姉歯「元」設計士

横浜を発つ時は連日このニュースで、島に来てからはテレビを点ける習慣がない(横浜では親が見ていた)ためにその後は知らないが、なんだか色々な会社とか社長とか組織とか出てきてわけ判らんです。木走さんとこ覗いて「ふ〜〜ん」とか読むだけで精一杯。とにかくエンジニアとしての倫理がブッ壊れているというか、親父もエンジニアだけど譲れない最後の一線というのがあり、コストダウンをはかろうとする奴との壮絶な戦いは「安全」というものを守るエンジニアとしてのプライドをかけて勝利を勝ち取るものだったりしたわけで。「信じられない」「理解不能な」もののようだ。姉歯氏は気弱そうな人で立場も弱そうなのと、もっと悪い黒幕がいるみたいなので、なんだかえらく叩かれていて気の毒だと思うが。
しかし「コストダウン」が優先されている状況というのはあちこちで見られ、多くの中小企業が倒産したりリストラされたり、「景気が回復した」なんて嘘だよなぁ。張りぼての景気回復など絶対に無理が来ると思う。景気を回復させたいなら今一度企業倫理を建て直し、職人や技術者を大切にし日本という国家を構成する人材の、あるいは企業の信用を勝ち取るしかないと思うよ。無理のあるコストダウンをさせれば最終的に日本が培ってきた信用も失い失墜すると思う。そうなったら悲劇だし取り返しがつかないよ・・・。それこそ姉葉氏が自らの行いで招いた「プロとしての信用の喪失」が国家規模で起こるかもですよ。
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で、わたくしは自分自身を親父同様、第2次産業従事者だと思っているが、自分の手で造り出したもので稼いだ金でないと信用が置けない。そもそもがファイナンシャル脳が無い為に右から左へものを動かした利鞘で稼いだ金というのは理解不能なので、なにかわけの判らないものとして映ってしまうだよ。我ながら経済面に激しく疎いのはなんとかした方がいいとは思うものの、やはり身に染みついた職人的根性がそれに関する脳の部位の発達を妨げているようだ。なもんで、まぁ昔ながらのプロレタリアートであるなどと思っている。
プロレタリアートな視点で見ると、職人や技術者(あるいは農民や漁業を営む生産的活動に従事する人々)を育てるというのは、ファイナンシャルな人々にも激しく有益なはずなんだが。托鉢をしながら生きていくフランシスコ会の修道僧は世俗にあって生産する人の余剰生産物をわけてもらうことによって成立するように、ファイナンシャルな人々も工業製品なり、農作物なり、あるいは知的生産物といった生産者がいて、そういうのを生産する企業に投資したりして生きているわけで、搾取するよか、育て上ないと息が長く続かないと思うのだよ。少なくとも昔の投資家というのはリスクを背負うのを覚悟で投資していたりした。育てる意識で投資していたからだが、小説などで投資に失敗して破産した貴族や富豪なんて話も出て来るよなぁ。昨今はちまちま稼ぐが「育てている」という自覚のある投資家はあまりいないんじゃないか?などと邪推しちゃうよ。ファイナンスに疎いので良く判らないけど、オルテガさんの言うところの貴族的市民としてではなく無責任な大衆の反逆が投資世界にもあるのかもなとか思ったり。
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・・・そういや托鉢修道僧は「世の中の人の恩恵によって生かされている」立場だよ。よーするに乞食坊主。ファイナンスな方々も少し謙虚になった方がいいじょ。昔うちのばあちゃんが「おコメには7人の神様がいる」とか「おコメの一粒一粒にはお百姓さんがいる」とか言っていたけど、株なんかやる人は「株にはその会社の社員一人ひとりの血と汗と涙がある」とか思いながらやるといいと思うだよ。それだけでもなにか意識が変るかもしれないよ。どうだろうか?