『小説フランス革命シリーズ』佐藤賢一 悩める漢たちの群像

世間は「テロルか?」という感じで大騒ぎであるが、テロには超ムカつくということを今日書いた。暴力が日常にやってくるって野蛮なのはやめようや。戦争とテロは嫌だね。わたしゃ安穏と生活したいんですよ。ヘタレですから。

さて、その暴力で以て政治的目的を達成しようというのは人類の病理で、色々な側面でそのような出来事は起こり、未だそれは克服されていないどころか相変わらずなわけだが、理想の政治を行う為に暴力で持って勝ち取るっていうのの「市民」が主体となった暴力的政治闘争のもっとも有名なものはやはりフランス革命だろう。

フイヤンとかモンターニュとかジロンドとかジャコバンとか王党派とか、なんか色々派閥が出来たりなくなったり、立憲君主制にしようよとかいうのと国王なしの共和制を説くのが対立していたかと思うと、今度は急進派同志で争いがおき、昨日の権力者が今日はギロチン送り状態、今度は穏健派からギロチン送りにされたり、そんな風に政治のセクト同志で内輪争いしてる間にナポレオンによって終止符が打たれるという、民主政治を求めたのに皇帝が出て終わりというとにかく分けのわからない歴史である。

1700年代末期に起きたこの革命。男臭い物語にしかならないのだが、池田理代子男装の麗人を据えて少女マンガにしてしまうという荒業によって、日本では有名なお話になった。ただ、当然少女マンガなので、親父たちが争いあっている本質は描かれず、あのような物語ではある。

しかし今日のフランスを知るにはフランス革命の知識は欠かせない。単純な英雄譚ではなく、民主政治をいかに勝ち取っていったか?その過程での極端さ、愚かさ、ポピュリズム的な要素、そういう負の部分もあわせ、知りたいなら、佐藤賢一小説すばるで連載している小説を読むのが手っ取り早い。

『小説フランス革命』などという大風呂敷を広げるようなタイトルだが、タイトル通りの意気込みで、バスチーユまでで単行本上下巻分の量を書いている。長すぎて、困ってしまう。連載中に「まだバスチーユにたどり着かないのか?」と何度も編集さんに聞いてしまいました。

その『小説フランス革命』第一部を二冊にわけ『革命のライオン』『バスチーユ陥落』が単行本となって出る。

革命のライオン (小説フランス革命 1)

革命のライオン (小説フランス革命 1)

バスティーユの陥落 (小説フランス革命 2)

バスティーユの陥落 (小説フランス革命 2)

11月26日発売だそうなんでこれから並びます。是非こうてくらはい。
物語はお約束のネッケルの失脚と三部会に始まり、球技場の誓いからバスチーユまでというもっとも盛り上がりそうなところを、ミラボーを中心に据えて描くという按配。

佐藤賢一は、フランス革命の主要な人物の人物描写や当時の政治の動きを細かく細かく書くもんで、どんどんページ数が増えてしまううえに、重要な人が多すぎて誰が主人公なのか全然分からん状態ではあるが、「フランス革命」そのものを主人公に据えたといってもいいだろう。その革命という重さの中で活躍する人物のそれぞれの懊悩などを描いていてそれがまぁ面白いといえる。

ところで通常、フランス革命については王権に対するシチズンの戦いみたいなものとして書かれるので概ねは貴族階級と市民階級の物語に費やされて終わるが多いが、佐藤のこの小説の特色はもうひとつの身分である「教会」についても光を当てている。この二冊ではまだ詳しくは出てこないが三巻目あたりでネチネチかかれることになるんでお楽しみに。タレイランとか出てきますよ。

オクシタニア』のようにぎゅうぎゅうに詰まった文字ではないので読みやすいと思う。

余裕のある方は購入してください。
今年の夏はこの表紙の仕事で死んでたんだよ。なので宜しく。
私には印税は入らんけど、沢山売れると佐藤先生がすこぶる喜び、やる気倍増、締め切り遅らせずにどんどん書いてくれる思う。たぶん・・・・ので、売れて欲しいのだな。本屋の平積みってのも嬉しいし。