というよりは覚書

ルゴフ先生本「中世とは何か」の覚書。
・中世の価値は伝統を註解する。伝統の権威を踏襲するのが基本。新たなものは蔑視される。托鉢修道会の登場と共に「新しい」という価値が評価される。(右肩上がりって発想がなさそうだ・ついでにルゴフ先生は「恥知らずで扇動的」などと評価している。)
・中世の時間は未来じゃなくて、終末へ向かう。中世人にとって古代は高く、現代に近いものは低い。「過去の巨人達と比して我々の時代は小人である」(「薔薇の名前」にも出てきた・・・ガラス職人の処)
・ゆえにたえず「再生」を繰り返している。カロリンガルネッサンス修道院改革の12世紀。大ルネッサンス
・1215年のラテラノ公会議は告解を義務つける。(それ以前は古代からの公開告解。滅多にない)これによって内面世界が生じる。精神分析学、心理学の曙。
・告解慣れしていないので各職種ごとに手引書が作られたらしいよ。
・中世の価値世界は宗教によって構成されているがそもそも「宗教」という言葉自体は今と違っているし今でいうところの宗教という言葉は存在しない。
・経済は倫理の問題であった。商人の登場と共に新たな評価が必要となった。フランシスコの登場。フランシスコにとって「学問」は所有の問題と関わっていた。学問そのものを軽視したわけではない。
・ヨアキムの時代区分は有る意味示唆に富んでいる。父なる神、子なるキリスト、聖霊の時代。
 中世は子なるキリストの時代であり、宗教改革に於けるルターカルヴァン聖霊を問題とする。
・イメージによる啓示は理性によって言語化される。>イメージは啓示と結びつく?
・十字軍はニート対策。
・中世西ヨーロッパの純化によって、周縁の民への差別化は一層過酷となる。
上記二つは今の日本における、或る価値観にも通じるよな。
・ル・ゴフ先生は実は激しく「中世びいき」だと思う。
・正直、中世という社会は政体的にはカオスだよなぁ。
 各々が勝手過ぎ。教会も皇帝も、王様も、修道会も、商人も、大衆も。
 というわけで、中世を異常に教会の権威が強かった時代とかいうのは間違った前提だと思われ。比較としては強いかも知れないけど、のちのフランスの中央集権的な王権とか、徳川幕府みたいなのとか、そういうのと比べると全然へたれ。

・・・・今んとこここまで。