四川大地震とチベット関連メモ:四川の山奥の光景

四川大地震の被害速報の数字を見ていると暗たんたる気持ちになる。

各地伤亡汇总(实时更新) 最后更新时间:5月15日09时36分
全国: 汶川地震死亡人数已达14866人(中国新闻网)更新
四川: 死亡14463人 25788人被埋(人民网) 直接受灾人数1000多万(新华网)更新

广元 1479人死亡 14838人受伤(四川新闻网)

四川新聞社の発表によると、昨日言及した広元は、昨日の時点で700人だった死者数が倍になっている。重症な方が亡くなられていることに続いて、行方不明者が次々と発見されているんだろう。他の都市でももっと大変なところがある。

漢中から広元へ向かった旅の記録を紹介しておく。
昨日ちらっと書いたが、土木学会の人々が主催する中国との学術交流会に父も呼ばれてそれについていったというわたくしは別に学会に参加したわけではなかったんで呑気な旅であった。しかし父は無類の三国志好きだったので学会よりもそっちの方が興味深かったらしく、この旅の旅程は、五丈原とか蜀桟道とか視察するのも兼ねていたわけで、二つ返事で行くと決め、同じく三国志を読みふけり、「ファミコン」で光栄の三国志ゲームなんぞしていて「孔明萌え」なんて言っていたわたくしも「お前も行くか?」という父の問いかけに「孔明の死した五丈原を見れるなんてそいつは有り難いこった」とこれまた安直に決めたという按配。天安門事件の遥か前、トウ小平の開放政策が軌道に乗りはじめた頃のことであった。もっとも旅の参加の肩書きに画家なんぞと付けられていたわたくしは現地の人の芸術交流の盛んなお誘いに困り果てることになったわけだが、とにかく中国の人々の未来への希望に満ちた思いを共有することが出来たのは思いの外いい経験ではあった。

漢中での数日の学術交流ののち蜀山道の視察で広元へと旅立ったのだが、今回の地震は広元から成都へと向かう山脈に沿うように広く広がっている。丁度その山岳地帯の一端を目の当たりにしたという形なのだが、中原から蜀へと向かう道の厳しさは丁度昨日xiaoliさんが紹介してくださった李白の詩にも謳われている。何故かうっかり勘違いして四川に伝わる故事、犬が日を見ることがない。というのとごっちゃになってコメント欄に頓珍漢なことを書いたが、あらためてその詩を引っ張り出して読んでみた。

噫吁戲 危乎高哉    
蜀道之難 難於上青天  
蠶叢及魚鳧       
開國何茫然       
爾來四萬八千歳     
不與秦塞通人煙     
西當太白有鳥道     
何以?絶峨眉巓     
地崩山摧壯士死     
然後天梯石棧相鉤連   
上有六龍回日之高標   
下有衝波逆折之迴川   
黄鶴之飛尚不得過    
猿童欲度愁攀縁     
青泥何盤盤       
百歩九折巡巖巒     
捫參歴井仰脅息 
以手撫膺坐長歎     
問君西遊何時還     
畏途巉巖不可攀     
但見悲鳥號古木     
雄飛雌從繞林間     
又聞子規啼夜月愁空山 
 
蜀道之難 難於上青天  
使人聽此凋朱顏     
連峰去天不盈尺     
枯松倒挂倚絶壁     
飛湍瀑流爭喧回     
打崖轉石萬壑雷     
其險也若此       
嗟爾遠道之人胡為乎來哉 
劍閣崢嶸而崔嵬     
一夫當關        
萬夫莫開        
所守或匪親       
化為狼與豺       
朝避猛虎        
夕避長蛇        
磨牙吮血        
殺人如麻        
錦城雖云樂       
不如早還家      
 
蜀道之難 難於上青天  
側身西望長咨嗟

いやもう、これでもかってなぐらい蜀の道はすんげぇ厳しいよってなことを繰り返している。李白は若き頃蜀にいたのだが、旅の人であった李白の詩は山の光景から得た精神の陰影を感じる詩が多く、若き頃の蜀の峻厳な山々に遊んだ時にそうしたものが養われたのかもしれない。

で、「地崩山摧壯士死ー地は崩れ、山は砕け、壮士は死す」とあるように、蜀への街道の道の険しさたるやマジすごい。広元へ到る途中朝天峡というところを通ったのだが、切り立った岩山にへばりつくように広がった朝天という街へ到る街道は山から崩れ落ちたビルよりも巨大といえるような超弩級の岩塊があちこちに屹立としていて、「前回はいつ崩れたか判らんけど今も崩れるよ」な恫喝をそこを通る人々にしているというようなところである。こんなところにマグニチュード7クラスの地震が起きたら、道はふさがれ、たちまちにして孤絶すること間違いない。今のような重機にない時代は、この岩肌に桟道と呼ばれる半ば橋のごとき板の道を巡らし、そこを皆が行くのであったが、漢中王となった劉邦項羽に対し西安に攻め込みませんよという意志を示すためにこの道を焼いたという故事は有名である。あとでまた造ればいいじゃんというにはあまりにも大変な工事が必要ゆえにそれを「真意」と受け止められたということである。物資の往来がいかに大変か、また救援活動がどれほど困難を極めそうか、想像がつく。

この広元で千仏崖を見た。岩肌にへばりつくように大量の石仏が彫られている。北魏の時代から清代にかけて延々彫られていたらしいが主に唐代のが中心である。かつては一万体以上あったこれらの石仏は、道路を通すために多くが破壊されたという。しかも落書きだらけであった。文化大革命のせいか知らぬが、とにかくおびただしい「○○参上!」みたいな見苦しい名前のカキコが大量で[これはひどい]と思ってしまったので、学会の締めの交流会で意見を求められた時に[これはひどい]と表明しておきましたですよ。破壊はナニモ産まんよ。のちの時代にがっかり感を生むだけである。

しかしこのことからもこの地に永らく仏教が浸透していただろうことはよく判る。チベット系の少数民族があちこちに散らばって住んでいるであろうと。
この山には「パンダがいて野人がいる」などとこの地の人が言っていた。や?野人!?などと思ったが現地の人は当たり前にいると考えているようで、どうも山岳系の少数民族でほとんど世俗と交流していない人が今もいるのかもしれない。国家ナニそれ?みたいな。しかも山と一口に彼らは言っているが、その範囲は相当にでかい。四川省といっても我々が蜀などと知っているような地は四川盆地であり、それは四川省のごく一部で半分以上はこの山岳地帯である。で、今回の地震はその四川盆地からほど近いところで起きたわけだが、そのは以後には深い深い山々が連なっているのだ。その先に西蔵がある。現代の四川はかつての西蔵と重なるという按配でもある。ゆえにこれら四川の街には昔から様々な他の文化圏の民族が入り乱れて生活していた。西戎などと言われる地の人々と中原の人々の交流拠点でもあった。

で、今回の災害に直接は関連していないのだが中国の論者の文を翻訳して載せているブログがあり、こんな記事が紹介されていた。

○思いつくまま
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/ecf1d5c669be925d1500a1deabca9ad3
■梁文道:市民の自助を認めさせよう

阪神淡路大震災の時の日本における民間の動きと、冬に起きた大雪災害の時の中国の動きとを比して、民間の動きの鈍さは何故かという市民意識が発達していないことの指摘。読ませる記事である。成程官に頼る官依存体質の中国から見るとあの光景はこう映ったのかと。参考になった。

一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet

同じブログでチベット関連についての総括が出ていたんでそれもブクマした。

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/90842f4264504b7a97ccc5b9e7c8361d
陳思:サロンでのチベット事件についての討論ノート

中国という国は大きく、人材はいる。なにも愛国憤青だけではない。こうした論者が在野にいると。
このブログでは当地のメディアなどの論説などを翻訳して載せているので、一方的な煽り的情報に偏りがちな時に役に立つ。

昔起きた西安反日デモなどについて中国人の識者達のこんな討論があったことも添えておく。
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/279ef86b14c65507843c7e596f6d777f
○呂寧思+何亮亮:西安西北大学事件

この時から中国識者の間で中国人の若者のポピュリズムについての懸念があったようだ。反日感情を煽るというのは中国の益にはならないとはっきり言っている。

ところで、冷静な識者を遠ざけ、礼に適わぬ行為を行い、他国の諸侯からソウスカンを食らってしまうような国がどうなったりするかというと、春秋など読むとまぁ衰退したりしますなぁ。覇者となるには徳が無いとね。そして国民ともどもそうではないとなった場合、史書ではトンデも馬鹿国家扱いを受けてしまうのだ。冷静な憂国の士の言葉に聞くべしであるなと。

他山の石にしとかんと。