寓意・リエバナのベアトを契機として

ロマネスクからゴシック、そしてルネッサンスへと到る12世紀から15世紀初頭まで、西方の視覚芸術世界は飛躍的発展を見せるのであるが。
先日エントリで度々話題に出したウンベルト・エーコの『薔薇の名前』この表紙画がなんともへたくそなんだか怪しげにお洒落なんだか、不思議図像で本買ったときにすごく気になった。「リエバナのベアトによるヨハネ黙示録注解の挿絵細密画」などと描かれていて私ははじめこのリエバナのベアトってぇ芸術家がおるのだと思っちょりました。

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

↑アマゾンのサイトに飛んで表紙を拡大して見てみたりして下さい。
さて、このリエバナのベアトという人は北スペインのリエバナと言う地の神学者で「ヨハネ黙示録注解」を書いた人なんですね。トレド大司教エリパンドゥスと激しい喧嘩をしたことでも有名。つまり挿絵画家は別のひとです。
エバナのベアトはシャルルマーニュの時代、700年代ぐらいの人で、彼の死後、来たるミレニアムを控え「ヨハネ黙示録」がキリスト教世界では注目を浴びることになるわけで、彼の著作は多くの写本として人々に伝わっていく。その過程で沢山の挿絵のついた写本が出回り、薔薇の名前の表紙となったフェルナンド一世の「ファクンドゥス版」(マドリッド国立図書館収蔵)やエミール・マールがフランスロマネスク彫刻に影響を与えたと指摘する「サンスヴェール版」(パリ国立図書館)など有名なものの他、ジローナ写本、リスボン写本、モーガン写本、ウェルガス写本等々、9世紀から13世紀まで50冊ほどの写本(或いは断片)が現代に残されている。それ以外にもおそらく沢山あっただろうから、かなりのロングセラーであったことは間違いない。
ヨハネ黙示録」は読んでの通り、なんだか寓意に満ちあふれていて、詩なんだか、幻想文学なんだか、怪しい預言書なんだか、電波本なんだか判らない。この不可思議な記述は最後の審判にかかわる光景ゆえに末法思想的、おっかない想像力をかき立てるので、現代ですら電波系の人々が魅了されたりするという聖書の中の鬼っ子である。それ故に聖書編纂の際には「これ入れるのやめようよぉ。怪しさ炸裂で嫌じゃね?」などという議論もあった。
というわけで教会の偉い人々はこの書をどう読み人に説明するか悩むこととなる。あるものは無視し、あるものは脅し文句に用い、あるものは異端に走り、あるものは真っ向から取り組んで注解書をモノにする。ベアトゥスはそんな一人であった。
さて、これら写本を作り出す人々。主に修道士達がその担い手ではあったが、専門の細密画家などを招いて装飾だけさせるということもあった。勿論、修道士達がその担い手である場合もある。ドミニコ会士でもあったフラ・アンジェリコなども写本装飾を描いている。特に気を使わねばならぬ写本(宮廷からの注文)の場合はその道のプロが手がけたりしたようだ。そして数多くの細密画家による様々な図像が産まれる。
これらの画家達は彼自身の想像力を逞しく描くこともあるが概ねは手本となる図像を踏襲しながら自分の力量をそれに加えていく。ベアトゥス写本の多くの図像は概ね似たような図柄である。随分前に早稲田図書館にこれらのファクシミリ版が入ったというので見せてもらったが、どこのヤツか忘れたがあきらかにファクンドゥス版よりはへたくそな画家の手による挿絵が入っていて、それはそれで楽しめた。稚拙ではあるが確かに他の洗練された図像と共通の表現がいくつか散見出来たと思う。
さて、この図像、ヨハネ黙示録という電波なSF本を扱っているだけに、どう表現したらいいのか、画家の想像力の腕の見せ所で、怪物やら、天使やら、疫病、天災といった悲劇を、とにかく当時のロマネスク的力量でうんうん苦吟してひねり出したであろう漫画的表現でみていて飽きない。

ベアトゥス黙示録註解―ファクンドゥス写本

ベアトゥス黙示録註解―ファクンドゥス写本

みたい人はこれをどうぞ↑
なにげなく仕事でこれらから「引用」させてもらったりすることもありましたよ。
さて、これら現実に存在しないものをあたかも存在するかのごとく描く。視覚化して見せる。ロマネスクからゴシックへと到る視覚文化はまさにその、視覚化、そしてまた寓意といった、大衆への教化を目的とした美術が発展していくこととなる。
因みにウンベルト・エーコ記号論の学者さんで、中世の美学なんぞもやっている。彼はこのファクンドゥス版写本についての論文を書いていて、ミラノのフランコ・マリア・リッチというかなり本オタクな出版社からその本が出ている。この書店、ボルヘスのバベルの図書館シリーズを独特の装丁で出していたりして侮れない。で、昔ミラノに行った時、読めもしないのに買ってきたですよ。島の家に置いておいたもんだからこの美麗な本の表紙はカビだらけである。泣)しかも英語版もイタリア語版もないから、おフランス語版でやんすよ。余計に読めないではないか。というわけでエーコ先生のベァトウス図像論文もわが家ではただの絵本(カビだらけ)に成り下がっております。そのうち読める人に読んでもらおうかにょぉ。

怪しげで変な図像本発見。

ヴォイニッチ写本の謎

ヴォイニッチ写本の謎

こ・この絵は・・・!
昔見て「な?なんじゃこりゃ?」と思ったヘンテコ絵画ではないですか。これも「買い物カゴに入れる」をぽちっとな・・・。訳者が「悪魔学大全」を訳された松田和也さんですね。懐かしいです。以前、あの本を訳されてすぐの頃にお会いしましたが、あの怪しげな本とは裏腹の「見た目は」普通の人だった。こんなお仕事をなさっておられたとは。青土社国書刊行会に負けず劣らず「変な本が好き♪」な編集者が多い気がする。銀座のメジャーな書店で「うちでは採り扱いしてない出版社です」などと言われていたが地道にこんな本を出してくれていて嬉しい。本屋がダメになったのはクズみたいなビジネス本とタレント本ばかり置くような似たような品ぞろえの本屋が増えたからだと思う。魅力ある本屋が少なくなった気がするもんなぁ。その点、京都のじゅんく堂はすごかった。思想書と哲学のコーナーのボリュームがすごいうえにマダムブラバツキーの本をあんなに大量においてある処も珍しいと思った。今はどうなったんだろう・・・・・。
(以下続く)