寒い国から来たスパイ@バチカン

ダ・ヴィンチ・コード」という本は良く売れているようだ。日本だけでなく世界中で。「ゲームの達人」並のエンタテーメント小説で、しかもネタがト本並のアレ。今更バチカンがそんなネタで動くかよ?!そんなナイーブなトコならとっくに滅んでおるわい。という説得力もない動機で物語が進んでいくために、私としては読み進めるうちにしらけてしまったわけだが、どうもやはりバチカンぁゃιぃ場所だと思う人が多い。ずいぶん前にある仏教の僧侶に「カトリックの司祭は信徒には知らされることのない秘密の奥義を受けているはずだ」などと主張され困惑したことがある。知らされない「奥義」って、ああた武芸書の読み過ぎでは?と思ったんですが、仏教ではそういうことでもあるんでしょうか?とにかくぁゃιぃバチカンは人の想像力をくすぐるようですが、実際、ぁ心をくすぐられたくなるネタがヨーロッパなどではよく飛び交うようです。

先日イタリアの新聞「コリエレ デラ セーラ」にこんな記事が載った。

?L’amico di Wojtyla informava le spie?
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2005/04_Aprile/28/pretespia.shtml 

イタリア語だよ。判んないよ。
・・・・という方の為にはこれ。↓eireneさんが下さった。

http://www.suntimes.com/output/religion/cst-nws-vat28.html

英語だよ。判んないよ。
・・・・という方はウエブ翻訳して下さいです。馬鹿臭い訳になります。

つまり、「前教皇ヨハネ・パウロ2世の側近にスパイがいた!」というネタです。ドミニコ会のKonrad Stanislaw Hejmo という司祭がDominikという名前で、ポーランドのヤルゼルスキ政権に協力していたらしい。

ローマ特派員@あんとに庵から、以下の記事と疑われた神父のインタビューを受け取りました。

4月28日 スパイ in ヴァティカン

IPN (国民記憶院)のレオン・キエレス局長が、「前教皇のそばにはポーランド
秘密諜報機関の情報員がいた」と発表した。IPNが管理する共産政権時代のアー
カイブには、教皇が「連帯」の闘争を支持していた80年代、“ハイナル”、“ド
ミニク”のコード・ネームで情報活動をおこなった人物について800以上もの記
録があり、調査によれば、ポーランド人のドミニコ会士、コンラド・ハイモ神父
(69歳)こそがその人であるという。もっとも「彼はスパイというよりも、中継
点としての働きを担っていた」と付け加えているが。

「コルダ・コルディ」の藤壁の向こうは静かだった。教皇ヴォイティワ〔=ヨハ
ネ・パウロ二世〕の死までは幾千万のポーランド巡礼団の総宿舎。今はからっぽ。
小柄なシスターがかばおうとする。コンラド神父は「不在」だと嘘をつき、顔を
赤紫にする。そして、ついにポーランド人ドメニコ会士のふさふさの白い髪が顕
現したとき、彼女はぱっと顔を明るくした。

−コンラド神父、お逃げになりませんの?
ヨハネ・パウロ二世秘書のスタニスラオ枢機卿は、どうどうと釈明しなさいと
言ってくださいます。しばらくしたら、ナヴァロ=ヴァルス主席報道官が説明し
てくれますよ。悪意はなかったんです。しかし、修道院長たちは私に逃げて欲し
いようです。メディアの圧力がひどすぎますし、ここで私にできることは、もう
何もありませんから。[略]」

−すさまじい糾弾ですが、あなたはポーランド諜報機関の情報源だったんです
か?
「私たちのほとんどが、望まずながらそうでしたよ。ポーランドの聖職者は一人
一人みな監視されていたんです。〔昼食の席で〕教皇と話したとき、彼も、この
守護天使たち’〔ポーランド政府がつけた監視人〕の存在を知っていると言っ
ていました」

−その昼食はいつのことですか?
1984年、私はスタニスラオ猊下に、教皇との昼食にまねかれました。食事中、
他の司祭たちが自分たちの監視人について話し、私もアンドレイのことを話しま
した」

教皇はなんと?
「自分にも監視人がついており、その何人かはクラクフにいると。突然こんな議
論が出てきたのは、彼〔教皇〕がもう何も話せないからですよ」

−でなかったら、あなたをかばっただろうと?
「えぇ、もちろんです」

教皇に近しかったんですか?
「心から愛していましたよ。みんなが「顔を見せないだろう」というときだって、
私は彼の窓の外にいて、出てらっしゃるだろうと感じていたんです。偉大な方で
した」

−あなたに対する糾弾文書を読まれましたか?
「いえ。ですが、私の管区の神父が見ました。悪いのはみな、この STASIのアン
ドレイですよ」

−ですが、彼に教皇についてのどんな知らせを渡していたんですか?
「勘弁してくださいよ。彼が私から受けとったのは、教義のお知らせだけですよ」

−でも、お金は受け取らなかったんですか?
「いいえ、彼からは。ポーランドの聖職者からは受け取りましたが」

−どんな仕事をしたんですか?
「私は1979年9月にローマに来て、アンジェリクムで勉強していました。そのと
き、ポーランド首座大司教 Wyszynski 枢機卿が、私に情報を集めるよう言った
のです」

−どういうたぐいの?
ポーランド教会について印刷報告物をつくること、それから教皇の談話を翻訳
することです」

−どうしてアンドレイを知ったんですか?
「何人かの司祭が、力になってくれるよと言って、私に紹介したのです。彼は、
私がしているその仕事をドイツの司教のためにもしてくれと言いました。つき合
いがあったのは1980年の間だけです。その後、彼がスパイだとわかったんです。
それなのに、教皇と力を合わせてやってきた私のすべての仕事が、みんなこの時
期の話にされてしまって」

−彼がスパイじゃないかと疑ったのはなぜですか?
「彼は、まったくカトリックらしくなかったんです。ポーランドで兵役につき、
ブラティスラヴァで牢に入り、そして逃げ出したのです (たぶん、スパイにす
るために解放されたのでしょう)。それに、酒を飲んだとき、面識のあるポーラ
ンドの将官について話してました」

−なぜ、他の司祭もかかわっていると考えるのですか?
アンドレイは彼らの所にも情報を求めに行ってましたから」

−ふたたび彼を見たことは?
「1981年の狙撃事件前にサン・ピエトロ広場で会いました。そしてすぐに消えた。
昨日、彼の妻が私に電話を寄こして言いましたが、彼は癌でなくなったが秘蹟
受けようとはしなかったそうです。私がアンドレイの苗字を伏せるのは、彼女と
二人の娘のためです」

さきほどのシスターが電話だと呼びに来た。ナヴァロ=ヴァルスの言葉が神父に
伝わる。神父の微笑は消えた。彼は神父を弁護しなかった。
記者:Virginia Piccolillo。

ポーランドではかつての共産党時代のあらゆる情報の検証が始まっているらしくこれもその一環で出てきたネタだそうです。ポーランド在住の友人は以下の通り感想を述べておりました。

今回出てきた資料はいわゆる公式な資料として公開されたものではないようです。IPN
(インステトゥチア・パメンチ・ナロドーヴェ)の職員だった?Sとかいう人物がインターネットに、
リストを載せたことから始まっているようです。

実際ポーランドにおいては、IPNは資料作りが完成しておらず・・まーそこが激しくポーランド
的なんですが・・・・
報道が一人歩きしたため、IPN総裁もコメントせざるを得なかったというのも事実のようです。
インターネットに公表されたリストも、その後第三者が追記ができるほどお粗末なもので、内容
に関しては疑問の点が多いこと。

こうした類の報道は、本来ポーランドIPNの公式発表の後にされる類のものであって、深読み
すれば、IPNの調査対象に自らもなっているマスコミ関係者が、矛先を変えたいか、あるいは
部数伸ばしにヤラセている可能性も否定できないそうです。

チェコのようにさっさと公式資料作りを完してしまえば良いのですが。ポーランドは、ぎゃー
ぎゃー意見だけが先行して何も進まない国ですからねー。
真相は何年も待たないと出てこないと思います。

・・・・・・・だそうです。

「裏切り者〜。」「KGBバチカンを売り渡そうとした神父」などと、非難されているようで、身の潔白をしようにも大変そうですね。とにかく「バチカン奥の院にスパイが?!」は人々のぁゃιぃものへの好奇心をくすぐられるようです。



そういえば「ダ・ヴィンチ・コード」でもオプス・ディがぁゃιぃ秘密結社扱いになっていたなぁ。かなり笑ってしまった。たしかにわりと保守的な信徒の団体ではあるけどどっちかというと信心会的なシロモノで、そういう伝統は中世から信徒の作る互助会として存在していた。日本にもオプス・ディはあるのですが、彼らも困惑しているようです。一種のカトリック教会内のロータリークラブかねぇ。あれもメーソン絡みで変なものと思われているけど、実際は国際規模の互助会というか、慈善団体的な活動をしたりしているようです。うちの父が前に会合に誘われて参加したことがあるけど、確かにメーソン儀式のようなこともしていて、ぁゃιさ抜群ではあったらしい。とはいえカトリックのミサにはじめて来た人がびっくりする程度のようです。陰謀巡らす悪の組織ってわけではない。
・・・・しかし、ダン・ブラウンはマジに怪しいと思ってるんじゃろうか?彼にはかなり強力な電波が混入されているようです。次は是非その電波思考でこの事件を扱ってみて欲しいと思う。