大阪教区泰山鳴動して不起訴也

例のセクハラで訴えられて起訴された井上師、無事不起訴釈放。

▼強制わいせつ容疑の司祭、嫌疑不十分で不起訴 大阪地検
http://www.asahi.com/national/update/0225/OSK200902250063.html
信徒の女性に抱きついたりキスしたりしたとして強制わいせつ容疑で大阪府警に逮捕された大阪府茨木市カトリック大阪大司教区茨木教会の司祭(74)について、大阪地検は25日、不起訴処分(嫌疑不十分)にした。司祭は軽く抱きついて唇に触れる程度しかしておらず、信徒の女性は嫌がりながらも教会に約2カ月出入りしていたことから、強制わいせつ罪の構成要件の「強いて」を満たすだけの証拠がなかったとしている。

 府警が発表した逮捕容疑では、わいせつ行為は約70回あったとされたが、捜査関係者によると日時が特定できず、回数についても司祭の認識と大きく食い違っていたという。複数の匿名の女性から同様のわいせつ行為を受けたとする電話が府警にあったが、被害届は出されなかった。

 司祭は逮捕当初、大阪府警の調べに対し、行為自体は認めていたが、わいせつ目的は否定していたという。

 不起訴処分を受け、司祭の弁護人は「捜査当局が捜査を尽くした結果なので、コメントする立場にない」。大阪大司教区の松浦悟郎・補佐司教は「本人は事実関係は認めている。教会は事実を重くとらえ、再発防止に取り組む」と話した。

とりあえずよかったです。

しかし、わいせつ行為の何処からが何処までが犯罪とされるのか、私にはよく判りませんが少なくとも悪質な性的行為(よーするにレイプ)はなかったと司法は判断した。この案件の場合寧ろ「された側が不快と思った場合に成立するセクハラ」というジャンルに入るのだろう。その行為については司祭は認めており、だとするならば何故事前に調査を綿密にしていなかったのか、教区の不備が問われる案件だな。

こうして起訴されれば、被疑者となった側は当然ながら、不名誉な立場に立たされる。セクハラレベルを超えた司法犯罪レベルってのは、かなり重い。また、被害者の位置に来る側も様々な憶測による被害を受ける。今回、ブログや掲示板などで憶測に基づいたと思われる、場合によってはこれは誹謗中傷で訴えられても仕方ないんじゃ?という書き込みまで目にした。

こうした、双方が傷つく事態を避ける為に、きちんとした調査や相談窓口を設けるのが事前に行うべき事で、その調査によってあきらかとなった事実が犯罪となるようなものは司法に委ねる。しかしこのようなセクハラなどのような場合は組織内でそれなりの対応(相応の処置、話しあい、和解)などを行う事が大切なのだが、大阪教区ではまったくそれが機能しなかったのか?かなりその組織政治力が情けないのか、いったいどうなってるんだろう?

今回の件に関しては色々な情報が入って来て_| ̄|○な話も聞いた。しかしその_| ̄|○な話も司法的に起訴されるような犯罪範囲に入るような代物ではなく、司祭としての自覚あるのか?レベルであったのか。聖域は世俗以上にエロに厳しいので「キス」でも強姦レベルの扱いにはなると思うんでまぁどうなんだろうか。(主観的な世界となると一方的なキス行為は強姦レベルに等しいけどな、一応、司法範囲ということで)

尚、カトリックギョーカイの中の人ではない左翼ヲッチャーなネトウヨさんから「大阪教区の陰謀」論などが飛び出したのは、俗な方向に悪目立ちしすぎてるんで自業自得。全然同情もしない。

とにかく、関係者にとっては辛い自体であった。
無事不起訴となった井上師は、まぁ女性に抱きついてキスなんぞをするってのは司祭としてはダメダメすぐる事は自覚したほうがいいと思うし、いくら沢山の信徒に慕われているからといって大目にみたくもない。寧ろ聖職者として多くの信徒に慕われていることに対しもっと重責を感じていただきたいなとは思います。ほんとはラブラブな気持ちがあるのにすげー我慢してる神父とか多いと思うよ。まぁ「そういうのめんどくせー」なんていう枯れている人のほうも多いけど。そういう人は楽です。

やはりよく言われる「霊性がある人は悪魔の罠に陥りやすい」というものの典型だったのかもしれない。

これに懲りて、聖性を探求してほんとにすんばらしい師になって欲しいです。