文化系と女子とか

ラジオクリルタイから何故か「文化系女子萌え」論争@はてな村にいたるまでを、クリルタイに参加したはてなの族長加野瀬氏が、(そもそもの「文化系女子」にまつわる定義を含め)まとめていた。
文化系女子定義
○ARTIFACT@ハテナ系
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060515/culturegirldavinci
■[オタク][サブカル]ダ・ヴィンチのチェックシートだけで「文化系女子」語るの禁止な!
↓どこでどう間違っていったのかの推移
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060515/himoteculturemoe
■[オタク][サブカル]非モテが「文化系女子萌え」と言ったのかを検証してみる−まとめサイト脳の恐怖−
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はてなはやはり村だった。

文化系女子
そもそもの発端のこのカテゴリ。男性からの視点で見た『ダ・ヴィンチ』とか、女性側としての『ユリイカ』とか、まぁ、まだどっちも読んでないんで結局判らんし、『ユリイカ』に関しては東京戻ってから買うつもりではあるが、それ以前にだ「女子」とつく。これ、どうなんだ?
で、ただの文化的な行為に携わる女性達、もしくはそうした価値に生きる女性達が「女子」とカテゴライズされるって、小説コーナーに「女流作家」とあることや「女性アーチスト」とか、以前から激しい違和感は感じておりましたね。「女性」「女子」という括り。わたくしは美術に携わる人間なもんで、タマに「女流作家展」などというのに声をかけられたりすることがあるが、ぞぞげが走るのでお断りしたことがある。そういう括りって頭悪いだろ?コンセプトがなさ過ぎだぞ。みたいな。展覧会のような場で、「女でまとめりゃナニかまとまった気になる?それってどうよ?」なように単語に性差がつく時点で、なにか領域を狭められてしまうと感じる。「文化系男子」は何故いないのか?ただの「文化系」では意味が違うように感じるのはなぜか?
そういう括り方でナニかを語られることへの抵抗という人はいないのかな?「萌えられる」とか「好きになる」とかの対象となることが嫌だという以前の時点で。
まぁ、そもそもそれが造語された時点でのジェンダーの問題ってどうなっているのかも含め、結局、それを知るためにも『ユリイカ』読まないとダメか。
(本音を言えば、言葉は独り歩きする生き物であるが故に、『ユリイカ』を読まないと語ってはいけないみたいな風潮を作り出すのもどうよ?って気もするけどね。それこそ高みから何か言っているような抵抗感はわずかながらありますが。)
え〜、因みにうちの大学は女性を女性として扱わない処だったので、女性であることを意識したことがなかったですね。社会に出てしばらくして女流アーチストなどと言われて「あ?なにそれ?」と思った事があります。
あと、「画家」ってジャンルは世間的に少ないようで、昔見合いをした時に「画家」ってのに好奇心を燃やした方がおりまして、お会いしたら趣味的にやっているんではなく、本業であることにドン引きされたことがあります。「趣味的に絵を描く」「女性の画家」とただの「画家」にイメージの差異があったようです。前者はハイカラでセレブなイメージがそこはかとなくつきまとうかのように受け止められ、後者はただのプロレタリアート(しかも変人要素が加味される)ですから。
●「萌え」と「好き」
私は殿方でないので判らないんですが「萌え」はどうも「好き」とはかなり違うみたいです。永遠の女性、ファム・ファタール(宿命の女)というものを殿方は持つらしいんだけど、それとも違う気がする。
メイドさん萌えとか、妹萌えとか、ほたるちゃん萌えとか、まほろちゃん萌えとかが、そこはかとない性的なにほひを漂わせるのは、結局、萌え絵で描かれたおびただしいポルノ絵、アニパロの性なんだろうが、本来の「萌え」はもっと純粋なもののようでもあるし。この辺りは二次元に萌える殿方の生理現象がいまいち体感として共有出来ないからなんだろうな。「萌えはオカズ対象にしてはいけないのだ!」という禁忌、あるいは「いや、萌えはこっそりとおかずですよ。そこはかとない性的なにほひは必要なんです。」とかなどがやっぱりあるんでしょうか?

で、「好き」「萌え」対象としての女性については多くの人が語っているのでパス。

○世界のはて
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20060515/1147704122
■[文化系女子大戦]「萌え」はそんなにイメージの悪い言葉だったのか
→殿方から見た観点の「萌え」
わたくし的にも好きと萌えの違いも分らないのですが「萌え」が例えば二次元的なモノが対象というように非現実世界に向うモノだとすると、なにやら実存は疎外されていく一抹の寂しさというものはあるかも知れませぬ。ですので例えば直接的な告白で「あなたに萌え」などと言われたら、「え?え?このわたくしめをガラスケースに入れて愛でていたいのかよ?」などとドン引きしてしまうかも。部外者的には「萌え」にはそういうニュアンスを感じはしますね。
○Death To The Apple Girls
http://d.hatena.ne.jp/gerling/20060515
2006-05-15 ユリイカなんて読むな
→今回の騒動の発端ともなったgerlingさんの「文化系女子」という言葉に対する意見。
ええと、コメント欄にいらしてくださったのですが同じ時に似たような疑問を投げ掛けておられたのですね。
まぁ「『ユリイカ』読むな」以前に読んでいないので、それについてはなんとも言えません。が、既に独り歩きし自立した「言語」への批判として「文化系」という言葉の持つ曖昧さというのはなんとなく判ります。