カタリ派ゲーム

SCHOLASTICUS LUGDUNENSISのchorolynさんがこんなゲームアイディアを。

http://d.hatena.ne.jp/chorolyn/20051215/1134607637
ちなみに、中世史でゲーム化したら面白いネタないかなと、昔妄想してたことがありました。

カタリ派をゲーム化するとどうなるかとか。
南仏都市をどんどんカタリ化させて、最終的にはフランス・イタリアなどをカタリ派に染め
上げていくシュミレーションゲーム。
ローマ・カトリックをいかに切り崩しつつ、世俗権力を「調伏」させて取り込んでいくか。
教皇に十字軍発動させない程度に、こっそりと、しかし的確に王や諸侯をカタリにさせなく
てはならないとか。
托鉢修道会登場すると、一気にカタリ化浸透が難しくなるとか。
清貧・貧者・病人の世話などを徹底して、民衆の支持をあつめ、領主などの家族の女性をカ
タリ派にすると、一気にその地域のカタリ布教しやすくさせるとか。
その場合の最大の難関がフランス王家。ここを落とせば、しめたものにするとか。
ローマを「異端」扱いできれば勝利とか。

中世末ではフス戦争版を用意してあります。とか

面白い!!!!!!!!
やってみたい!!!!!!!!!!!

なもんで、コメント欄で・・・・

# antonian 『メイドさんから飛んで来ましたが(笑)
カタリ派ゲームいいですね。やってみたいなぁ。同時代の他の異端も採り入れないと。やっぱ「論破」「軍事」「賄賂」とか色々戦略ありですね。聖ドミニコは危険ですよ。「カリスマ」「奇跡」というスーパーな技があります。「論理」数値も高いし。聖フランシスコとその会士達は「所有の問題による異端性」という欠点を抱えているので切り崩しやすいが「教会従順度 100」という恐るべき数値があるからなぁ・・・。

# chorolyn 『あんとに庵さま。ようこそいらせられませ。
カタリ派ゲーム、やってみたいですよねぇ。光栄あたりで作ってくれんかなぁなどと思っていますよ。
ドミニコは弁が立つから危険ですね。しかしカリスマ度が低い。信徒に対する魅力が低いと思われます。これに対する攻略法は、世俗諸侯を唆して速攻で潰します(笑)。教会側で最大の敵はやはりフランチェスコです。こいつは半分異端ですから。いかに彼に付き従う連中をこちらに取り込むかにかかっています。他の異端とも連携しつつ切り崩すしかありません。しかし最大のネックは、カタリ派では奇蹟という切り札が出せない点が痛い。
ちなみに聖王ルイ編になると、さらにゲーム難易度が上がるとか。
不謹慎妄想ばっかりでいかんです。この辺でやめて起きます。
>「クレド」〜
そんなゲームがあるんですか?もの凄く興味ありますよ。』 (2005/12/17 01:09)
# antonian 『こちらこそ宜しくです。光栄さんには是非そのシナリオを売り込んで下さい。
ドミニコは聖職者に対するカリスマ度が高いから危険なんですよ〜。民衆には低いけど、ただ「清貧」を貫いたりしているので民衆の支持立アップな行動性があるしなぁ。だから寧ろ聖職者に対抗言論能力を持つ武将・・いや、神学者を配置しないといけない。早くからパリ大学で成長株を育てておかないといけないです。フランチェスコは勿論カリスマ度、民衆に対する「魅力」も100なうえに教皇に対する従順度も100なのですごく大変ですが、会内部の対立を煽る。聖アントニオ(もしくはウゴリーノ)を取込むか、その取り巻き連に「写本」を賄賂で立て続けに贈るとフランシスコは孤立して戦闘力が著しく低くなるので崩せるでしょう。但しこれはラヴェルナ山での聖痕の奇跡が起きるまでですね。奇跡が起きてしまうと一気に回復してしまうんで。あとは「三人の伴りょ」攻略しかなくなります。かなり手ごわいです。強烈なクララも控えているし。
カタリ派では奇蹟という切り札が出せない点が痛い。
ワロス
聖王ルイ編ってのはすごそうだなぁ。。。。難易度異常に高くはね上がりますね。プロレベル。改造コードがないと素人さんには無理。

・・・・なんちゅう話をさせていただきましたが、面白いよ。カタリ派ゲーム。
コメント欄で沢山書くのも悪いので独立エントリ作成いたしましたです。
いやぁ、いいアイデァだなぁ。異端シュミレーション。

ヨアキム主義なんかも絡めて欲しいな。フランシスコ会はそれで切り崩せるかもしれないけど逆に強烈なライバルとなる可能性大。

実は今回の旅の土地こそまさにカタリ派がいた土地の近くでアルビなんて異端撲滅の為の壮麗な聖堂がエキセントリックにどどんとあるらしい。そしてその前に南仏を旅した時はカタリ派の足跡を追ってカルカッソンヌからモンセギュールまで足を伸ばしたりしたのですよ。モンセギュールの最後の攻防は涙なくして語れない。そのモンセギュールはいまや打ち捨てられた廃虚の城となって山の上に存在しているのですが、人を拒絶するような岩山の地形とふもとに身を寄せるようにある山村の寂寞とした光景が沈黙のうちの彼らの無念を語っている様で、判官びいきな日本人的にはもうなんと申してよいのやらな気持ちになりましたです。
その無念をはらすゲームなんて心躍りますよ。(わたしゃ、敵方のローマ・カトリックですが・・・笑)
モンセギュールは一度見る価値ありなところでしたが、山登りが実は大変で、攻める方もかなり苦労したのではないか?などと思います。帰国してから偶然にもカタリ派をテーマにした佐藤賢一氏の「オクシタニア」の仕事をいただきましたが、この小説の舞台を肌で感じて来た身には激しく面白かったですね。佐藤氏は何故かフランスに行ったことがないというのにフランスを舞台にした小説を幾つも書いていて、「カルチェラタン」あたりからやっとおフランスに足を運んだという想像力の権化みたいな人でしたが、「オクシタニア」を書くに当たっては確か現地に足を運んだと聞きました。あの地形見ずしてあの攻防戦は書けないだろうと思いましたです。

オクシタニア

オクシタニア

カタリ派の旅に持っていった本

異端カタリ派 (文庫クセジュ 625)

異端カタリ派 (文庫クセジュ 625)

上記の本によるとモンセギュール城には難を逃れた人々が400人から500人いたといわれている。モンセギュールの山は岩山でありかなり尖っている様な地形であり、山頂の城の面積は小さい。今は外壁だけが残るばかりとなっているが、山頂の形に従っているためなのか細長くーフェルナン・ニールによると元はマニ教の神殿であったのではないかという。ー城の規模は思ったよりも遙かに小さい。何百人もの人を収容できる面積とは思えない。周りに小屋を建てて住んだとしてもかなり過酷な環境である。攻撃が峻烈になれば城の中に入っただろうことが想像されるがあの狭い城に閉じこもっていた人々の思いというのは想像を絶する。聖職者達、領主達の家族や従者。女性や子供もいただろう。攻撃側はこの岩山を攻めあぐね、バスク人の兵士を雇う。ピレネーの岩山に暮らす彼らにとっては屁でもないに思える。なんせピレネーもまた岩山が続く過酷な地形を形成している。しかしそのバスク人ですら、モンセギュール攻略はてこずったようだ。
最終的にこのモンセギュールの麓で火刑に処されたのは総勢200余名。今もその碑が麓に建っている。