トマス・アクイナス

スコトゥスなどの話の流れで、F神父がトマスの「神学大全」を「ありゃ、神学の入門書」「学生の勉強用だ」とか言っていた。へぇ。
確かにすごくマニュアル化されているもんなぁ。はぁ。
とりあえずトマスは「読める」けど、スコトゥスは寝るもんよ。なるほど。
で、ハテナのキーワードでスコトゥスを見ると・・・
「イタリアで話題沸騰のトマス・アクィナスの『神学大全』とは正反対に、哲学と神学を分離した。」

・・・などという記述がある。
スコトゥスはともかく、「イタリアで話題沸騰のトマス・アクイナス」ってなんだ????

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神概念のメモ

高柳俊一氏が神学の紀要本に福田誠二師の著作の書評を書いていた。
ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスのペルソナ神学』
スコトゥスの神概念の福田師の記述の引用をしながら書かれた箇所。

スコトゥスにとって「神」(Deus)という語は単にキリスト者と共にユダヤ教徒
あるいはイスラム教徒にとっても共通の普遍概念を意味するだけではなかった。
「神」とは「ある特別な固有な概念把握の理拠下における『神』概念、すなわち
『この本質』(haec essentia)としての『神』概念、つまりキリスト教徒のいう
ところの『三位一体の今ここに現存している3つのペルソナである神』としての
神概念を同時に意味している。当然のことながら、我々は『このもの』(haec)
という語から、存在するものの個別性に関する彼の有名なテーゼである『このも
のであること』(haecceitia)という語をただちに容易に連想することができる
ように、この『このもの性』という語は本来三位一体の神の三つのペルソナにお
ける『このペルソナである神』の固有性を表すために、スコトゥスが厳格な概念
構成の上に構築した概念である」(33頁)スコトゥスは哲学上の一般概念として
の神と神学上の「このペルソナ」としての固有な神とを区別し、後者の理解を深
めようとしたのである。

前エントリで書いていた神概念についての一つ。ということでメモ。
だから三位一体は美しいと思うのですがどうでしょう。
『このもの性』とか私にゃぁ、なんやよう分からんけど、このような三位一体の証明を読むとなんとも音楽が聞こえてくるような感じがするのですよ。構築感が美しいですよ。
そんな変なのは私だけでしょうか?

神の三位一体は、全ての被造物にその痕跡を示すらしいよ。