『チベット旅行記』河口慧海 西遊記のごとき取経の旅

一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibet
madrigallさんに勧められていたこれ読破

チベット旅行記〈上〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈上〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈下〉 (白水uブックス)

チベット旅行記〈下〉 (白水uブックス)

河口慧海は明治時代の仏教学者で、井上円了に師事し、漢訳仏典に疑問を覚え、インド仏典の原典に近い仏典が存在するというチベットへと旅立ち、取経することを志す。物語あたかも『西遊記』における三蔵法師、すなはち玄奘三蔵の『大唐西域記』のごとし。その旅程、魑魅魍魎が跋扈する西遊記があながち荒唐無稽ともいえないような体験であり、しかしその見聞記録は当時の西蔵の有様の第一級の資料として西蔵学者の間でも評価が高いという。海外などにも翻訳され昔から広く読まれているようである。博物学的な、民族学的な記録としても興味深い記録が多数あるという。しかしその過酷な体験があまりにすざまじく、出版当初は、その真偽が疑われたということだ。

さて、当時のチベットはインドにおける英国植民地化などへの警戒から鎖国しており、外国人が西蔵入境すること甚だしく困難であった。言語も白紙の状態でインドに渡った河口慧海師はインドで西蔵言語学者の元で西蔵言語を学び、またチベット人の女性や子供から俗語を学んでいる。活きた言葉を学ぶには女子供から学ぶ方が早いそうだ。言語も会得し、いよいよ西蔵に向かう段となるが、多くの人から鎖国しているので無駄だというアドバイスを受けるがくじけない。一念発起と、紆余曲折しながら知恵を絞って西蔵潜入を果たす。
西蔵に日本人が入ったことはない。「シナ人」僧侶と名乗り、シナ語が北京語と華南とでは違うことなどを利用し、筆談で信用を得るという知恵で切り抜けていくという例など、この地頭力というか、胆力と智慧が備わった河口慧海師だからこそ実現した旅でもあっただろう。何度も訪れるピンチに仏教僧侶ならではの独自の思考法がかなり助けになっている。高山病にやられる人が多いというとんでもない標高を彷徨い続ける肝の据わりかたとか、雪の中でいよいよ駄目かと思った時に座禅を組んで呼吸法で体力を保つとか、猜疑心が強いチベット人を問答で丸め込んでしまう辺りなど、修業を極めた僧侶ならではの面白みがある。この辺り、この旅行記の醍醐味でもある。

ラサにたどり着いたはいいが政府のおひざ元。日本人だとばれたらおおごとである。チベット人に比して色が白いし、シナ人とも異質なトコがあると、イギリスのスパイではないかなどと疑われたりもしているのだが、とにかくシナ人仏僧であると押し通している。しかし何故か医術の心得があると評判になってしまい、ラサで高名な医者として名を馳せてしまう。法王にまで呼ばれる始末で、せっかく仏教大学に入ったものの、評判を聞いた患者達が日々押し寄せてくるので、おちおち学もしていられない。そこで師に頼み、大蔵大臣の家で静かに学べる環境まで整えてしまうという、まぁ瑞雲たなびくような運の持ち主というか、仏の加護にある聖僧というか、要領がすざまじくいいというか。

で、結局日本人であることがばれてしまい、大事になる前に西蔵を逃げ出すということでこの旅行記は終了する。

チベット問題で、中共チベットは解放前まで極悪な生活をしていた的なことを主張しているが、確かに近代人である河口慧海から見るとチベットの環境は最悪である。まぁ地形の峻厳さゆえの不便もあるだろうが、しかし道も無く、インフラも全然整備されておらず、また役人は威張っていてナニかというと賄賂を取る。街道には強盗が跋扈し、慧海師も二度ほど強盗に出くわしている。旅の仲間となった巡礼団一家は人殺し強盗で、人殺しのことで兄弟喧嘩がはじまったりして、こりゃやばい。逃げないといつか殺されるぞなどと肝を冷やしている。巡礼寺に行くと風貌怪しからん男が、熱心に懺悔をしているので聞いてみると、自分のやった盗みや殺しをお許しくださいといいながら、今度はこれから行う盗みや人殺しのことまで許せと仏に懺悔しているのであきれた話などが出ている。
またチベット人は猜疑心が強く、河口慧海を信用せず詮索してくるので対応に苦慮している。また、チベット僧の破壊僧っぷりには閉口している。しかし世話になったある僧が激しく癇癪持ちで威張った女房の尻に敷かれているを見、「僧侶が女房をもつととんでもなく苦労をすることになるので、妻帯せずという戒律はまことに有り難いことである」などと書いている。
チベット人の衛生概念は更に酷いようで、風呂に入らないこと歯を磨かぬことに散々驚いている。ことに風呂に入るということはチベット人にとって堕落このうえないことらしい。なのでチベット人の多くは垢とバターで黒光りした皮膚をしていて、それがいいらしい。乾燥した土地なのでそういうふうでもよいのであろうか。
チベット人は風光を楽しむということをしない。チベットというとその大自然世界遺産になるようなこの世のものと思われぬ光景があちこちにあるようなのだが、全然興味がないらしい。
数の計算は激しく不合理で数時間で済む計算を一日がかりで計算していたりする。
まぁ、とにかく世界不思議発見チベット人の生態が面白いのだが、文明的なのか?というとチベットなりの文明もあるわけで、近代西洋化した日本からするとはなはだ奇異に映るかもしれない。ただ、日本だって明治の前はこういう光景があちこちに見られたかもしれないです。衛生概念以外は・・・・。故に河口慧海師もそれを以てチベットが劣っているなどとはみじんも思ってない風で、生き生きとした庶民の駄目っぷりも偉そうなラマの駄目っぷりも、役人の欲の皮突っ張った様も透徹した視点で観察している。で、そういう社会で人民が奴隷化されているか?というとそうでも無く、チベット人自身が由としているようなところもあるようで。ナニか宗教国家というと厳格で息苦しい社会のように思えるがどうして煩悩の塊の人間共がうようよと人間らしく活きている。まるでそれはルネッサンス期の庶民の生活のようでもあり。江戸の町人のようでもあり(といっても河口慧海を通じての視点であるので他の評価なども読んでみたいもんではあるが、西洋人の書くものはえてして頑迷だからなぁ・・・)まぁ被差別階級なんかあることも記しています。職業的な差別というか。この辺り江戸と似ている・・・。
あと「シナ領」のチベットと、「法王領のチベット」という表記があり、後者は自立し独立したものととらえられているようだ。鎖国は英国とのトラブルから為された政策らしく一時期のものだったらしい。

河口師はこの旅ののち再びチベットへ行く。
終戦の年、終戦を見ずし、青森で、蔵和大辞典を編集中に脳溢血で没している。享年80歳。
明治の人の話はどうしてこうも面白いんだろう。

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○日々シナヲチ
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■【チベット】私は,私にできることを。

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あと署名なんかもありますよ。目標 2,000,000だそうです。
http://avaaz.org/jp/tibet_end_the_violence/
嘆願書だそうです。