ちべヲチ コメ欄微弱炎上になってるブログ発見

本日の一日一チベットリンク運動/Eyes on Tibetはこれだ↓

夏への扉 The Door into Summer
http://ruhiginoue.exblog.jp/7781646/
チベットの決定的弱点

実は昼間ブクマしたのだが、正直、中共様の理屈的なことをなぞっているエントリで[これはひどい]などとタグしようと思ったのだが、コメント欄で既に叩かれていて、それがちょっと気の毒だったので流石に[これはひどい]タグ貼りはやめにした。

ハインラインのファンの方らしい。ハインラインというとあのチャールズ・マンソンが萌えとばかりに小説をモデルにカルト宗教を作り上げたという話もある、まぁご本人が望んでいたかは別としてヒッピー達に超受け。60年代ニューエイジ臭がぷんぷんしそうな文化で人気が出たSF作家である、まぁニューエイジ臭さというと、他にもクラークとかにも感じますが、もっとも顕著なのはP・K・ディックだな。もろニューエイジだろ?それ。な。

そういうわけで、既存の宗教をぶち壊し革命を起こして俺様宗教理念的なものを作っちゃったニューエイジは、時代下がって幸福の科学やオウムを産み、江畑なんちゃらまでに及ぶわけだが、新宗教系はともかく、自覚ない妙な宗教観、消費される宗教的なるもの(まじない系グッズとか、癒しのなんちゃらとか)というのを産み出して今に到るというか。まぁ宗教的なるものの相とは現代においては実に様々になってしまったといえる。

故にこのブログ主さんがイメージする宗教なるものの固定概念はあまりにも中世的な宗教世界に限定されすぎていて、その単純化はどうよ?的な批判はしておきたい。ローマカトリックがおひざ元にある、親カトリックの政党まで存在するイタリア人の社会はそんなに窮屈かというと、むしろドルチェビータなアモーレ(恋)とマンジャーレ(食う)な人生を謳歌していたりして、およそ自由がないなどといえるような社会ではない、むしろ日本人より勝手だし。イスラム国家だって千差万別ある。原理主義的なイスラムだけとは限らないし(例・モロッコ)、更にはバリバリに原理主義的ともいえるイスラムが好きってな人々までいるからなぁ。女性でも・・・。

更に、現代チベット事情について無知というか、上記のような宗教についての認識の単純さから、宗教と前近代を対立するものとしてとらえている。しかしである。そうとも言えない。確かに仏教僧が国家の中枢にいて、政治を行っている国家はあまり知らない。そもそも宗教者が国家元首の国などほとんどないに等しい。故に想像しがたいのは判るんだが、もっとも身近な例を思いつかなかったのか?
日本である。
憲法には元首の規定はないものの、外国からすると、神道の神官の一番偉い祭祀長である天皇は日本の一番偉い人であり国民の精神的主柱となっている。ぐらいに認識されているだろう。天皇家の行う行事は国家的行事でもあり、その辺りが微妙で政教分離的にどうよ?などとよく国会ネタにはなっているが一応、祀り事が天皇のお仕事である。

なのでブログ主が想像している僧侶支配の国は中共支配の国より酷くなるかも。という心配は杞憂ではある。というのもダライラマ自身が、民主主義という存在を知り、かつてのチベットの政治体系を改革していかねばならないと主張し、実践しているチベットでももっともリベラリストである。チベット亡命国家においてはかつての官僚の不満を流して、民主主義的な改革を行っていると、自伝で記していた。日本にやって来た時、民主主義と伝統が共存している素晴らしい国だと感心していたらしい。そしてマルクス主義の本質は、中共がやっているような行為ではなく、経済政策として非常に有効なのではないかと研究もしており、自分はマルクス主義的かもしれないと述懐しているほどである。世界宗教というのは、仏教にしても、キリスト教にしても、イスラムにしても、どこかで「すべての人の平等なるもの」を模索しているところがあり、マルクス主義的なるものを内包している。(案外,マルクス主義の商売敵として嫌われたのかもよ。)現にそうした宗教的なものと世俗の権力が上手くいってる国家も多い。

チベットの問題は、政治中枢が宗教的権威者なのが問題ではなく、前近代の改革を自国民が行えなかったことにある。
それはまさに、近代化のチャンスを朝鮮半島から日本人が奪ったようなもんだ。そういうのは後々恨まれるのは自分たちの歴史が示す通りである。(まぁあの時、日本以外の列強も狙っていたわけだが、ロシアとか。朝鮮を支配しなければそいつらがやって来て支配したかもしれないが、そいつらがやっぱり恨まれるだろうし、とにかく力で他の民族を屈しようというのは間違いである。戦後の日本におけるアメリカのように飴と鞭を使い分けて奴隷化させる高等戦術を用いないと・・・しくしくしく)

ま、宗教的に生きる国家、それが例えば前近代的な宗教国家としてあるか、民主化して共存的国家となるか、宗教と政治が一致しながらも民主的な自由がある国家とするか、それらはチベットの人が決めるべき問題であって、他国が介入することではない。故に中国支配の方が良かったなどというのはやっぱりよろしくないのである。

にしても、テレビゲームできるような社会が本当に幸せなのかどうか・・・。消費という欲に煽られて生きるのに疲れることがある。島みたいにナニもないと疲れないなとタマに思う。おしゃれもゲームも遠い世界となる幸せというのもあるかもです。(だから出家しちゃう人がいたりするわけだ)そういう選択を奪われている社会というのもこれまた不自然なわけで、中共様は保護してるといいながら実はその自由を奪っているのである。豊かさのみが幸せではない。我々が未だ日米地位協定によって、トンでも軍人を取り締まったりできないのを引き換えにえた豊かさは、実は非常に危ういシステム上にあったりもするわけだし。

ああ、炎上っぽいのが気の毒だったんで、どっか肯定しようと思ったんだけど全否定になってしまった・・・。
まぁどうやら右っかわの中国叩きが酷いという辺りを批判したいようなんで、それに関しては一部においてのみ同意できるトコはあるんだけど。
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ところでコメ欄に紹介されていた山形浩生チベット批判ネタが面白い。
チベットの未来
http://cruel.org/economist/tibet.html

自由主義者で人権野郎や環境野郎が大嫌いな山形の罵倒芸というか・・・懐かしいな。この人。飛ばしてますな。
極論過ぎてナニだけど、翻訳してくれた資料がかなり興味深い。ダライ・ラマ批判。バランスの為、備忘。

つっても、新自由主義的なものが文化を虐殺していくことに批判的なわたくし的には。しかし同時に島という離島の不便さを体感しているわたくし的には、全面的に同意できない個所ありの、貧しいままでいいのか?という辺りについて、難しいところではあるなぁ。ただ札びら切って顔はたかれて隷属的に生きるってのはやっぱ辛いと思うよ。