ハロウィンに再び怒る

しばらくパソにアクセスできなかった。まぁ忙しかったので、パソ君とは真剣に向き合わなかったので余計に落ちていた。

ところで、先日ドンキホーテなるものにはじめて入った。渋谷で仕事の打ち合わせだったんだが、文化村のカフェドゥマゴで打ち合わせ。その後東急の上で飯食って外に出たら、向かいっかわのドンキホーテがまだ開いていたんだな。
東急本店というと一階は鼻持ちならない。やたら高いブランド店ばかりが店を出していて、ブルガリとかグッチとかエルメスとか、まぁなんだか縁がないよな店ばっかりなんだが、その通りを挟んでこれまた私の生活環境にはなかった車社会を構成する街道文化的な「ドンキホーテ」が煌々と店やってるっていうシュールな風景がすごい渋谷東急本店界隈である。少し前はもちょっと品がよかったんだがどんどん品が悪くなってきて今はもう本店まで押し寄せたって感じもしなくもない。
もともとドンキの背後にある円山町の道玄坂までの間はラブホとか飲み屋とかガラが宜しくもない闇市的な界隈であったが、闇は闇の矜持を以て、表通りではそういう顔ははっきりとは見せていなかったもんだ。それがまぁ最近の渋谷はそういういかがわしさがただの店舗にまで及びつつあるような印象である。
ドンキというのはラブホ的ないかがわしさの権化みたいなそんな感じがしたよ。

とにかくいかがわしそうなんだが、一度どんなものか目撃しておかないと。。と思って入った。案の定、秩序のないカオスな店内。J・G・バラードが見る悪夢のごとき。商品の魅力が半減されたような棚。商品の洪水。あまりの情報量の多さに脳内が拒絶反応を起し、買いたいものがなくなる現象になって出てきたよ。疲れただけで、消費意欲を掻き立てるどころか消火されただけだった。

通りをはさんだ東急本店のショーウインドウや、店舗はこれまた敷居が高く、わたくしの購買意欲など起きもしないんだが、これとまったく逆のコンセプトな店が同じような効果をもたらしたのだな。たぶん二度と入らないと思われ。

さて、そのカオスで安くていかがわしい店舗の店頭は、時期が時期だけにハロウィーンの為のコスやらグッズが売られていた。これがまた浪費癖のあるわたくしの購買意欲を全然そそらないどころか、分子解体銃で存在を消したくなるようなシロモノばかりである。とにかく安いナイロン性の生地で作られた衣装。蛍光ピンクや白、黒、赤、の安い裏地の生地にもしたくないような布で作られたコス。プラスチックの安い魔女の杖やらゴス系グッズ。とにかく安くて大量生産型のパーティグッズは嫌悪感のナニモノでもない。

まぁ、こんなクソみたいなもの買うやつがいるのかよ?と思いつつ店を去ったのだが・・・・・

先日、犬散歩していたら、大量のクソ餓鬼がかの店で売っているような衣装を纏い、プラスチックのかぼちゃを下げて各家を菓子もらいの為に回っていた。

いたよ。クソが・・・。

コスプレするのはいいが、安い衣装で満足するなボケ。

・・と、正直思った。

わたくしはこういう安いものが自分の生活圏に入ってくるのが嫌である。どんなにゴーマンといわれようとムカつく。あのような色彩が麗しくなく素材が麗しくないものを着るぐらいなら、うにくろのジャージを着ているほうがよい。うにくろのジャージも安いが、ビンボー臭さは寧ろ安い素材でデコラティブなものを作成するときに際立つんである。つまり「安い」ということと「ビンボ−臭い」というのは違うんである。ものすごく金がかかっていてもビンボー臭いものがある。JALのピカチューの飛行機とか・・・ビンボー臭い機体だなと思う。アレに乗らなきゃいけないときほど哀しくなったことはない。

私がハロウィンが嫌いなのはこういうビンボー臭いものが巷に溢れるからであるのだ。クリスマスも同様な部分があるが、まぁそうでないものもあるんで。これは長い時間かけて定着していったものと新興文化の差なのかね。

まぁ消費が主体の文化の宿命なのかは知らんが、やはりいいものを死守して欲しいと思うときがある。

ただ、なんちゅうか実家がある東急沿線の新興住宅地ってのは似非欧州風の住宅建築ってのが多いんだが、なんだか張りぼてで安っぽい。こういう風景にはやはり新興で張りぼてなハロウィンは似つかわしいのかもしれないなとは思った。

なにやらベネチアのいかがわしい舞台装置的な町に通じるんだが、この張りぼてな街並みも500年保存したらそれなりの風格も出るのかもしれないけどね。

そういうわけで再び島ホームシックになって犬散歩から帰ってきたのである。

島の風景は正直新しい建築材など手に入らないから昔っからの機能性主体の家が多いけど、そっちの方が風景に溶け込んでるです。