忌野清志郎死去 フィードバックする別れの記憶


本日のはてなぶくまキーワードで一位を獲得しているのが忌野清志郎

▼<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000100-mai-soci
「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。

随分前から喉頭癌になったというニュースを聞いてショックを受けた覚えがある。しかしキヨシローの持ち前の精神的元気っぷりは健在だった。ただ、いつかこういう日は来るだろうなとは思っていたが・・・・30分泣いた。涙を拭いて乗り込む電車は島にはないんで、庭の芝刈りをした。

清志郎さん死去 泉谷さん「オレは認めん」 悼む声次々
http://www.asahi.com/national/update/0503/TKY200905020212.html
(略)
細野晴臣さん(61)は「亡くなるなんて信じられない。早すぎる。お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。本当に残念だ。なんて言ったらいいのかわからない」と言葉をつまらせた。
(略)
泉谷しげるさん(60)は「オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れません! 彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いできたしこれからもだ。忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない。若い頃から希有(けう)な天才性を発揮してたし随分まねさせてもらったよ。まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。だから冥福を祈らないし、告別もしない。オレだけは絶対に忌野清志郎の死は、認めないから」

音楽仲間達や各界の関係者がコメントをしている記事があった中から、ああ、気持ち判るってなのを抜粋したが、デジャヴ感を覚える。

清志郎というミュージシャンはなんといいますか、わたくしが個人的にかなり重要なミュージシャンで、まぁ「我が青春の点景の中に確固として存在する」という感じな人です。つまり大学時代から30になるまでの20代にもっともよく聞いていたのがRCサクセションのアルバムであった。

渋谷陽一の番組にチャボとやって来てはアホなしゃべりをしているとか、テレビに出た時は司会者が困り果てるような不審な応答ぶりを披露するなど、ズレ感のあるお人柄もツボであった。NHKのスタジオパークに出演した時なんぞはたいへんに面白過ぎた。いやぁ相変わらずで健在だなぁと。だから癌になったと聞いた時、微妙なすきま風を感じたんだが。

ところで、大学時代の同級で卒業後も深い付き合いのあった男がキヨシローのファンでその影響で聞きはじめたのがきっかけである。そしてキヨシローはその彼の存在と大きくだぶり記憶されている。彼は32歳に死んだ。だから彼の死後、RCサクセションを聞けなくなった。

彼と知りあったのは芸祭(美大の文化祭のことな)の経音のライブハウスで素っ頓狂な衣装を身にまといキヨシローの唄を披露していた。当時、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」がヒットしていて、若いもんは、あのいささか「もしかしてヤンキー?」な歌詞の唄をこぞって聞いていたもんじゃった。当然唄が下手くそでも盛り上がるわけで、彼は「素っ頓狂なキヨシロー好きの顔色の悪い変な奴」と、わたくしに記憶された。
その後、一緒にホワイトスネイク(何故?!)のコンサートに行ったりとか、同人誌の漫画にキヨシロー様の似顔絵を落書きしてもらったりよく判らん接点があったが、彼が科をまたいで大学院にやって来た頃から仲良くなった。音楽談義をよくした。卒業後、同じ予備校で教えたり、一緒にイラスト事務所を造ったりした。音楽の趣味が半端ではなく、音楽は彼に色々教えてもらって聞いていた。絵の才能もある人で、リスペクトしていた。彼のお蔭で今があるようなものだ。

その彼は心臓疾患を抱えていた。生まれつきの心臓奇形。心臓に壁がないという。だから常に顔色が悪い。小学生まで生きる事は不可能と宣言されていたにも関わらず、図体でかいおっさんになった。しかし20代も半ばすぎた辺りから度々倒れ、30代過ぎた頃には入退院を繰り返す日々であった。共に過ごすのは病室という日々に、ある覚悟はしていた。

彼が死んだ時、私が来るのを待っていた彼の意識ある時に駆けつけられなかった後悔は未だトラウマであるし、亡くなってからも数年、彼が死んだという事実を受け入れることは出来なかった。何度も「死んだのは嘘だったんだね」という夢をみた。墓にも未だ行けない。冥福も祈りたくない。認めたくないという泉谷しげるの気持ちがよく判る。今は流石に夢でも死んだ事実は受け入れてはいるようだ。

彼が死んでしばらく、精神的に不安定になった。しかし仕事に行かねばならない。
彼と共に教えていた学校に。
彼の不在を感じずにはいられない職場に。
辛かった。

その道すがら聞いたのはRCサクセションの『ヒッピーに捧ぐ』であった。

中央線に乗ってそれを聞きながら泣いた。電車の中の人は不審そうに見ていた。
キヨシローはなんでこんな気持ちの詩を書くのだろうなと思いながら、泣いた。
ものすごく慰められた。


誰かが今、この曲を聞きながら泣いているかもしれない。

わたしはその後、しばらくRCサクセションが聞けなくなった。

あの世で彼に会ったら一緒に歌ってやってください。喜ぶと思います。

◆◆

いやぁ、これ聞いたのもしかしたら、上記の時以来かもしれないよ。
このアルバムの曲↓

シングルマン

シングルマン

あとライブ盤ではこれ↓

the TEARS OF a CLOWN

the TEARS OF a CLOWN

ジャニスジョプリンのパロディみたいなジャケット。名盤だと思う。

CD堆積所を漁ってRCのアルバムをこんなに沢山持っていたのかと驚いた。埃かぶっていたので申し訳ない気がした。LEDZEPPELINとRCはアルバムのほぼ全部を持っている、飽きやすい私にしては希有なグループである。(未発売になっちゃったのとか、カセットだけってのとかあるんで)

ハートのエース

ハートのエース

このアルバムも好きでしたねぇ。「すべてはALRIGHT」もけっこう慰められます。あと「山のふもとで犬と暮している」という曲が好きで、犬とこうして暮らすのもいいなと思っていたら、今わたくしは、海のそばでこの唄のように雑種の犬と暮らしている。イメージトレーニングは重要なようだ。が、下流じゃなくて、リッチなイメージを持つべきであった。

EPLP

EPLP

ベスト盤。シングルのB面、アルバム未収録の曲も入っているのでイケている一枚。
このアルバムの「君が僕を知ってる」という曲も癒し系というか慰められた人も多かったようで『風呂上がりの夜空に』というマンマのタイトルの漫画で象徴的に扱われていた。
風呂あがりの夜空に 1 (KCデラックス)

風呂あがりの夜空に 1 (KCデラックス)

BLUE

BLUE

名盤である。つーかそればっかりだ。「多摩蘭坂」がいいです。RCオタの後輩が国立のこの「坂を登り切る手前の」アパートを借りて住んでた。
一番はじめに買ったのは「ラプソディー」だったか、こっちだったか忘れた。RCのアルバムはなんかどれも聞きすぎてジャケット見ただけで音が脳内に再現される。

因みにこのアルバムを久しぶりに聞きたくなったので、アトリエの音源入れたら、島犬ミモザ(雑種)が聞きに来た。『ロックン・ロール・ショー』のどすんばたんとした妙なドライブ感がいいですな。
マジに泣けるなぁ。これは。

◆◆オマケ

ついでに凄いの拾った。

いや、実はRCの解散以降の活動はよく知らなかったんだがこんなすっ飛んだ曲をやっていたとは。知らなかった。毒がすごい。

友人は清志郎の政治色が強くなってきたのを生前に懸念していたが、つまりまぁ「よい子のロック」化して平和を唱えてガキの唄を歌うへたれになるんじゃないかと。しかし相変わらずトンでもない方向にすっ飛んでいたんですな。反戦思想を軟弱に訴えるのではなく過激にロックな態度は崩さなかったようです。

ロック魂が炸裂している有名なのはこれですな↓

FM東京がRCの曲や山口冨士夫のバンドの曲を放送禁止にしたことを受け、タイマーズとして夜のヒットスタジオに出た時に披露したゲリラ活動の記録。本来歌うはずだった曲を無視しての所業、生放送ということでそのまま流れてしまった。とにかく笑いなしには見られない。
タイマーズそのものが学生運動のパロディでもあり、土方スタイルにヘルメットという、すでに見た目からキているのだが、放送禁止用語と罵倒の連発に司会の古館一郎もフォローに困った様子。