死者と生者の間にあるもの・3

2でお話した、ドイツ人を中華街の関帝廟に案内しました。日本の中の異国文化というので面白いと思ったのですね。そこは華僑の人々にとっての霊場であり、中国人にとって大切な場所で、観光客に混じり、多くの人が祈りに来ていました。堂の前には大きな炉があり、そこを覗くと沢山の紙銭が焼かれていました。彼がそれを見て?という顔をしたので、紙銭を焼くというのはどのようなものか教えました。
中国人にとってあの世とこの世は常にたやすく行き来できる場所だと考えているようです。「霊幻道士」という映画がありましたが、あれは彊屍(キョンシー)というゾンビが暴れまくる映画でした。シリーズもので数巻でていて、道士が使い魔として二人の鬼(幽霊)を連れて歩いているという設定のものがあり、その鬼に新しい服を買ってやるんですが、あの世のものが着るようにするには一回焼かないとダメ。というので買った服を焼くという光景が出て来ます。同じように中国人達はあの世にいるご先祖が豊かな暮らしが出来るようにと紙銭を焼くのです。以前、陝西省の漢中という街で、なんとなくやることもないのでぶらぶらしていたら露店でこの紙銭が売られていました。共産中国でもこのような習慣は廃れずに残っていたようです。面白いのでそのおもちゃの札束を買ったのですが、10億元とかあり得ない数字が書いてありました。香港などでは葬式行列は派手で、亡くなられた方があの世で困らないようにと墓場で焼くための家財道具など一式を紙で作り行列の人々が運びます。ベンツとかソファーとかオーディオ機器まであったりするのが面白い。
そのような概念に培われた紙銭の習慣はドイツ人にとって理解しがたいものだったようです。説明を聞いた時、顔をしかめて「信じられん」と言わんばかりでした。でも、私はそのような中国人のあの世とこの世の境の概念は面白いと思いましたね。たしかに彼の「即物的だ」という批判は同じように感じますが、そういう括りで判断するとつまらない。その「即物性」が作り出した想像力がなんだか面白いのです。
清代末期の中国でよく読まれた瓦版に「点石斎画報」というものがあります。いわば現代の写真週刊誌です。みごとな腕の絵師が当時のニュースを書きつづっています。清仏戦争日清戦争の様子や、天津での鉄道事故の様子、胎児のスープを作って売る銭湯の猟奇的事件、ニューヨークの摩天楼、このように時事ニュースや社会ニュース国際ニュースなどが絵によって紹介されています。写真より趣がありますね。その中で意外に多い量をほこるのが「あの世」の存在がこの世に出てきて人を驚かせるニュースです。化けて出てきた幽霊とか、あきらかな妖怪とか、前述の彊屍まで登場しますが、とにかくこの時代の中国人にとってこの世ならざるものは身近な隣人だったようです。
なんとなく、そういう文化は面白い。