猫猫先生が連合赤軍に怒っている

○猫を償うに猫をもってせよ
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080908
連合赤軍事件はひたすら愚劣である

猫猫先生はいつもなにかに対して批判的で、批判的を通り越して否定的な「愚劣」とか「バカ」という評価を連発したりするんだけど、先日は誰かの書評にいたく腹を立てていた。タマになにやら誉めたりもしているのだが、先日は40代といつわり結婚していた四捨悟入で70歳の女性の詐欺事件で、40代に見えるなんて誉めてやれ。と珍しく誉め方向だったのは、当人の写真を見てがっかりしたようだ。タマに誉めてもあまり報いられてない。

そういう猫猫せんせの本日のめにうは「連合赤軍

 私は、連合赤軍あさま山荘事件について、オウム真理教地下鉄サリン事件と同様の、あるいは三島由紀夫自衛隊乱入割腹事件と同様の、愚劣な、無意味な事件だとしか思っていない。ただし、フランス革命についてはそう思っていない。これらが愚劣なのは、結局は社会全体や国家の変革などまったく成し遂げられず、単に人が集団を作って何かを信奉して蹉跌した際の、行き場を失った精神エネルギーが起こした病的な事件だからである。のみならず私はドストエフスキーの『悪霊』についても、何の関心もない

上記記述に同意。
もっとも、理想でぶつかって無駄に終ったこと全てを否定したくはないし、勝てば官軍みたいなのもなんだけど、ただ浅間山荘辺りの連合赤軍の有り方というのは無様過ぎ、猫猫先生と同じ年代のわたくし的には、あの赤軍はのヤツらはマジにバカ共と言いたくなるということは、以前から書いている。
内ゲバでのエンドレスの党内抗争、リンチ殺人など、それらは子供の心にしっかりと刻まれ、幼いものから見ても意味なき見苦しいものとしてしか映らず、有無を言わさぬ左翼嫌いとなるのは当然だった。左翼と見るとしばらくはぞっとするほど嫌いだったこのトラウマの性で左翼をちゃんと理解する事は激しく遅れた。左翼には大変に失礼であったのでのちに反省したが、それでも未だその後遺症の性で「サヨク」のことはどっかでバカにしてるし、連合赤軍と見るとバカ集団でゴミとしか思わないし、オウム真理教の事件は、連合赤軍と表裏一体というか、同じもんだと思っていることについても以前から書いてる。つまりまぁ連合赤軍にノスタルジーを感じてる人間とはお友達になりたくないです。このオウムが。的に、無意識で嫌悪。
こういうのは年代的なものはあるかも知れない。死の恐怖を幼心に植え付けられた恨み的なものが根底に有るんで生理的に受け付けないのだが、理性的に考えて見ると、理想バカの暴走は我がギョーカイの歴史にもある。人類の歴史の中で時々起きる癌みたいな病理かも。

フランス革命は違う」というのは総合的に見てまぁそうなのだが、ジャコバンってのはかなり危ない系ではあるし、最高存在の祭典なんてなんだかベルリンオリンピック並にうさんくさ臭が漂う気もする。

ところで

 私はどうやら生まれついての個人主義者らしい。こういう、集団の中にいる人間の心性というものが、まったく理解できない。

・・と、いきなり個人主義?ん?
連合赤軍内に有ったようなどろどろ抗争、セクトの争い、異る立場への攻撃と、同じ理想への強度な共感から来る一体性という集団心理、小さな共同体内のどろんとしたよどみってのはわたくしも苦手である。共感するはずの集団内にいて尚、突っ込み小人がそれを笑うみたいなそういう相反する心理はある。それをして「個人主義者」かどうかは不明。というのも突っ込み小人を餅ながら尚集団内に確信的にいる事はある。
たとえば私はカトリックという宗教集団にいて、カトリックの世界って小さくて、視野が狭くてなんだかキモ〜とかしょっちゅう思っているわけだが、それでも関係ないヤツに意味不明に攻撃されると怒り出す事はある。中庸をこよなく愛してはいるが、やはり攻撃されると原理的な気持ちになったりもする。つまりその程度には自分は少なくともどこかの共同体には属している事は自覚している。日本という共同体、島という小宇宙、なんらに属してはいて、それについては自覚的なので完全には「個人主義」とは言えないかもしれない。属している以上、どこかでその集団に責任を感じるので他人ごと的には考えることは出来ないからだが。
まぁ個人主義の定義ってのがどこまでをそうとするのかがよく判ってないんだけど、猫猫先生は濃密な人間関係から生じるどろんとした関係性がつくる意識のことを言ってるんだとするならあまりそういうのは好きじゃない人は多いとは思うが。

集団というものの愚劣さへの嫌悪感というのは大変によく判るんだが、それは「集団」というものの性質が生み出す負の要素であって「集団」が必ずしも全て悪いわけではない。

末尾の強調された愚民云々についてはすでにファーイーストから発信してるinalventさんがつっこみ入れてた。
finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080908/1220833090
■嗚呼、猫猫先生

私は日本国民を「愚民」とは思わない。私は日本国民だと思っているし、そのようにというかある種の知識人としてしか存在できない(吉本隆明がこういう関心領域をもつお前さんたちは死ぬまねでロクでもない知識人だよと喝破したという意味での知識人)として、その知は、大衆に劣ると思う。
 大衆が愚かであると考える知などなんの意味もない、と私は思っている。

かなり同意。

ただ、finalventoさんが指摘した単元の「愚民」という罵倒語による人民への修辞よりも、その前の単元、つまり「自民党、支持しないヤツらが党首云々と批判書いてるってどうよ?」的な批判は、なんだろうな。浮動的な人も結構多いとは思うし。
まぁ、プロテスタントの人がことあるごとにカトリック教皇の言動批判するのにむかつくみたいな感覚か?で、その理由が「良くも悪くもキリスト教を代表してるから」。自分の教派でもないのが勝手に批判するってのはなんだかなーとかいつも思うんだけど、日本だとキリスト教は一緒だと思って批判してくる人が多いから、自然と教皇発言が気になってしまうというのはあるか・・・うーん。たとえが悪かったな。

まぁ自民党党首がどうのであるより、総理がどうのってのは日本が民主主義国家で、国民が投票した結果で、自分が入れた党はでないにせよ、結果として政治を左右するポストに付いた人の進捗の事やそれ関連の騒動は国民は皆批判出来ると思うんだけんど、それを選んだバカ共がほんとにバカなのか?ってのは、また別の話ではあるな。

まぁ、連合赤軍への評価には共感持ったエントリだったんで備忘。

◆◆
全共闘世代が活躍したあの時代についての連載。
▼【さらば革命的世代】(1)全共闘の“革命”は何を残したのか
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080501/trd0805012144022-n1.htm
闘争の渦中にあった人々は今。という証言集。
産経なんで一瞬、アレげな気もするが、この連載は読ませる。ただやはり産経だな感はある。
同じ企画を朝日がやると今度はマンセーかもしれずそれもナニだが、比べて読んでみたい。