ダイイング・メッセージ

隆慶一郎を相変わらず読んでいます。徳川家康の影武者の話とか、未完の葉隠れ武士を扱った小説を読みましたよ。

死ぬことと見つけたり(上) (新潮文庫)

死ぬことと見つけたり(上) (新潮文庫)

葉隠」は読んだことないんですが、隆さんのこの小説は「葉隠」を題材にした死を自らのものにして生きる武士たちが出てきます。この話を書いておられるときに作者は亡くなられたわけで、因縁深い作品ともいえますね。「死」に相対する様々な人々が出てくるのですが、全編が「モルテ」な色で占められているわりにあっけらかんとしているのはすごいです。これは隆さんの「死」に対する概念なのでしょうか。隆慶一郎さんが第2次大戦の時、兵隊に採られた経験があることも左右しているのかもしれません。葉隠れを成り行きで戦場に持っていく羽目になったというエピソードを小説の冒頭に残しています。彼はどの作品でも「いくさ人」を尊び、策を弄し無様に生きようとする人間を侮蔑しています。
ところで、愛蔵太さんがこんなエントリを。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050711#p1
ミステリーの小説や漫画などでおなじみの「ダイイング・メッセージ」
(被害者が最期に探偵役や読者に「推理のヒント」となるようなメッ
セージを残しておくこと)なんですが、歴史上の有名な人物その他で、
フィクションではなく本当にダイイング・メッセージを残して死んだ
人というのは実在するのでしょうか。するとするなら、それは誰で、
どのようなものだったのでしょうか

死ぬ瞬間にメッセージを残しながら死ぬという光景は壮絶ですね。歴史上の人物で・・というと、殉教者聖ペトロという人を思い出します。殉教者聖ペトロはジョン・ソールの小説タイトルではなく、中世に実在した人物で、異端審問のし過ぎで怨まれて殺された修道士というトンでも聖人です。

殉教者聖ペトロ(1205-1252)
ドミニコ会修道士。異端カタリ派の荒れ狂う北イタリアで生まれる。ボローニャ大学に学び、叙階される。異端審問官として異端者であるベネチア貴族の財産を没収し、その性で怨まれ、暗殺者の手で殺される。ドミニコ会で始めての殉教聖人。

しかしそのエピソード以上に彼のトンでもなところは彼を著した絵などに見ることが出来ます。どのようにトンデモかというと、↓こういう感じ。


上記のベアート・アンジェリコの絵では頭から血を流している異様な彼を見ることが出来ますが、彼はこのようにいつも「頭をぶち割られ、血をだらだら流した状態で、何故か祈ったり、佇んでいたり、微笑んでいたりする」という姿で表現されるのが決まりです。アンジェリコの絵なんかまだおとなしいほうですが、他にも殺害道具であった「鉈を頭に突き立てたままにっこりと微笑を浮かべて祈っている姿。」というものまであります。
こんなの↓

この絵の画家ロレンツォ・ロットは真面目な気持ちで本当に書いていたんでしょうか?まぁ、聖ペトロだけでなく、石打で死んだ聖書の登場人物、聖ステファノなどもその頭に石をくっつけたままの姿で現されていますから、この時代の人はお約束としてみていたんでしょうね。
聖ステファノ↓

プラートにあるフィリッポ・リッピの絵です。プラートの守護聖人はステファノで、この町には聖ステファノの絵が沢山あります。この絵では髪の毛を結っているように見えますが、これは石です。アッシジの町で見つけた聖ステファノの像は手に石を持っていました。

さて、話は戻りますが、この聖ぺトロ、殺されるときにダイイング・メッセージを残しているんですね。自分の血で地面に「credo」などと書いているんです。クレドキリスト教徒の使徒信条の出だしの言葉で「我信ず、天地の創造主〜〜」などとミサ中に唱える文句であり、キリスト教の基本中の基本の教義をまとめたものです。三位一体の神を信じるこの信経を唱えないのは異端者です。ですからその彼の死の間際のメッセージで「異端野郎が下手人だな!」とすぐ分かったという按配ですね。しかし、ラテン語のcredoは単純に「信じる」という意味で、とっさに書くにしても、信経をダイイング・メッセージにするというのも変ですよね。もっともカタリ派の貴族に怨まれまくっていた彼ですから至極当然に上記のような解釈がなされたのでしょうが、実は違っていたらどうなんでしょうねぇ。この話は「黄金伝説」に出ていたと思いますが、なにぶん島に置いてきてしまったので詳しい話を確かめるすべがありません。

しかしこの時代の修道者は「殉教する」というのは憧れだったようで、わたくしの守護聖人であるパドヴァの聖アントニオも「モロッコに行ってイスラム教徒に殺されたい」などとあらぬ妄想を抱いてフランシスコ会に入ってしまいました。しかし彼はモロッコに行く船の中で激しい船酔いになり、殉教するまもなく床についてしまったというアホ臭いエピソードを残しています。

葉隠れ武士と中世の修道者達。死に対する態度がちょっと違う。葉隠れ武士はかっこいいけど、アントニオ様のは間抜け臭が漂います。しかも彼らにとって殉教は聖人への近道ですから葉隠れ武士とは前提が違いすぎます。しかし死を恐れないという点では共通しています。そのキリスト教徒の死への態度を「葉隠れ武士の目から見た島原の乱」として隆慶一郎は小説に書いていました。流石に島原で肝を据えたキリシタンたちは違いますね。間抜けではない凄惨さがあります。