朝日の馬鹿な分析

▼没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心
http://www.asahi.com/komimi/TKY200704190202.html
シンガー・ソングライター尾崎豊が亡くなって25日で15年を迎える。若い世代の反抗と苦悩を描き、いかに生きるべきかを探し続けた歌は、いまや教科書にも登場する。「若者たちの教祖」「10代の代弁者」といった従来のイメージから変化が見られる一方、肝心の若者たちの心にその歌は届いているのだろうか。
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彼の歌がわたしたちの胸を打つのは、彼が自分について問い続けたからだろう――。

教育出版が発行する高校の倫理教科書に、「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節とともに、尾崎はそう紹介されている。

 〈盗んだバイクで走り出す〉(「15の夜」)、〈夜の校舎 窓ガラス壊してまわった〉(「卒業」)。社会へのいらだちを過激につづった歌詞は教育現場にそぐわないように見えるが、意外にも「現場の教師から、自己の生き方を模索する代表例と勧められた」と教育出版の担当者は言う。

 教科書の監修に携わった大阪の府立高校教諭、堀一人さん(53)は「反抗の歌と思われるが、テーマはむしろ他者との関係の中でのアイデンティティーの問題だ」と話す。

 〈人は誰も縛られたかよわき小羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか〉。窓ガラスを壊す一節が注目されがちな「卒業」だが、学校や教師との単純な対立軸に回収しきれない戸惑いこそがこの曲の魅力を作り出している。

 尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年。堀さんはその少し前から、積極的に尾崎の考え方を授業で採り上げてきたが、最近は減らしている。「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」のが理由だ。

 「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医香山リカさん(46)も言う。00年ごろから大学の授業で「卒業」などを聴かせている。当初から「この怒りがどこから来ているか分からない」という意見はあったが、最近はきっぱりと否定的な感想が目立つという。

 「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。香山さんは「これまで成長のプロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる

 どんな価値観の変化があるのか。香山さんは「反発したり、知りすぎたりすると損をする。損得勘定が判断の基準になっている」と分析する。他者や社会との関係で揺れ、傷つく姿を歌ってきた尾崎の歌とは対照的な考え方。彼の実人生に対しては、こんな感想さえあった。「容姿にも才能にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだのはバカだ」

 学校や親への反抗、自分という存在についての不安。尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマだったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。

 尾崎の生涯を描いた著書がある作家吉岡忍さん(58)は「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、いまの若い人にとって触ってほしくないところに及ぶ。現状に適応してトラブルなく日々を過ごすことに価値を置くと、そこに気づきたくないのだろう」と語る。

 身近な人間関係に敏感過ぎるほど敏感といわれる現在の若者たちにとって、〈友達にさえ強がって見せた 時には誰かを傷つけても〉(「卒業」)と歌う尾崎は余りにも重すぎるのだろうか。

朝日新聞は流石K・Yな新聞社だけあって相変わらず学生運動ノスタルジーで、いいかげんそのフォークな脳みそを改革しないと。

香山リカがあれこれ分析しとるが、単に教科書に載った時点で体制的存在になったからではないか?そんなこともわからんとは。馬鹿か?最近の若者はこういう露出度高いマスコミ文化人こそ体制的と思っているんで、自分自身がそういう位置づけであることを分析できていないのが激しく痛い。

因みに尾崎豊についてはよく知らんが、引用されてるのをみる限りでは貧乏臭い歌詞だな。
これを若者の時に聞いても同じことを思って共感しなかったと思う。反抗するにも色々あるよ。