テロが起きたらしいので嫌な記憶がよみがえる

厚生労働省の元事務次官夫妻が殺された。更に別の元事務次官邸も襲われたらしい。メディアはテロか?と流しているが、ナニが起きたのか不明。

年金問題で国民は色々不信になっているし、メディアの官僚たたきは既に日常の点景の様に当たり前になっている。だからこういうことが起きる可能性は大きかったにせよ、嫌な気分になる。

うちの父が「悪名高い」道路公団にいたことは前もここで書いている。小泉改革の頃世間から悪者扱いされていた公団にいた。あの頃は道路公団のヤツはなにやら悪いやつみたいな風潮があって、うちの父はそういうテレビ報道を見ながら鬱となり、徐々に呆けていったということは以前書いた。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20071118/1195398856

けして贅沢もせず子供達にも贅沢を赦さずに生きた親父の自負は日本国民がみな安心して暮らせ、均質なサービスを享受できる社会の為の道路網の建設だったのだが、そういう高度経済成長期の無邪気な理想はのちの世代に完膚なきまでに叩きのめされ、最後には悪人扱いとなってしまった。価値の推移とはなんとまぁ残酷なことか。

その公団がまだあっちこっちに、道路建設をしていた頃、父は流山か柏の事務所の責任者としていた。常磐自動車道建設の為なのであるが、激しい反対運動がその地で起きていた。わたくしが小学生の頃だった。デモなども起き、幾つかの衝突もあったようだが、どのような運動だったのかは小学生だったわたくしは詳細は知らない。

この年齢になってみてそういう運動家の気持ちはよく判る。静かな暮らしを守りたいのは人として当然というか、自分だってそっちに回るかもしれない。しかし、当時、まだ世もよくわからず理想のみ聞かされていた幼い私の目には、国家全体ではなく、自分たちの地域のことしか考えずに敵意をむき出しにして見せる市民運動家たちは、エゴに固まった悪鬼と映っていた。

小学生の子供達を抱える妻を置いて父は単身で柏に赴任していた。残された家族が住む家に、そうした運動家の恫喝の電話がかかってきたこともある。幼い妹に「親父を出せ!」などと恫喝するのがいた。

今思えば、電話恫喝だけで、優しい運動家だったよな〜とか思ってしまうが(ちょっと前の時代だと会社に爆弾仕掛けるような過激派が炸裂してたからなぁ。それに今だと家に集団で「見物」に来るようなのがくるのがいたりするし)、ま、当時の子供達にしてみればすこぶる恐ろしかった。

家族であれど仕事で生じた問題を家に持ち込むの禁止。みたいな家族間エートスは出来上がったが、他者はそういうのはあまり思わんらしい。家族ぐるみで憎むのか、そういうのが今度の妻殺しとなったのか。

個人的な体験からか、未だそういう方法論をするものは赦しがたいものがある。親父をボコにしたければボコにすればいいが、家族に害を及ぼすとか、プライベートにまでやってきて恫喝したり家の回りうろうろしたりする輩は、豆腐の角に頭ぶつけて氏ね。などと思う。、ましてや殺すなんざぁ、これはもう永劫の無間地獄に落ちてルチーフェロに頭から永遠に齧られとけ。

ああ、そういやメディアもな。
家族のことで家の回りうろうろするな。煙草の吸殻ぐらいちゃんと片付けていけ。隣近所に下らん質問するな。ワイドショーなんてくだらんもんに家族は付き合うほど暇じゃねーんだよ。
・・という記憶までよみがえってしまいましたな。

とにかくすごくいやな記憶が掘り起こされる事件である。