ネット時代の宣教

最近イエズス会が総会で「霊性や信仰の分かち合いにおける情報技術の重要性」について主張していたという記事を某所で教えていただいた。ほほぉ。
時を同じくしてマシア師のブログなども立ち上がり、島にいながらにして聖書解説などを読むことが出来るようになった。マシア師と言えば上智大学の教授をながらく勤めた哲学の権威であり倫理神学野権威でもある。わたくしのごときギョーカイ世界でははじっこでうだうだしてるような人間でもその名を知っている知の巨人のような人だ。よくも悪くもイエズス会の思想(インカルチュレーションというスタンスによる東洋思想への理解、リベラルな神学)をはっきりと持った学者である。
また、これに先立ち、やはり同じイエズス会の若手会士がブログを立ち上げていた。こちらも聖書解説などの記事である。教義について分かりやすく解説されている。

日本ではキリスト教はマイノリティなので誤解を受けやすい。カトリックなどは未だ中世や植民地時代の姿で記憶されているようであるし、またイエズス会なども陰謀論者の神経中枢をいたく刺激するらしく、なんかあまりいいスタンスで考えられてない。しかし現実のイエズス会士はわたくしの知った限りでは概ね西洋の伝統的な神学、哲学を収めた正統派知識人というか、学者的な人が多い印象。

こういうロゴスな人々が広く門戸が開かれたネット世界で活動してるってのはすごいなぁというか、そして最先端のツールを無視せず生かそうという辺り、ロゴスの宗教の面目躍如といいますか。
ネットにはトラブルが付き物なんで正直心配だが、なんせモヒカン族の牙城みたいな神学史をもつ世界であり、中世の神学者なんて論争ばっかりでやんのみたいな書簡が飛び交う歴史が長く、『薔薇の名前』のごとく「イエスが財布持ってたか?」なんて、部外者からすると馬鹿じゃね?な問題を延々論争しまくってきた。よーするにネット論争と似たようなもんで、だからWEB2.0世界も馴染みがあるだろう。ディベートの鬼みたいなのが大量にいそうである。特にイエズス会なんか。
そういうの以外でも多くの女子修道者、つまりシスターね。萌え対象のシスター。が以前からブログ記事を書いていたりする。どういう活動をしてどういう日常を過ごしナニを考えているのか、大変身近な存在となった。シスター達はあちこちのNGO活動などに参加しているので海外の事情などを知る手がかりにもなる。
教区でも司教や司祭がブログを持っているのは多い。司祭は多忙なのか日々の説教ネタってのがやはり多い。司教はシスター同様活動報告などである。自分とこの司教がナニやってるのか一目瞭然。わたくしのような離島人間としてはこういう形で教会と繋がっていけるので便利な時代になったもんだと思う。

ところで某修道会は「ネット禁止令」とか出たらしい。(言ってるだけで守られていないと思うけど)とにかくイエズス会とは逆で、それ聞いた時は正直、吹いた。守りに入るにも程があるというか。まぁ確かにネットは恐れ知らずの馬鹿が使えば破壊力はすざまじいとは思うけど。慎重にやれば別に問題も起きないし、現に多くの聖域関係者のブログではトラブルはまだ見たことがない。(極まれな事例でしか見たことがないというか)web2.0の時代に生き残りたかったらモヒカン族とのディベートに勝つくらいの人間も養成しとかないとな。・・・・といっても全てがそんな人ばっかりだったら困るけどね。