犬を餓死する様を見て藝術と為す

本日は両親がいないのでなんとなく時間を持て余していたので、ぱそぱそしてました。そこで見つけてしまったニュース。

なんか沢山のブログとかあちこちでネタになっとるようで。
コスタリカという国ではこんなアートがあるそうだ。

http://petloverstips.com/ForTheLoveoftheDog/news-updates/a-dead-dog-as-art-petition

コスタリカビエンナーレで展示された作品である。
あろうことかお犬様をこの展示中、一切、飯も水もやらず餓死する様を以て作品としたそうだ。うへぇ。

曰く

イベント開催者:ギジェルモヴァルガス

このギジェルモヴァルガス氏は今回のアートに関して次の様に述べています。

私は、犬が食物がないために次の日に死ぬということを知っていました。
就任の間、私は犬がマナグアの地区でアルミニウムとボール紙の家の間で夜にしいたげられるということを知っていました。
犬を捕らえるのを手伝った5人の子供たちは、10の債券を彼らの援助で受けました。
展示の間に、一部の人々は小さな犬の自由を要請しました。
そして、それをアーティストは拒否しました。
犬の名前はNatividadでした。
コスタリカマナグアの地区には多数の犬が路上で餓死や怪我、病気で死んでいます。
何万との野良犬が路上で死んでいくのに対し、人々は無関心。
しかし、アートという形で注目されると目の前に居る、瀕死状態の犬に同情をする人間は偽善だ。
自然環境で犬は何万と死んでいる。
この犬は重病で食べる事は出来なかった。
彼らは全て可哀そうな犬達です。
遅かれ早かれ死んでいたのです。
(引用:ブログ捨て猫兄妹
http://ameblo.jp/mitsubaka/entry-10068985117.html

まぁ、捨てられて殺されたりする犬に注目しようよってのは、よくある主張だが、それをアート化するのに、この手法はどうよ?

これに憤ってる方は勿論、圧倒的に動物愛護精神で怒っているんだが、わたくし的には藝術家としてかような安直で能のない作品を「藝術」と呼びたくないことで怒っている。勿論、うちの島犬たちと、この万民の見ている前で見棄てられ餓死されたワンコがかぶるんで犬飼い主としても穏やかではないが、それ以上に藝術というものをなんでもあり的にしてしまう彼の手法がにくったらしいんである。

芸術とはもともと、「美」を扱うものであり、かつてはそれは神に帰するものであり、真、と、善、と、同一であり、それらは「理」の世界のものであった。美しきものは善きものなり。視覚芸術はそのよきものを顕すものでもあった。

マルセル・デュシャン以降、それら「美」の概念は変容し、やがて視覚芸術は必ずしも美の顕著化ではなく、思想の視覚化という方向性に行ったのだが、それゆえに正直なんでもあり的な崩壊が起きても不思議ではないのだが、しかし芸術というのが創造行為ゆえに、やはりかような安直な方法論はどうよ?などと思う。これではドストエフスキーの『罪と罰』のラスコリーニコフ並みの傲慢野郎でしかない。かようにそういう発想は既に近代で否定されとるんだ。馬鹿。

というわけで、まぁこの馬鹿作家が調子こかないように署名運動しとる人がいるらしい。

上記引用ブログにその詳細がでております。
一応URLを記しときます。
http://new.petitiononline.com/13031953/petition.html

げいじつ家の風上に置けないと思う人はどぞ。
あと、かつて坂東眞砂子女史を猫虐待などと叩いていた人々は署名するように。(命令)

もっと詳しい経緯を書いたブログ発見したのでご紹介しておきます。ご主人がキュレイターということもあり芸術のなんたるかを知ってる方のご意見なんで、参考になります。そしてまったく同意です。
○犬と猫の日
■犬が餓死するまでアートにする?
http://mydearest.lovedog.mods.jp/?eid=616565
http://mydearest.lovedog.mods.jp/?eid=616926
http://mydearest.lovedog.mods.jp/?eid=617318