Googleのストリートビューに早くも飽きる

まぁ、昨日は腹を立てながらもひとしきり機能を楽しんでいたわけだが。こういう時は先端な流行モノ好き魂がうずくのである。
気がついたのは歩いていてうしろめたい気持ちとそうでない場所、怖いなと感じる場所とそうでない場所がある。それは自分自身のパブリックとプライベートの分類がどうあるのか?が如実に関係しているわけで、商業地区などは後ろめたくない。そもそもじろじろ店頭を見るべくしつらえた場所であるからだ。
反面、多くの人が感じているように住宅街など私的な空間においては足早に通り過ぎたくなる。まぁ退屈であるし。またネットではホテルから出てきた男女を晒し者にしているようだが、リア獣・・いや、リア充ムカツク・・じゃなくて・・やはり見てはいけないものを見てしまった不快感が残るな。のぞき見てしまった自分に不快というか。
或いは、単なるモブに過ぎない人々であるだけの、スナップ写真にうっかりは入り込んでしまった赤の他人のごとき存在も、リアルでは移動の際にはよほど目立ってない限りは顔なんぞ見ないし、注目もしないのだが、何故かこのツールを用いると、じろじろと見てしまう。勿論顔にはぼかしがかかっているのだがじろじろ見る度があがるようである。そういう自分がどこかいけないことをしているな的な気分になる。
路地に置かれたモノとかゴミとか、貼られているポスターとか、車の中とか、背景のみならず、様々な雑物が道にあること、通りを構成する壁面の風貌の差異などを改めて気付かされるわけだが、実際に歩いている時とこのツールを通じてバーチャルに見る時とでは情報処理の仕方が違う。背景の建築物よりも、夾雑物に目が行きやすい。

ところで、わたくしは通常、車など乗らないので車道視点でモノを見ない。だから見慣れた光景でも不思議に見えるが、それ以外にもカメラの限界、つまりモノがなんか遠くに見えるんで広々として見えるがスカスカである為に知ってる場でも他所行きの顔をして見える。

で、カメラの設置位置。ググル盗撮カーはどうやら車の屋根にカメラを設置しているらしい。どれくらいの高さか判らないが身長がすこぶる低いわたくしの視点よりは遥かに高いので人んちの庭が丸見えである。うしろめたさの要因の一つはこういう辺りにもあるかもしれないですが世の背の高い人はそうでもないかもしれない。

まぁ、引きこもりでも旅行や散歩が出来るよツールとして、或いはコメ欄でマルクス博士も書いているが、しらない場所に行くための事前調査に使われるというのが本来の健康的なあり方なんだろうが、前者はともかく、後者は疑わしいな。日本の風景は変わりやすいし、上記のように画像印象でが現実とイマイチ違う。

わたくしの場合、変な視覚情報が入り込むよりも地図のみの方が想像しやすい。しらない場所に一発で行くのは得意である。地図という記号化されたものの方が直感が働き易いんである。ネット時代になって店島の写真とか出てるようなのがあるが、現実の視覚情報との印象差がある場合が多く、却って邪魔だだけだったりすることも多い。

もっともわたくしはよく、犬並と言われる土地検索力を保有してるんで。動物的に過ぎるかもです。一度、行ったことある場所は大抵迷う事無くたどり着けるので犬なんだと。尤も最近は昔よりぼーっとしてるんで衰えて来た気がする。場所だけではなく人に対してもそういうのがある。知らない人と待ち合わせする時などに遺憾なく発揮する、モブ中の人物抽出能力を持っているのだ。例えば、顔も知らない文通相手を映画館で一発で発見したこともある。彼女の書く文章から本人をプロファイルしていたらしいが、もしかしたら匂いを嗅ぎ取っていたのかもです。つまりまぁ、かなり犬に近い。犬は目が悪いそうなんで、視覚情報はいらないのかもしれないです。
そういうわけで、妄想しやすい地図の方が分かりやすくて好きなので、へたにググルすとびゅで行き先を示されたりなんかすると却って迷いそうで怖いのですよ。座標軸が東西南北に安定してるのではなく、ああいうふうにベクトルが動くのは、まぁ酔うよね。ゼルダを64ではじめてやった時みたいな。ドラクエの8もそう。どっち向いてるのか判らなくなってトンでもない方向に歩いていたぞ。

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地図というのは昔から好きで。地図を見ながらどんなとこだろうと想像するのが好きだった。
ググルのストリートビューでは檜原村辺りの渓谷にうねうねと続く道などまでぐぐる盗撮カーが足を運んでいるようだ。どんなとこだろう?と想像しているだけではなく実際に映像としてみることが出来る。これは利点か否かと言うと、まぁ引っ越し考えてる時なんかにはいいのかもしれないけど、やはり想像する愉しさを奪ってしまうなと。ちょっと思ってしまった。

中世ヨーロッパの人の地図は地中海などを中心としてものが多いのだが、外れに方に行くとスキヤボデスがいたりする。暗黒大陸と言うのは未知なる土地ゆえの名付けであり、彼方には人外魔境があると考えられていた。マルコ・ポーロの物語は未知なる世界の想像をかき立て、人々を魅了した。中国の古書、謎の博物誌『山海経』では中原から離れば離れるほど奇態な人々や怪物が住むところになっている。
人は未知なる土地を想像するしかなく、しかしそれは魅力的でもあったわけなのだが、世界中の路地という路地がこのように見ることが可能になってしまった時代は幸福なのか?不幸なのか?判らない。
仕事でパリのカルチェラタン辺りの光景をかかなきゃならない時なんかは便利かもしれないが、行って見て驚く愉しさがなくなる感じもある。写真情報を見過ぎた土地に行くと感動がどうも失せてしまうののもっとすごい現象が起きてしまうかもなぁとか思ってしまうわけです。そういうわけで旅の時はなるべく情報を仕入れずに行くことは多いのだが。

つーか、カルチェラタンのビューがないじゃん。仕事で資料が欲しいのに。使えないな!!!!パリはなんかしらんがごく一部しか載ってないよ。ルーブルまではたどり着いてもパレロワイヤルまでは行ってない。使えない。
それよりビュー以前にサン・シュルピュスとかサン・セヴランとか教会の位置もぐぐるマップにはない。ノートルダムすらない。地図そのものが使えないっす。ソルボンヌ大学なんかどうでもいいから。

で、使えないフランスのストビュを追ってみたら、ピレネー山地をうろうろしていたりトゥールーズからわけの判んない山中をうねうねと北上していたり、どうみてもバカンスのドライブは楽しいよみたいな。よく判らないルートがビューされてました。パリはEtampesとかいうところから北上するルートで、シャルルドゴール広場とコンコルド広場、ルーブルを結ぶシャンゼリゼ通りあたりだけという、ナポレオンかなんかにでもなった気分なのかよく判らんルートがビューされてましたよ。

まぁ、厭きた最大の理由は重くて使えないからかな?脆弱な通信環境では辛い機能っすな。