『不毛地帯』山崎豊子 やな性格の親父カタログ本

2月に友人が島に遊びに来ていた時、ちょうどテレビのドラマで山崎豊子の「不毛地帯」をやってるよ。と、それがたいそう面白いとの話。実家に帰った時、この山崎の古い新潮文庫(老眼対策してない頃のね)があったので島に持ち帰って来た。読んだ。

不毛地帯(一) (新潮文庫)

不毛地帯(一) (新潮文庫)

キリスト教では「七つの大罪」なんてのがある。一応ある。映画になったりしている。「暴食」「色欲」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「高慢(傲慢)」というものであるが、この小説にはまさしくこれらの罪とも言える業の光景がこれでもかと登場するので、読んでいる方は辛くなる。辛くなるのについついどんどん読んでしまう。なんだかマゾヒズム的な対応が求められる小説であった。

物語は有名な小説なんでご存知の人も多いが、シベリアに抑留されていた元陸軍参謀のそのシベリア時代の光景と、第二の人生としての過酷な商社マン世界を描いている。日本の高度経済成長を支えた親父たちの戦いの物語である。はしょるとそんな感じ。東京裁判、シベリア抑留、ダグラス・グラマン事件、オイルショック、自動車界の米国資本提携等、既に昭和史となった時事ネタてんこもりのいわゆる社会派小説。定年退職後暇になった親父たちがノスタルジックに読み返したくなる本である。

しかし、その内容はというと、のほほんと、好きあらば働きたくねーなどと言ってる怠け者には想像もつかない過酷な世界であり、商社の親父世界の非情で多忙で寸刻みな生活っぷりに、わたくしはこのままのほほんとしてよいのか?と焦りたくなってしまう代物であった。こんな辛い小説をなんで娯楽で読まねばあかんのや?と自分に問いながらも結局最後まで読んだ。読ませるだけのドラマ力がある。流石、山崎豊子

高潔な、聖人君子然とした主人公を取り巻く親父たちは、その有能で尚且つ時節を読む機微を持ち合わせた才覚と滅私奉公の最たる様に翻弄され、あるものは嫉妬し、あるものは恐れ、あるものは憎み、ある者は邪推を重ねる。まぁやな親父たちだらけである。古の人は「男、其の一歩、閾を跨げば、七人の敵に遭遇す」などというが、それを地でいく話である。七人どころか、大量のやーな野郎だらけである。人間至る所針山あり状態。そのやな親父たちの描写がすざまじく、まだわたくしめがうら若き女学生であった時代に読んだ『白い巨塔』なんぞは財前教授=すごいやな親父 医者の世界=やな親父だらけと、話の内容はすっかり忘れてるのにそれだけは記憶に残ったぐらい山崎豊子はそういうの描くの好きだな。因に『白い巨塔』は昔ドラマ化されて、財前五郎の役を田宮次郎が演っていたが、この『不毛地帯』の昔のドラマでは最もアクの強い性格である鮫島役を演ったことがある。田宮次郎、恐るべし。

主人公と其の仲間たち以外は全部やな野郎に描かれていたりするが、たぶん反対側の視点から見ると主人公もやなヤツに映りそうだし、敵対する人々の描写がどうも表面的とも言える欠点はある。やーに見えるおじさん達だって、それぞれにそれなりの弱さと葛藤を抱えていると思うぞ。

山崎豊子の文章は所々変で、誰かが何かを言うときにも「言った」もしくは「と言った」という言葉もなく「○○は『××××××』」などと書いたりするので時々拍子抜けする。変なリズムがある。あと大変に辛い状況をこれでもかと描写したエピソードが途中でどっかに行って、あとは「あのあとこのように好転したんですよ」的に事後報告、簡単に説明されてたりするので消化不良に陥ったりするのが困る。好転したカタルシスよりも、辛い状況を波状攻撃でとにかく畳み掛けるように書くので、山崎豊子はサドだと思う。そう思う。絶対そうだ。

全4巻そんな調子なもんで、読み終わった読後感は大変に疲労感である。

尚、この小説には実在のモデルがいるそうであるが、鮫島役はダグラス・グラマン事件の中心となった人物、海部八郎であり、彼は鉄っちゃんだったらしい。

しかし、うちの両親と其の友人たちの世界、親の話から漏れ聞きいた断片がなんとなく集結しているんだなと。改めて商社とゼネコンと職種は違えど親父たちが生き抜いて来た世界の過酷な様を目の当たりにして、今はただ、惚けてしまった親父の姿に合掌したくなってしまったという案配であった。

疲れたんで今度はまったく違う小説読むぞ。この。