時間金持ち

祖母を施設に帰した。のんびりしてもらえたかなぁ?
東京はどんどん殺伐としてして、昨日紹介したブログを読んでいても暗澹となる。年金をもらっている年寄は社会の荷物なのだから小さくなって生きろという論調も、開き直って居直り、威張り散らす年寄の醜怪な自我も、ここにはない。なんせ100歳越えて畑仕事をしている人がいる土地だ。年寄もどこか精神的に自立しているが、若者も年配の人にはなんとなく頭があがらない。という昔の光景が未だある。親戚一同集まって過ごす習慣がある土地だけに、なんとなくまとめ役としての役割を年寄が持たされるせいもあるんだろうなぁ。年寄が道のど真ん中を歩いていても、とりあえず気がついて脇によけるまで車が待っているとか、この土地の人は気が長い。島時間で動くので物事を焦らない為かそういう余裕がある。お店なども親戚の用事が在ると勝手に閉まったり、それが済むとまた開いたりしている。こういうのんびりした場所では、秒単位に命を懸ける価値など理解出来なくなる。
JR西日本がなんとか客に高度なサービスをしようと頑張った結果、起きてしまった大惨事には色々考えさせられる。島の時間はその日に着くならなんでもいいよという鷹揚な感覚があるのは、結局天候に左右される交通機関しかない為に色々と諦めるしかない環境だからだ。
フランシスコ会の理念の中に執着を捨てよというものがある。なにかを諦めることでなにかから自由になる時がある。しかし社会共同体の中で生き続ける限り諦めたくても諦めるわけにはいかない人々もいるわけで。



そういえばイタリアで、バスにかなりの高齢の殿方が乗っていた。じいさんに近い処に坐っていた友人♀が「どうぞ〜」と、席を譲ろうとした。じいさんは頑として座らなかった。どうも女性に席を譲られたことでプライドをいたく傷つけられたらしい。「なんか筋金入りだな〜イタリアの殿方は。」と思ったけど、妙に印象深い思い出になったなぁ。この殿方は現役の男性でいることを諦めていない。こういう執着はなんとなくいいなぁと思った。