終戦の日にもの思ふ

本日はカトリックの暦では聖母被昇天。被昇天祭があちこちで行われていると思うが、日本的には終戦日。
メディアでは麻生太郎が、参拝について聞かれて、なにも終戦というこの日に靖国に参らなくてもいいじゃないか。それに静かに祈るべき場所だ。などというようなことを言った事が取り上げられていたようだが、本日の靖国さんはサヨウヨの闘争の場と化しているようで確かにかますびしそうだ。靖国が政治闘争の場にされてしまったことは不幸だ。政争から離れ、この終戦の日に静かに祈りに行く事も、不戦を誓いに行く事も首相は出来ない。

そいや、麻生さんの場合カトリックなんで、一応キリスト教徒。厳格なクリスチャンなんかは「神社で祈るってのを奇妙だ、背徳だ、間違ってる」などと批判する人もいるだろう。今回避けたのはそういう理由ではなさげ。麻生さんはお伊勢参りにも行ってる。なんで厳格なクリスチャンからはブーイングの対象だ。
やっぱり聖人みたいなもんとして祈ってるのかな?キリスト教ジャンルでは、カトリックってわたくしの知る限りその辺りは一部を除いてかなりいいかげんな人が多いんで、それはそれとして深く考えない、寧ろナニも考えてないのも多い気がする。ただ祈るという事はどういうことか判っているんで、麻生太郎が「静かに祈る場所だ」という指摘はかなり実は重要だなぁとは思う。宗教なるものへの敬意の払い方を知ってるというか、意外と祈りの人なんじゃ?と思った一面ではある。彼は本質的には政教分離的な思想の持ち主ではあるんじゃないか。(彼の政党は宗教団体バックの政党と連合してるけどな)



で、うちの島にも城(ぐすく)に戦争で出兵し亡くなられた方の碑がある。
天気がよ過ぎて糞暑いが、聖母被昇天祭なのにうちの島じゃ教会ないしで、午後に祈りにでも行ってみようかと思う。

ちなみに沖縄の終戦の日はずれがある。
沖縄では6月23日が終戦記念日になる。
国土(島)の地形が変わるほどのものすごい爆撃を受け、本土とは比べ物にならないほどの地獄絵図がそこにあった。アメリカ軍の上陸と、日本軍司令官の自決によって6月のこの日に戦闘が終った。沖縄の人にとってはまさに「戦争」から解放され、「終戦」を実感した日であろう。
本土ではその後、二度とその後使われることのないトンでもな兵器、原爆が二つ投下された。

沖縄では、戦後米軍の占領が続いた。奄美も同様。
大陸などから引きあげ、帰郷しようとした島の人々は日本から分断されたこの占領下にある故郷には帰れなかった。この人達にとっての「終戦」はもっとあとな気持ちかもしれない。いやほんというと、日本全体でもまだ終ってないというか、ちゃんと処理出来てないことが未だ続いているよな。沖縄は返還後も占領下みたいなもんだし、従軍慰安婦や南京、原爆。。。等々戦後処理ネタでの闘争が絶えず続いているし。

ところで、カトリックの前の教皇が「戦争は悪です」と言っていたのを思い出す。
まったくだ。いいことがない。