知と愛 図書館、国際児童文学館絡みであれこれ

わたくしは自分があまり知ではないというか、美大人間の絵描き馬鹿なので、普通大学の人々が常識的に持っているであろう知が欠けていたりする。当然ながら外国語はさっぱりであり、外国語のサイトなど紹介されたりすることがあっても読めない。仕方なしにエキサイト翻訳など利用するが、この翻訳文が馬鹿みたいで、読みたかったことよりも馬鹿げた翻訳文が面白過ぎて別の方向に行ってしまう。哲学用語に関してはまぁ検索のお世話になりながら読んだりする。横文字など頻発されるとこの人はわたくしに読ませたくないから暗号で書いているのだなとか思ったりする。昨今はそれにアルツが加わったので算数レベルの計算まで酷い始末である。なので関数、微積分の話をされてもさっぱりである。
そういう知にかなり貧困な人生を送ってきたわたくしなので、世の中の知に捧げている人々の姿は崇高だなと思うのである。私が大層お金持ちな人であったら、家に書生を置いて、学術に没頭出来るよう援助してみたりしたいもんである。「書生」ってなんかいいよな〜。日本人の有望な若者はもとより、中国から亡命した青年学者とかさ、ビルマから亡命した学者とか、第三世界で学したくて困難な人の援助とかね。げいじつ家とか文学者でもいいや。そういうのが家にゴロゴロいるようなの憧れるんですよ。んで、執事も当然いる。しかし残念ながら寧ろお金持ちな人に援助してもらいたい経済力なのでかくなることは妄想で終っている。

んで、知の集積に携わっている人々などは半ば憧憬めいた敬意を覚えてしまうので図書館の司書などは、聖職者並に敬意を感じたりするのだ。そういうわけで、まぁ先日は世の図書館員達は色々大変らしいというのでちょいと憂慮してしまった話を書いたが、今度は大阪で児童文学館だかが危機らしいという話。
すでにかなり前から色々報道されていて、大阪の財政難に着手した橋下知事。かなり大変な仕事に着手しようとしているのはすごいことなのだが、そのやり方というのが、かなりのマキャベリスティックで且つ、非常に短いスパンでしか物事考えてないんじゃね?ということで批判が集中してるようです。
その中でも大阪の国際児童文学館とやらが危機的な立場にあるらしい。
我が島は地方自治体の中でもとんでもなくびんぼな部類だと思うので、当然図書館もしょぼい。使えるのは郷土史ぐらいなもんである。しかし郷土史の集積は地方でしか出来ないのでその点でやはり大変に貴重なんであるが、ま、児童に特化された集積場など夢のまた夢である。
バブル時期にはその手のわけの判らん行政機関が増えたんだが、わけがわからん中で、国際児童文学館のサイトを見る限りは、この機関は良質なんじゃね?という印象。絵本ギョーカイが低迷な中、お子様達に多くの絵本を読んでもらえる場を提供してたりとか、私のお仕事的にもありがたいものである。子供の頃から目に麗しいものを見せ育むのは大切なのである。そゆわけで財政が苦しくとも明日への青少年育成の為に残しといたほうがいいんではないか?的な代物であるな。私がお子様だったら近所にあったら通うよ。
大阪府立児童文学館
http://www.iiclo.or.jp/

しかしあまりにびんぼでない袖は振れないぐらい追いつめられた財政を解決しないといけないと思った橋下知事は、皆様既に御存知の通り、こゆ、未来の青少年の育成という金は生まなさそうな事業はどうも駄目烙印を押したいらしい。なんとかして排除したいようです。うーむ、びんぼな私としては辛そうだなぁとか思う判断であるが、しかしである短絡的に観光客が望めそうな、しかし長期に考えるとなんの文化も生まなさそうなバブル的な消費型文化の「御堂筋イルミネーション事業」には20億円投じようというわけの判らん判断をしている。なんだか更によく判らないのである。

橋下知事、20億円御堂筋キラキラ構想 歳出削減は?
http://www.asahi.com/politics/update/0424/OSK200804240107.html
大阪府橋下徹知事は、大阪市の御堂筋をこの冬、イルミネーションで彩る構想をまとめ、関係機関と協議に入った。12月から3カ月間程度、延長約3キロを飾る計画。事業費は最大20億円と試算している。ただ、橋下知事は1100億円規模の歳出削減を目指しており、構想実現に向け論議を呼びそうだ。

 関係者によると、イルミネーションは御堂筋の淀屋橋から難波までのイチョウ並木に飾り、毎年12月に大阪・中之島で開かれる「OSAKA光のルネサンス」と連動させる。これに先立ち、10月19日に開業予定の京阪電鉄中之島線に合わせ、堂島川沿いの延長3.5キロもイルミネーションや建物のライトアップで彩る計画だ。

・・ルネサンスって。恥ずかしくないか?
20億円投じてまで役所が行う事業か???つーかあの手のイルミネーション馬鹿はなんとかして欲しいと思っているぐらい嫌いなんだが。なにわっ子はキラキラ光るんは好きでっせ。なのか?そういうのは民間が既に道頓堀で素晴らしくお披露目してくれてるのに、そゆのは駄目なのかにょ?つまりこれこそ民間の努力でやればよさそうなもんである。第一わたくしめは個人的にキラキラしたのなんか馬鹿じゃねーの?とか思っております。貧乏臭くて嫌いなんだよ。自分が貧乏なだけに貧乏臭いのは嫌いなんだ。

そういうわけで、怒ってる人が多い。この方のブログなどは早くからお怒りを表明。ずっと追っておるようです。
宮本大人のミヤモメモ
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20080517/1210960142
■[大阪府立国際児童文学館関連]橋下知事、いくらなんでもその言い方はあんまりです

府民が署名を集めているが、本当に残したいなら1人千円でも出すべきだ。府民が金を払ったうえで行政がサポートするならわかるが」。

 ええええ?府民は税金払ってるじゃないですか。税金払ってない府外の人間がつべこべ言うなっていうんならまだわかりますけど、府民に対して知事がそれを言ってしまったらまずいんじゃないですか?それに1人千円でどうにかなるんなら、児童文学館で言えば、2階の研究閲覧室は入室料取ってもいいと思いますよ?

橋下知事勘違い発言に怒るの巻。
更に税金払えと言ってるようなもんですな。御堂筋イルミネーションもやりたいんなら自分のポケットマネーでやれよとか、やりたいひとが払えば?とか思いますな。

読み物的にもかなりつっこんで怒っているので読みごたえがあります。

で、最近問題になった盗撮とかにも言及。
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20080907
■[大阪府立国際児童文学館関連]今回の場合、「隠し撮り」が問題だというよりも

まぁ隠し撮りしてチェックしてるのが「どんな1984?」とか思っちゃいますが。それよりも判断した内容のデータ不足さとか、そういうのはどうよ?的に、突っ込み。やめさせたい一心で言いがかりつけてくるヤクザめいた手法が嫌な気分ではあるが、上記のブロガーさんは盗撮めいた手法は一旦おいても実体調査をするなら長期のデータが必要だろうと指摘。盗撮云々で話が本質の問題からひん曲がるのは確かによろしくないですね。

わたくしは府民でないし、この児童文学館も知らないんだが、知の集積場は営利的には大変に難しい。長期的に見たとしても明解なデータが残るかすら不明。それらはいつかそこを利用した人間に芽吹くものではあるがデータ化出来るような分野でもない。

わたくしなどは子供の頃から、親が外国の絵のついた絵本を買ってきたり、展覧会につれ回されたりしたもんで、色彩感覚がどうにもこうにも中間色人間になってしまった。漫画にあるような単純な色彩感覚は貧乏臭くて嫌いだという生意気なお子様になったのはひとえに子供の頃見ていたものの蓄積である。
パリのポンピドーセンターでは一階に子供の為のワークショップがあったりする。私が行った時はブランクーシと遊ぼうみたいなのをやっていた。モダニズムはお子様感覚と相性がいいのか、ポンピドーはお子様の教養の場にもなっていたな。

こういうのは営利としては測れないが重要なものだからこそ、公的な存在がフォローし、未来につなげるべきものかとか思うんですが。そして自治体がそれをする体力が本当にないなら、不可思議且つ貧乏臭いバブリッシュなイルミネーション事業する余裕も無いとは思うのですね。しかしそれは出来るって辺りがもう謎ですよね。

今の状況での存続が危ぶまれると思うなら、上記ブロガーさんも指摘しているように存続させる為のアイデァを出すなりするといいのに、そういう方向性の努力とかは無いんでしょうか。少なくとも橋下知事の発言からはそういう意識は見えない。

なにやら貧乏だと知に鈍るというか・・いや貧乏でも私などは常に知には餓えている。ホームレスになったとしても糞みたいなバブリッシュなイルミネーションを眺めるよりは、図書館を利用したいよ。
人はパンのみに生きるにあらずとはよく言ったもんですが。
知への侮蔑と無駄といってしまうような風潮。大学の教授仕事がほとんど営業とか(uumin3さんがそのことを下に紹介するエントリに書いておられた。)あちこちでそういうかつてのアカデミズム的なるものへの軽視というか、アカデミズムだけでなく創造的な存在、漫画やアニメに対する、成功したもの以外への無理解。そういう「育てる」という長期的な視野が無くなっている事を懸念したくなるんである。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080905#p1
■ちょっと思い出した話

長期的視野の欠落というのは橋下知事が学力テスト問題でもなんだかんだ言っていたのもそれだけど、そもそも子供のへの教育の、すぐ結果が出る的な意識というのは実は家庭にも存在してるんじゃないか(例・子供が考えているのを先回りして親が答えを出してしまう、子供の不器用さを見かねて手を出してしまう等々)とか、或いは「キれる」ってのはそういう辺りの長期的視野というか気の長さが足りてないんじゃないか?とか、もやもや考えてしまった。

みんな釣りとかしてみるといいかも。あれ気が長くないと出来ないよね。しかも粘っても釣れないとかあるらしいし。

ところでタイトル。内容は、知と愛というより、知への愛って感じですな。