相変わらずディック

流れよわが涙、と警官は言った

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

壮大な太極図に放り込まれた人間達の苦悩と抵抗の話を書いた『高い城の男』同様、こちらも異なる価値世界というパラレルに放り込まれてしまう男の悲劇を書いています。
前提はものすごく有名である主人公がいきなり一夜でその世界に認識されていない存在になってしまうという前提で、当たり前に彼を受け入れてくれていた世界がいきなり裏切るという恐怖に立たされる。という舞台装置を設定したディックは相変わらずその面白そうな設定よりも自分自身のテーマを探求しまくっています。どんなにものすごい設定でも彼にとってはどうでもいい素材なんだろうなぁ。
その最終的に明かされる仕掛けには「胡蝶の夢」のごとき、はかない現実存在といった問題もあり、まぁある種のロマンチズムを感じなくもないです。彼を追う警官が秩序の番人であり、その異相を許さないがゆえの彼の悲劇というのもあって、結局秩序ある物理に支配された「現実」世界の胡蝶の夢的な脆さとその脆さによって翻弄される人間という、ディックならではの現実感のズレまくった世界がどんどん展開されていくわけです。ああ怖い。

・・・ところで有名である。というのは怖いことです。いきなり見知らぬ人が自分自身をすごく知っているという、それでニコニコしながら声をかけてくる。こういうのが日常であるというのはすごく辛いことだと思うのですね。家人の件で警官に「有名税」という言葉を吐かれ異常にムカついたことがありますが、有名であるというコトはプライベートは存在しないという恐怖。しかも市民なら適用されてしかるべき法すら彼らを守ってはくれない。敷地内に勝手に入り込んでくるファンとかマスゴミ人間とかは不法侵入者として突き出したくても突き出せないわけです。皇室の雅子妃がノイローゼに陥るのも無理はないと思います。彼女を追い詰めたのはマスコミだけではなく根源は日本の国民の興味だと思います。舅や姑が異常に沢山いるってどうよ?
しかし反面そういう立場であること自体が重要である仕事では、それがないというのもまた恐怖なんでしょうね。幸いにして家人はあまりそういうのに興味がなかった性で今は忘れ去られた存在としてのんびりしていますが、一生涯の仕事としてそれがアイディンティティとなっている人というのはそのジレンマの中で辛いだろうなぁなどと思います。