島地震の他にエホバさんも来たこと

そういえば昨日は島地震の他にエホバさんが来た。
うちの島はほとんど神道。島神道。あとは日蓮正宗創価学会とイエス之御霊とエホバの証人という分布図である。なかなかに個性的な分布だ。曹洞宗とか浄土真宗とかあってもいいのにない。実は日本キリスト教団で洗礼受けたんですよという人とか、わたしみたいのがぽつんといる。
で、宣教熱心なエホバさんはあちこち回っているらしいが我が家にも来る。「聖書を読んだことがありますか?」などと聞くので、説明するの面倒くさいから本棚に案内してあげた。新共同訳とバルバロ訳と新改訳と口語訳とフランシスコ会訳と中国語訳と現代訳と新世界訳とヴルガタがある。ギリシャ語とヘブライ語は読めないから無いけど、それ以外に岩波か教文館だかの解釈本があるなぁ。エホバさんはうへぇ。とか驚いていた。持っていたから全部隅から隅まで読んでるわけじゃぁないんだけどね。きっとエホバさんのほうが読んでると思う。

ところで、エホバさんは十字架の形にこだわるのが面白い。どうも一本の棒だったというのである。宗教は考古学ではないのでそんなことどうでもいいんではないか?棒でも十字架でもどっちでもいいよ。などとお答えしておいたが、きっと訳語の問題なんだろう。まぁ好きな形で信じてればいいでしょう。そもそも死刑道具がシンボルってのも変だし。

あと大切な問題というのを箇条書きにしてくれたのを見せてくれたが、自分の悩みとか自分にとってどうだとか、自己救済の問題が羅列されていた。わたくしは正直、告解ネタすら思いつかぬほど、自己反省力が無く楽天的に過ぎるので、そのことではー極タマにだがー反省してるほどなので「自分的には既に自己救済的な問題はあまり興味がないっす。社会問題とか隣人について考えられる余裕をもったほうがいいと思うので、そっちで精進したいっす」とか、宣教したかったらいつも喜んでいなさいを実践した方がいいんではないか?などと勝手なことをほざいて煙に巻いておいた。まぁ聖書読んでるもの同士なので話の説明が要らないというか、前提説明が要らないので楽だな。この手の抹香臭い話は普通の人に話すとシューキョーやってる変なひと扱いになるだけだから。聖書な同志相手に思いっきり抹香臭く話して、まぁ面白かったです。これでも一応フランシスカンなんで、たまには抹香臭いことも言わないと。

ところで、エホバさんはすぐに終末論を言いたがる。終末論が好きらしい。私は終末論はどうでもいい人なんで「明日は思い煩うな」とイエス様もいってるじゃないか。神様に任せとけばいいじゃんとか呑気臭いことを言ったが、その日の午後地震がどんと来たんで。エホバさんは。いよいよ以て終末の印か?!あんとに庵はあんな呑気くさいこと言っておったが駄目じゃんか。とか考えてたかも。確かに津波でも来られた日には島的には終末だよなぁ。ちゃんと生きないと。少し反省した。

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そう言えばエホバさんが置いてった冊子があるが、この絵はどうですか?と寸評求められて困ったよ。アメリカ臭い」と答えたらきょとんとしていた。
エホバに限らず宗教関係の現代物の販促絵はどうして臭いんだ?ダサいのが多い。カトリックなんかルネッサンスを産んだ文化だというのに。しくしくしく。