『邂逅の森』他、熊谷達也 蝦夷の気概

先日、某作家の本が単行本化されるというので担当編集者と打ち合わせをした。その時、最近読んだのですごく面白い作家がいるという話をしたら、その編集者がなんとその作家、担当だったというので、まだ読んでない文庫を送ってくださった。有難いこっちゃ。そういうわけでしばらくこの作家の本を読んでいた。
作家の名前は熊谷達也
最近直木賞山本周五郎賞を取った『邂逅の森』が話題になったのだが、ガッコの同僚講師が「面白いぜ」というんで読んで嵌ったのである。

邂逅の森 (文春文庫)

邂逅の森 (文春文庫)

まぁ、よーするにマタギの男の一代記である。
東北の近代史である。
東北の山々は緑深く、その杜の恩恵で生きる人の記録なわけなのだが、深く豊かな自然は人を生かすが同時に人の命を小さくもする。その命のやり取りの物語でもあり、それが育んだ人の営み、東北という地の文化の記憶だ。

昨年、初夏に家の前の海でシュノーケルをしていて妹と共に溺れそうになったという恥ずかしい体験をしたわたくしであるが、常なら一人でも全然不安もなく泳いでいるにもかかわらず、体調不良と海水温がまだ低い時期に足もつかない深い海で、無理をした性もあり、息が上がってしまい、その性で一瞬パニックになってしまった。妹も同じように青い顔をしていて、なんとか励ましあって足のつくところまで泳ぎ帰ったのだが、同じ行程をその後、難なく泳いでいるのであの時のパニックはなんだったのか?と思わなくもない。とにかく自然とは接し方を間違えば容易く人の命を奪うものだということを身体で思い知った。そういう意味ではいい経験だった。
どう考えても後で笑われても仕方がないような情けない恐怖体験だったが、実のところ、時間を間違えれば潮目によって外海まで流され戻ってこれないとか色々ある。凶悪な海の生物もいたりするので要注意でもある。つまり海からきちんと学んでいないとすぐに死んでしまう羽目になる。それくらい大自然の前で人の命は脆いものである。

熊谷達也はこの『邂逅の森』だけではなく、短編集『山背郷』などでもそのような自然と人間との関係性を書き続けている。

作者の筆致はわりと淡々としている。だから好感が持てる。主人公自身がそんな性格で、作家自身がもしかしたらきっとそういう人なんだろう。ただ淡々としすぎて掘り下げてないかもしれない的な不満は残らなくもないが、この物語を書くにはこれぐらいな方がいいのかもしれない。でないときついかも。

この作品はシリーズで『相克の森』というのが集英社から出ている。こちらは現代の話であり、『邂逅の森』の伏線ともなっている。

相剋の森 (集英社文庫)

相剋の森 (集英社文庫)

こちらは主人公が女性であり、この作品の前に書かれた『漂泊の牙』の女性ともキャラがかぶるんだが、どうも熊谷達也はこういう勝気な女が好きらしいとのこと。ゆえに『邂逅の森』の女性像は新たな境地に達したんでは?と編集者が評しておりましたです。なるほど。個人的には『邂逅の森』の方が好きだが。

熊谷達也は東北出身で自らを育んできたこの地を中心に世界を見ていこうとする。ま、いうなれば東北ナショナリストというか。蝦夷と対立するヤマトという構造は森のシリーズでも失われたマタギ、あるいは狼や熊、そうした森の住人達の記憶を通じて書かれるが、彼の作品群ではそのものズバリの東北歴史モノがある。坂上田村麻呂によって平定され、処刑された蝦夷の英雄アテルイの物語を描いている。

まほろばの疾風 (集英社文庫)

まほろばの疾風 (集英社文庫)

これは東北史から見た日本史でもある。「ヤマト」は神の国東北の固有の伝統文化を破壊する侵略者として書かれている。こうした視点は『もののけ姫』などにもあり、また星野之宣の歴史伝奇漫画『ヤマタイカ』、あるいは手塚治虫の『火の鳥ー太陽編』などにも共通する。こういう地誌的な歴史から見るなら「日本」の伝統文化とは多様であり、統一されたものでもないわけで。島という辺境から見るならば、いわゆる世にいう「日本の伝統文化」は「ヤマトの伝統文化」という地方の文化でしかなくなる。「日本の伝統文化」とは実はもっと幅が広いものだ。渡来人の文化も含め、多様なものが渾然となって、実のところ固有と呼ぶには「外来文化」も「固有」の中に大量にあるわけで。こういう視点をもっておくってのは大切なことではあると思うんだが。ナショナルな人には特に持ってもらいたいなどと思ったりするのです。

にしてもこういう歴史モノ。中国歴史書なんぞ読んでるのとたいして変わらんようにも思えるんだが、あっちの国の規模はすごいんで。ただ本質はどこもこの手の戦記史に出て来る人々の営みってのはそう変らんかもです。

山背郷 (集英社文庫)

山背郷 (集英社文庫)

文中でも紹介した短編集だが、えらくよいのでお勧めである。
なんというか「静かな情景」である。他の作品へと発展していった根源がここにある。自然と前にした「死」と命の情景といいますか。個人的にかなり好みである。

ウエンカムイの爪 (集英社文庫)

ウエンカムイの爪 (集英社文庫)

新人賞をとった作品だそうで、なんとなく荒削りではあるかもでした。
正直、熊に殺される大学生がすごく馬鹿。という描写がこれまたお約束過ぎて。ここから『邂逅の森』までも作者の成長ぶりの方がすごいと思った。

漂泊の牙 (集英社文庫)

漂泊の牙 (集英社文庫)

上記作品の発展形。ミステリーになっているが、それなりにけっこう読ませるのである。幅が広い人だと改めて思う。

荒蝦夷 (集英社文庫)

荒蝦夷 (集英社文庫)

まほろばの疾風』の前編みたいな作品。アテルイの親父アザマロが主人公であるが、微妙にアテルイやアザマロの書き方が違ってるようなので比してもう一度読んでみないと違いがよく判らんとです。

まぁかなり読んだけんど、これからが楽しみな作家ですねぃ。