『碁を打つ女』シャン・サ 硝子のように繊細な小説

中国人、山颯(シャン・サ)は若くしてその詩の才能を認められ、10代で渡仏。その後画家バルティスの元に寄宿していた。

碁を打つ女

碁を打つ女

マグリット・デュラスのような語り口にも似た小説である。
舞台は満州国。「匪賊」との戦闘に明け暮れる青年将校と、満州人の娘との交流を描いた物語。娘は碁の名手であり、青年との交流は碁というツールを通じて交わされる。
全般に感じる視覚的な透明さと静寂に、激動の時代に翻弄される二人の、時代と個というものの位置を鮮明に浮き彫りにする。近代というものと出会ったアジアの二つの異なった世界の出会いが悲しく描かれてもいる。北京に生まれた、10歳下の筆者の視点を通じてみた歴史の光景は、東アジアというもののメンタルが近いのだなということを改めて感じさせるものでもある。マグリット・デュラスのあの『愛人 ラ・マン』とは非対称の存在である。
第二次世界大戦前夜のアジア人にとって、近代は、海の向こうからやって来たものであり、内面から自発的に沸き上がってきたものではなかった。それは中国や日本のみならず、アジア全域でそのような戸惑いと混乱が生じていくようなそういうものだった。インドで、インドネシアで、チベットで、インドシナで、中国で・・・それぞれの地域が異る出会い方をし、そして異る対応をしていった。アジアのもっとも片隅にある日本は近代をわが物とする時間的余裕はあったが、インドやインドネシアは次々と飲み込まれていき、チベットは国境を閉ざした。そして中国は、日本に遅れて目覚めたものの、混乱を余儀なくされる。あまりに広大な土地と人民の数ゆえに、動きは鈍く、しかしそれゆえに飲み込まれるには到らなかったが、混乱が続く。

そうしたアジアのもつ共通の感覚が著者の行間から透けて見えてくる。
透明なこの感性は更に筆を重ねた小説ではどうなっただろうかと、興味を覚えた作品であった。

今、チベットの問題は、チベットそのものが隅に追いやられ、中国政府対西欧ジャーナリズム、つまりチベット自治権の獲得ではなく言論の自由の獲得というものが主眼となったかのようなモノと変容しつつある。
そうした光景に戸惑いを覚えなくもない。それはやはり自分なりのアジアという立ち位置と無関係でもなく、西欧の距離感がどこかにあるのかもしれない。

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ところで山颯はバルティスの節子夫人と深い交流があったようだ。この小説では節子夫人が前書きを寄せている。
この物語では、彼女の記憶が一助となったのかもしれない。そのようなものをどこか彷彿とさせられる光景が登場してくる。それは祖母から聞いたあの時代の光景にも似たものであり、節子にとってもまた親の世代の見てきた光景であったかもしれない。

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で、本日のこれ↓
一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet

上記にも書いたように、今や西欧の人権運動家はチベットの問題というよりジャーナリズムの言論の自由を返せ状態と化しているので、ダライラマ的には困惑状態が続いてるかもしれないが、まぁその辺りを巧みに利用もしてるかもしれないので持ちつ持たれつかもです。宗教家ってのはふてぶてしいトコもあるから(例・ローマ教皇

で、わが日本では、中国様に反日運動されたむかつきの反動でか、ナショナルな人とか真っ先に鼻息荒かったんだが、ネタ状態と化してる印象も否めなくもない。
しかし「昔っから中国ヲチしてますよ」というチナヲチさんのブログは相変わらず面白いよ。
○日々チナヲチ
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/e/66f1bcdba8e4f4844f328b7df968a7c9
ワクテカな展開目前、「長野」よ糞青を激怒させてくれ!

中共見物の第一人者にとってチベットより中共様の行動こそがヲチ対象。という姿勢を貫いてる辺りは立派といいますか。笑)しかし「糞青」・・いや「憤青」という言葉があるとは知らなかった。

あと、ちょっと中国人のことを同情したり、中国の立場などを想像してみたりすると即座に意味不明のコメントをくださったりすることがあちこちのブログで見られるようだが、わたくしのトコにも「中国人の留学生は大丈夫かな?」などというエントリを書いたら批判コメントが来たりしたものです。どーもサヨクジャーナル系とひと括りにされたようで、「何かを変えられるんだと思ったら無駄無駄無駄無駄」とかいう趣旨のような、しかしほとんどわたくしの脳内で文字化けしてしまうようなコメントを戴きまして。おお。こげなΩブログもヲチしてる人がいたな。とか思った次第。
ま、市井のΩな一日1000人ぐらいしか来ない過疎ブログでナニかが変えられるわけもないですよ。買い被り過ぎですな。ダンコガイさんトコや内田樹センセのトコに行った方がいいと思う。
ただまぁ、1000人ぐらいは嫌でもうっかり読んでしまうだろうんで、記憶装置としての一日ちべヲチ。は続けとるわけです。・・・というかほんとは単に自分の為だけど。脳のハードディスク容量がほとんどないんで、色々忘れん為ですわ。

で、先日は「武器をとれ(大意)」コメントをくださった方がいて、まぁお返事書いて置いたのですが、uumin3さんが良エントリ書いてくださったのでこちらを紹介しておきます。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080415#p1
■対話に拘るより闘えという意見

宗教なんて祈ってるだけで役に立たんもんなんですが、まぁわたくしはそう思わん的な世間的には電波な価値で生きてるんで。これに同意。

ところで我カトリックのボス、ベネディクト16世アメリカにお出かけたようですよ。
▼[ローマ法王]初の訪米、大統領夫妻が出迎え 16日に会談
http://news.livedoor.com/article/detail/3600273/

そんな折りも折り、ダライラマ法王もアメリカに。
ダライ・ラマ・スケジュール
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/schedule.html

おお。すげー被る日程。

過去この二人、対談していたことがある。
しかし中国とバチカンの駆け引きも激烈なのでこっそり私的という名目で会ったりしているが公式には会ってないようです。以下情報。
ダライ・ラマ法王、ローマ法王との会談叶わず 遺憾の意を表明
http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/071207_pope.html
昨年のこと、公表された公式訪問では会えなかったようでがっかりのようです。しかし記事によると2006年の10月には私的な会談をしたという記述。今度も私的に会って意見交換してたりして。