アカデミズム、再び

先ず、これを紹介しておく。

十六世紀フランスのアカデミー (ヴァールブルクコレクション)

十六世紀フランスのアカデミー (ヴァールブルクコレクション)

イエイツだから内容が想像がつくというもの。先ずはプラトンアカデミーからはじまったと、新プラトン主義の復興の流れでフランスのアカデミーのありようを浮き彫りにしていこうって試みなんじゃろが、イエイツだし・・('A`)。分厚いし・・('A`)。・・・というわけで人から借りたはいいけど、南の島で読むには内容も重量も重すぎて途中まで読んでほったらかしてありました。しかしアカデミズムの話が出たりしたんで、「葬送」と平行して読みはじめようかな?と。記憶力がすこぶるよすぎてまたはじめから読まないといけないけどね。
しかし、アリストテレスの文脈のスコラには哲学と神学の分断があるが、プラトン主義はそれが混じりあって信仰的なのだ。というような記述を見つけたですよ。ピコ・デ・ラ・ミランドラとかマルシリオ・フィチーノがひじょうに信仰的である。という辺りチェック。うーん、トマス・アクイナスよりスコトゥスの方が信仰的?アベラール様はまぁともかく。
で、イエイツはともかく、uumin3さんからアートと芸術という言語についてトラバいただいておりました。

○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060502#p1
■哲学や美学の講師が言いそうなこと
 ギリシア語のtechneの訳語としてラテン語のarsがあり、さらにそれがart(英・仏)やarte(伊・西)になっていったように、またcan(英)に相当する助動詞konnenと同源のKunst(独)が技術的能力という意味を多分に持つように、かなりざっくり言えばアートは技術であり、「芸術」はその広義の「創造性を持つ技術・応用」という意味の一部です。

イタリアではアルテというと職人達の組合の意味もありますね。
例えば絵描きなどは聖ルカ組合というアルテに所属することになります。このアルテは画家のアルテとして有名ですがもともとは薬剤師のアルテだったそうで。聖ルカは医者の守護聖人でもありますね。画材が薬物だったからなんでしょうね。
もともと職人芸であった芸術がアカデミーのものとして再生されたのはルネッサンス期ですがフィチーノは「我等の世紀は、ほぼ消滅しかかっていた自由学芸に、黄金時代と同様、光を取り戻させた。つまり、文法、詩、修辞、絵画、彫刻、建築、音楽・・・(以下略)」これに加えて天文学に言及していますが、かつてのギリシャを起源としてローマに受け継がれたリベラル・アーツと若干内容が違うともうしますか。

三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽、これらの上位に哲学が来る

美術の分野となるのがないというか幾何に包括されるんでしょうが、建築はともかく彫刻、絵画はこの時代どういう位置づけだったんでしょうね。ただ視覚的に応用つけるというのは職人、工人の領域にあるのでしょうか。
例えば和魂洋才といった時の洋才、は技術としてであり精神性ではない。WIKIなんかの説明を見ると・・・

佐久間象山は「東洋道徳西洋芸術」という言葉を遺しているが、ここでいう芸術は技術のことである

・・・・などと記述があります。
ですんで、アート(芸術)ってのはもともとが技術色の強いものであったのですよ。ビジュアル分野でいうなら、絵描きも、デザイナーも、アニメーターも、彫刻家も、工芸家も、建築家も、漫画家も、映像作家も、視覚造形物の職人さんなわけですね。日本画や工芸世界なんかはその職人的伝統がいまだどことはなしに残りますしね。
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そういえば「マーシャルアーツ」って言葉は「格闘技」を指すときに使われるけど、元は「武術」の英語翻訳であるそうで。武術は東洋では或る種の精神性を包括するですね。「武道」といった時、思想も包括される。術を用いる者の精神世界がある。