友人が遊びに来ている 終戦祈念の話

なにか忙しいんですが、友人が島に来ています。
午前中と夜仕事して昼の仕事にならん時間に接待してます。

しかし暑い。雨たぼーり。。。。。


↑雨たぼーりは島言葉 雨くれーってなほどの意味。雨ごいっすな。十五夜祭の出し物にもなってる。

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先日の終戦記念日は、婆ちゃんトコ行くついでにぐすくに寄って来た。
英霊の鎮魂碑が建ってるんだよ。こんな小さな島からも出兵していった兵隊さんがいる。
某所で、やたら日本語が上手な自称「ガイジン」のガメさんと、そういう名もない兵隊さんのことを祈念しないってのは、よくないよなぁという話をしていた。
戦争なんて肯定はしない。
・・というか戦争という行為そのものを愛するなんてのは『ヘルシング』のあの眼鏡のチビなおっさんぐらいだろう。戦争なんて、ろくでもない。でもその為に闘って死んだ個人をなにか臭いものに蓋するみたいな、消去するような扱いにしちゃいかんとは思うな。うちの親父は戦争で死んだ兵隊さんをあたかもそういうような扱いをするような左翼の人の言う事が嫌いで、すこぶる右翼だったが、しかし戦時の記憶があるだけに戦争なんて嫌いだから、戦争に二度と向かわないよう、地に足を付けた豊かな日本の未来を造ろうとしゃかりきになって働いてきた。
でも、時代が父のような仕事(土木建設・・よーするに東名高速道路とか本州四国連絡橋とかだ)を否定した。父はそれで鬱になって、うちに篭ってしまい、終いにボケてしまった。
新たな時代は前の時代を否定する。行き過ぎた前時代のよろしくないことを反省し、批判する。それは仕方がない。しかしそこで、日本国のシチズンの為にと信じて働き、亡くなった人や身を粉にしたような人間を愚かとか言いたくない。私たちの今の生活はそういう先人達の働きによって支えられている。そのことは祈念したい。
伝統的な日本の考えはそれを祖霊として大切にする。島人は祖霊を大切にしている。
羅馬の耶蘇教徒であるわたくしもそういう先人達の事を祈る。天の国にいる先人達をミサのたびに祈念する。

ところでその英霊の碑の横に、島から満州に移住してそこで戦後殺された人達の碑も建っている。
うちの島はなんせ今年も旱魃だけど、台風が来たり、旱魃になったり、自然的に過酷で、それで貧しくて大変だった。しかも本土の製糖産業の資本家が搾取したりしてるもんで生活がいっこうに楽にならない。そゆわけで新天地求めて旅立った人達がいた。そこはしかし満州の人達の土地であった。

荒れ地を起こして畑を作った。でもそれは満州の人達の土地だった。
島人達はそんな事は知らない。ただそこにある荒れ地を畑に変えて皆が生活出来ればそれ以上のものはいらなかったんだと思う。

戦後、日本帝国に土地を奪われた満州の人々が、或いは国境を越えて満州人の土地に侵略してきたロシア人が、彼ら開拓民を襲った。多くの開拓民の命が失われた。

命からがら逃げることができた人たちもいた。身一つで日本に帰り着いたが、彼らの故郷の島はアメリカの統治下で、彼らは帰ることも出来なかった。


まぁ、やっぱり戦争なんてロクなもんではない。
でも、こうした人々の事は記憶していかないといけないと思う。


・・・なんてなことをぐすくで考えたりしましたですよ。