ね変な顔をされた。変な顔をされるような名前が欲しかったのでつけた名前でよかったのだなとわれながら満足した。
『ティンブクトゥ』に登場する主人公は犬で、こいつの名前は「ミスター・ボーンズ」このうえなく駄犬っぽい名前だ。しかし彼はこの名前に誇りを持っている。大好きな主人がつけてくれた名前だから。その主人ウィリーはアメリカの底辺にうごめいていそうなダメダメ人間の集積って按配。この主人との対話で話は進む。主人は詩人で、そして彼なりの哲学をミスター・ボーンズに語り続ける。やがて別れが来る。死を目前としたウィリーからミスター・ボーンズは様々なことを学ぶ。そして彼の教えを胸に、新たな生活へと向かうのであるが。

犬を飼ったことがある人なら誰でも感じる犬の悲哀。主人に忠実でそれに従い生きる犬の悲哀がガラス細工のように書かれていて、乾いた繊細さを持つこの作家の独特の世界観はいまだ健在だなと思った次第。
『ティンブクトゥ』とは死後いつかそこに行く場所で、ミスター・ボーンズはウィリーとそこで再開できることを夢見ている。ティンブクトゥは実在の都市でマリ共和国にある。それは古い時代に到達し得ない遠い異郷として様々な伝説を生んだ都市でもある。しかしミスター・ボーンズはそんなことは知らない。ただ一番好きだったウィリーと出合える場所として、すごく大切な所だと、そう思っている。

別になんてこともない、犬と人間のドラマがあるだけで、だけどあの孤独で寂しがりやなニューヨーカーの典型的な空気を感じる小説だった。