ローマの大学で教皇が嫌われた件について

昨日の続きね。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080119/1200727578

どうも、その後、イタリア事情に詳しい友人に聞いたら、この光景も微妙に違って見える。

イタリアというのは政教分離を謳いながら、その実全然そうでもない。
国公立大学に何故教皇が来るのかということと、キリスト教民主党との関係、つまり政治問題がかなり絡んでいるようだ。イタリアにおいてはカトリックは右より、つまり保守の立場の政治にかなり加担しているので、左派よりの人々からするなら目の上のたんこぶの親玉が教皇という按配ですな。

政教分離を標榜しながら、その実なってないという不満が一部の教授たちの根底にあるようで。

まぁ、よくある政治デモ、政治問題が、何故かガリレオ問題と絡むんでややこしくなってるが、実は案外単純な政治的な話かもしれない。

にしても、ローマも政治に色気がある聖職者どもが多いようだにょ。
右も左もうんざりである。

社会問題に敏感なのはいいんだが、信者は馬鹿なので啓蒙しなきゃいかんなどと思っているのか、党派政治色つよく、その実、中味のない発言するのはやめて欲しいよ。日本の場合はイタリアと違い、どーも聖職者に超軽な左というスタンスの人々が多く、しかもマジな共産主義ですらない、社会主義ですらない、「なんとなくひだり」な、ちょっと前の学校の優等生なのが多くてつまらないです。朝日新聞天声人語か社説みたいな説教聴いても寝るだけです。

すごい過激に左とか、すごく過激に右とかいうのがいたら面白いけど。
(某ナリー神父はその点では面白かったなぁ・・・)
でも、自分とこの主任司祭だとちょっと困るかも。

まぁ、もちょっと違うスタンス(よーするにカトリックという個性)で世界を語って欲しいななどと思う。しかし「カトリック」に対し勉強が足りなさそうである。神学を馬鹿にしすぎて、実学ばかりにかまけていると語るべき言葉がなくなってしまうんではないか。日本のカトリック教会はちょい前の時代の日本の偉大な神学者達をないがしろにしすぎていると友人が怒っていたが、その辺りがどうも弱い原因ではないだろうか。他者に語るには先ず持って内実を充実させないといけないと思う。

その点でうちの島の主任司祭は常に学んでいるのがすごいなと思う。あんなクソど田舎の辺境の島でも、現代の神学の本を取り寄せては読んでいてすごい。私のする馬鹿な質問にも色々答えてくださるのだが、その答えは明らかに深くて、広い神学の学びに裏付けられたものだと素人にもよく判る。尊敬してしまうのである。