四旬節

先週の水曜日、「灰水」などとギョーカイでいう「灰の水曜日」があり四旬節に突入した。
この時機は北半球の温帯なら、長い冬を抜け、春のおとすれを待つ、なにか大気の中にわくわくとして歓びめいた暖かさを感じる時機だと思う。島は春がなくていきなり夏が来るのであまり関係ないけど。秋もないし。一年中ハイビスカスが咲いているし。
それはともかく、この時機は、イエスの復活の歓びを待つ為の時機である。喜びに祝う為の精神的準備を行う季節であり、また悔悛の季節でもある。自らを振り返り己の罪と向き合う時機、或いは償いをする時機などと言われる。しかしそうはいっても既に春があちこちに顔を出しているので辛気臭い気持になるには、歓びと期待のほうが大きい季節だ。だから私たちはこれらの自然の歓びを、被造物の歓びの声を聴く為に、謙遜でいてみようと。まぁそういう季節でもあるのかもしれない。償いの季節とは、自己の外にある世界を再認識し、自分の傲慢で頑固な視点を振り返り、大地の恵みの歓びを素直に、単純に享受できる気持へと変換する季節なのだと。太陽に光り輝く海を眺めながらそう思った。彼方の水平線にちらつく浪の光の煌めきには希望がある。あそこに私もまた存在してみたいなどと思った。
我々も復活の祭において生まれ変わることになるのかもしれない。