死者と生者の間にあるもの・2

今回は死者というよりは消える価値の話です。



uumin3さんのところで、面白い紹介がありました。
朝鮮の李朝の時代にあった身分制度です。

uumin3の日記
両班とは
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050522

知り合った韓国人留学生の何人かは自分の家の過去を「両班(ヤンバン)」であると語っていました。
でも最初にこの語を聞いた時には全く知識がなく、そういわれても何の感慨も湧きませんでした。

 李朝の政治システムはChina王朝の制度に由来します。絶対権力者の王の下、文官・武官の両官僚
群が合議で政務をとり行なうというシステムです。この文官(文班)と武官(武班)を合わせて「
両班」と呼びます。(しかしこれが「身分」になってしまったのが問題でした)
(以下略)

儒教の本家、中国にも見られない独自の身分でしょうか?
uumin3さんが引用して下さった東洋文庫の一文にはびっくりしました。

「(両班は)現在、この国の大きな災厄になっている。なぜなら、両班階級の人口が途方もなく増大し
たため、彼らのほとんどが極貧におちいり、強奪や搾取で生活しなければならなくなったからである。
すべての両班に品階と階級を与えることは、現実的に不可能である。しかし全ての者がそれを望み、
幼少の頃から官職の道に向かって科挙の準備をしている。ほとんどの者は、他に生活の方法を知らない。
彼らは、商業や農業、あるいはなんらかの手工業によって真面目に生活の糧を稼ぐには、あまりにも高慢
であり、貧窮と奸計のなかで無為に世を送る。彼らはいつも借金で首がまわらず、何かちょっとした官職
の一つも回ってこないかかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為を尽くし、それで
もなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。宣教師たちが知っていたある両班などは、
3、4日に一度しか米にありつけず、厳冬に火の気もなく、ほとんど服も着ないで過ごしながらも、いか
なる労働に従事することも最後まで拒絶し通したものであった。何かの労働に就けば、たしかに安楽な生
活は保障されるであろうが、その代わり両班の身分を剥奪され官吏の地位につける資格を喪失するため、
彼らは労働することを拒むのである。」
 (シャルル・ダレ『朝鮮事情』平凡社東洋文庫

朝鮮の儒教に対する影響は並々ならぬもので、韓国のカトリック教会などでも、神父は日本では考えられないほど尊敬されるそうです。しかし身分制度の中でこのようなものまで存在していたというのは面白いですね。「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、極貧の武士が傘貼りなどをしていた光景は今も時代劇にでて来ます。李朝朝鮮の場合それがもっと過激にこのような光景となって顕れているというのは面白いです。現代に生きる我々から見るとありえない現象と申しますか。

昔、あるドイツの貴族と食事をする機会がありました。彼はバイエルン地方の一領主の一族の末裔で、ワイマール政権の時代には非常に羽振りが良かったようです。連日、城では舞踏会が開かれていたとか。その彼の「生まれた家」というのを写真で見せてもらったのですが「シャイニング」に出て来るホテルのような城で「いったい何部屋あるのよ?」と聞いたら「判んない。数えたことがない」と答えておりました。一庶民の感覚からは「こんなに部屋数があってもなぁ。。。維持が大変だろうなぁ」ぐらいにしか考えられません。実際、聞いてみると維持は大変で、今は彼のその家は一族が経営するホテルになっています。一族でどこは誰の担当と決めて経営しているそうで、彼はそのホテル業の一環として、スパなどの健康医療の為にミュンヘンの研究施設で学びながら働いているということです。はっきりいって、広大な領地とこの馬鹿みたいにでかい城を手放してしまえば彼らもこの建物に縛られなくて自由な生き方が出来るんでしょうが、そこは領主のプライドが赦さないのでしょう。

両班もかなり馬鹿げています。犯罪までして生産業に携わらないという矜恃を守ろうというのですから、ただの馬鹿です。しかしそれにはそのように生きざるを得なかった彼らの価値の悲哀を感じざるを得ません。ここには金銭や合理性で計ることの出来ない別の価値があるのでしょう。現代に消えて行った価値の一つだと思うのです。

現代に顧みられない「小さくされた人々」というのは貧しい人、社会的弱者、搾取される労働者、土地を持たない農民、母子家庭、子供たち、身体の不自由な人々。そうした方たちで、たとえば教会などでもそうした方の力になろうとして来ました。また社会の一般的価値でもそういう人は守らねばならないというのはいつも言われることです。まぁそれが社会共同体で生きる人の常識ともいえます。

しかし、上記のような貴族達。彼らは省みられません。かつての支配者なわけで、やな存在って案配なのでしょうが、しかし私はそうした、階級闘争の果てに「負けて」しまった人々の悲哀を感じざるを得ないのです。彼らの価値は現代では確かに評価することは出来ないでしょうが、しかし彼らが大切にしてきたなにがしかが奪われてしまったというその喪失感に悲哀を感じるのですね。若い頃「斜陽」に酷く共感したことがありますが、滅び去るものの美学といいますか、滅びんとするなかで敢て転落を覚悟に逆らいながら生きようとする人の性というのは不思議です。

フランスの地方領主の家柄に生まれたヴィリエ・ド・リラダンは大変に古い貴族の家柄の人でした。先祖は十字軍のマルタ騎士団に由来します。かれはブルジョアをとても嫌悪し、労働者と貴族というものを愛したそうです。彼自身は激しく極貧で、最後は養護院で面倒をもてもらっていました。彼の友人であったユイスマンスは彼のその(ある意味馬鹿げた)高潔にある種の美学を感じていたようです。ユイスマンスは困窮する彼を助けていました。わたしはなんとなくユイスマンスに共感します。

もうそういう時代ではないですが、しかし消えてゆかざるを得ない価値に取り残された人々というのはもっとも顧みられないわけです。そういう「顧みられない価値」は現代にも幾つか散見できます。かつての「知識人」というものも姿を消していったように思えます。優れた「職人」の技も消えゆく寸前のものが多数あります。大量消費の時代に顧みられなくなった存在です。文化的価値のあるものは顧みられますが、市井の多くの技のなかには消えていってしまったものも多いでしょう。

そうしたなかで、カトリック教会の「伝統」というものの価値も存在しているように思えます。消費するという経済性、あるいは人間社会の中での合理性という価値で計るとカトリックの「伝統」はとても馬鹿馬鹿しく映ります。カトリックが伝統的に守ってきたものというものは社会の価値からすると生産性もなく、懐古趣味的で意味を持たないものが多いように見えます。しかし、それらはそういう社会の価値とは違う、まったく違う次元のものであるのですが、昨日書いた通り、現場の司祭が既にそのように考えはじめているわけです。

ラッツィンガーがいう「秘跡を中心に考えろ」という価値は現代に照らせばあたかも中世に引き戻されるような後進性を感じるのでしょう。保守的であるという指摘はそうした中で出てきています。確かに多くの倫理に関する事柄、妥協しない項目において、「理屈ではその通りかもしれないけどね。しかし・・」と言いたくなるものがあります。倫理に関してはラッツィが守らんとするその意図も理屈ではわかるのですが、しかし現実にそれによって引き起こされる多くの悲劇にどう対処しなければならないかということも受け止めねばならないとは思います。
しかし「聖」の問題においては、中世ヨーロッパに庶民との関わりとのなかで育まれたものが多く、その事柄から学べるものもあると思うのですね。聖書解釈が主流になるとどうしても中世はないがしろにされがちですが、聖伝が伝える芳純な「信仰」が古代から現代までを繋ぎ、現代に生きる我々へとその結実をもたらしたといえます。
たとえば「聖人」中世はこの崇敬が盛んでした。昨日、紹介したエントリにはこれを否定する神父の言葉がありました。しかし教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀に時に見た宗教を超えた彼への民衆の反応。それこそ「聖人」の意味するところでしょう。まさに聖フランシスコが亡くなった時に起きた現象と同一です。
幾つもの伝統を「古くさい」と捉え、捨ててしまおうとする視点には、上記の光景はどのように映ったのでしょうか。

消えゆく価値の中にも見直すべき大切なものがあると私などは思うのです。生産という経済の観点から見た価値、消費される価値、新しくなければいけないという発想から立ち止まって、違う視点で見ると見えてくるものがあります。我々の目には大層馬鹿馬鹿しく映る「両班」が守ったものもあったのかもしれません。わたくしは朝鮮の歴史も現実もまったく判らないので、それがなんなのかはなんとも言えませんが。
両班について、補追
こんな記述を見付けました。

シャルル・ダレ:実話として  193−194頁
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html
「みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班郡衙の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた
4人の捕卒が行き会い、その外見にやや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者では
ないかと思って、ぶっしつけな尋問をした。すると両班は答えた。「はいそうです。私の家までついて
来て下されば、共犯者も教えますし、盗んだ品物を隠している場所も教えます。」捕卒たちがついて行
ったところ、この両班は家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕らえさ
せ、さんざん殴りつけた。その後その3人からは両眼をえぐり取り、残る一人からは片方の目だけをえ
ぐって、次のようにどなりつけて彼らを帰した。「この野郎ども、分かったか。これからはよーく見て
歩け。おまえ等が郡衙に帰れるように、目の玉一つだけ残してやったのだ」

う〜ん。こりゃ美学的でない存在だな・・・(^^;
やっぱりニートか。。。