剽窃・自分自身を否定した人

おとなり日記な人々のブログを読んでいた。するとこんな情報が。

▼「マウスくん」訴訟で和解=ナルミヤが4千万円支払い−東京地裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060424-00000146-jij-soci
 子供服メーカー「ナルミヤ・インターナショナル」(東京都港区)のキャラクターをめぐり、現代美術家村上隆さん(44)が著作権を侵害されたとして、同社を相手に損害賠償などを求めた訴訟は24日、同社が約4000万円の和解金を支払うことで、東京地裁で和解が成立した。
 村上さんは2004年7月、自分がつくった「DOB(ドブ)君」が、ナルミヤのキャラクター「マウスくん」に似ているとして提訴した。 
時事通信) - 4月24日21時1分更新

「DOB君」とか「マウスくん」とか頭が痛くなる単語が並ぶニュースである。
ナニかと思ったら。

http://www.kaikaikiki.co.jp/news/list/murakamis_lawsuit/
現代美術家 村上隆が訴訟提起した著作権侵害事件の和解による終了について

村上隆は、子供服メーカーである?ナルミヤ・インターナショナル(本社:東京都港区 証券コードJASDAQ 3364)に対し提訴した著作権侵害訴訟につきまして、本日4月24日(月)に、下記概要の通り和解致しましたのでお知らせ致します。

和解の要旨
?ナルミヤ・インターナショナル(「ナルミヤ」)との間で係争中であったナルミヤの「マウスくん」に関する著作権侵害訴訟(東京地方裁判所平成16年(ワ)第16146号)に関し,東京地方裁判所は,「マウスくん」の一部(下記、参考資料-1、(2)?(4))につき,村上隆の著作物「DOB君」(参考資料-1、(1))との類似性を認める判断を示して両者に和解を勧告しました。これを受け,裁判所の意見を尊重して,和解により解決することとしました。

下のほうに写真があるけど、某ウォルト・ディズニーのネズミを引用し、現代風にしたようなネズミが「DOB君」とやらである。それにフォルムが激しく似ているネズミの一群が「マウスくん」である。
どれもキモイぞ!こんなものは全部闇に葬れ!!!!!!
・・・・・・・・・・・・・じゃなくて、まぁ私はそもそもキャラクターものってのが実は嫌いで、ネズミーランドのネズミも嫌いだが、こういう媚び媚びキャラクターフォルムはゾゾゲが走るほど嫌いである。ガキの頃から嫌いである。筋金入りのキャラもの嫌いであるよ。なもんでこの「ゾゾゲっぷりをアートにして、馬鹿にしている村上隆」とかいうならソンケーしてしまうんだが、どうも違うようだ。彼はマジに僕ちゃんの「DOB君」を愛しているようである。うへぇ、キモイ。

そもそも彼のアートは、商業美術の要素を逆転してアートに持ち込んだという点で評価されている。けれどそれは以前も書いたが、アニメならアニメの住人達の一種、閉ざされた世界があり、その世界において生きて来る、それらはオタ(大衆)の財産でありアカデミズム(特権化された存在)の殿堂で後生大事に飾られ、観賞されるものとなった時に死ぬ。そこにあるのはただの商業アートの剥製であり、ましてや村上隆のアートはそれのレプリカに過ぎない。アニメにしてもオタアートにしても「萌え」が育成される時間があり、世のオタク達がひそやかに(そして最近は堂々と)暖め、育んできた。そういう共に過ごした時間がある。そういう存在を美術館にただ表象の形だけを持ってこられても意味はない。オタクが育んだ時間を切り捨てたような存在は虚しい。

・・・で、そもそもが村上隆の作品は様々な商業美術のレプリカであるわけなのだが、それでもその「レプリカである」という点で観賞するに値するナニかはあったはずなのだが・・・・・・。

彼自身の作品が更にレプリカされ、商業ベースにフィードバックされたというのは、寧ろ更に円弧を描いて永遠に逆転していく、そうした自律する連続性の面白さを感じると思うんだが、彼は自らの存在を自ら否定してしまったと言えるよな。

おとなり日記の「デザイン学のススメ」さんに幾つかのこのニュースに対する応答がでている。
http://d.hatena.ne.jp/design-gaku/20060425
■[*info]"現代美術家 村上隆が訴訟提起した著作権侵害事件"に関する記述
→概ね、戸惑いや、或いは怒り、失望で占められているようである。
町山さんまで激しくぶるぶる怒っている。そんなに嫌いだったんか!!?
町山さんのすごい嫌いっぷり↓
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040217

まぁ、わたくしももともと別に好かないアーチストだったから。超軽君のにほひを感じていたけどほんとに超軽君だったとは・・・。この現象を更にアート化していたら、見直したかもしれなかったのに。。。_| ̄|○
◆◆
そういえば同じようなキャラものというか、変なキャラを造っていたアーチストがいたな。
ジェフ・クーンツ。
アニメキャラじゃないが「パピードッグ」とか言うでかい刈り込みで造った犬の作品。
http://www.annelisegadoury.com/blog/?p=66
名前つけるなよ・・・・。しかしあまりに変なパワーに溢れているのでうちのオヤジがノックアウトされていた。スペインのビルバオグッゲンハイム美術館に行った時、オヤジはミュージアムショップで見付けたそのパピードッグ人形(怪しいぬいぐるみ)を二つも手に抱いて
「コレ、買ってもいいか?」
・・・・・と、私に聞いてきた。ナニか親父心に訴えるものがあったらしい。
その怪しげな犬のぬいぐるみ達は現在島のわが家にある、ぬいぐるみが好きな島犬カナはなぜか彼らには見向きもしない。どうも怪しげな風貌と質感が嫌なようだ。
これ↓
http://tienda.guggenheim-bilbao.es/tienda/ingles/producto.php?producto=127
美術音痴な親父の琴線に触れるんだから相当なものかもしれない。

◆◆
・・・・・で、村上隆とはナンだったんだろうか?
オタク達は町山さんがぶんぶんぶんぶん怒っても、怒りもせず存在すら眼中にない。彼を評価した人はアートシーンの人々だ。一部の村社会でのみ評価が高い。しかし彼が日本の商業文化を切り取って見せるまでもなく、オタク文化(アニメ、漫画、コスプレ、フィギア)は素のままで世界を賭け巡っている。だから彼を評価している人々というのは結局現代美術というアカデミズムの住人達である。
それは商業美術への一種のコンプレックスなんではないか?既にオリジナルとしてのアートは死に体なのか?「大衆による反逆」はアートシーンにおいては、量産される、コピーされることが前提となった漫画やアニメといったもので生じたといえるかもしれない。それは現代という時代において自然な現象だと思う。
しかしオリジナル作品を描く旧態依然の私としては、その旧態以前の形状によってのみ勝負出来る範囲で、既に葬られつつあるかもしれない美術を続けていくつもりだけど。それがまぁ私のささやかな現代への抵抗ではあるが。
村上の作品は、上記のような行為に及ばなければ、もしくはなんらの商業性にフィードバックされることを容認していたら、大衆とアカデミズムの橋渡しになったかもしれないんだが。もっとも、商業世界の方がパクりは厳しいんだけどね。