今更ガリレオ裁判・教皇が反科学と猛反発されているらしい

eireneさんとこ経由で知った本日の教皇ベネディクト16世
○A Prisoner in the Cave
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20080119
■[思想]ベネディクト16世 vs ローマ大学の物理学者たち

以下がその記事

[ローマ大学サピエンツァ校でローマ教皇ベネディクト16世が講演を予定していたが、同大学の研究者と学生たちによる激しい抗議運動の結果、教皇庁は15日、講演を中止すると発表した。]

今回の抗議運動では、まず、60名以上にのぼる同大学の科学者が、学年度の始業式である1月17日(現地時間)にに予定されていたベネディクト16世の講演に対する抗議を行なった。

科学者グループは同大学に宛てた書簡の中で、教皇(当時はヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)が1990年にガリレオ裁判について述べた見解が――ひいては、科学についての見解も――、「われわれの感情を損ない、屈辱を与えた」と主張した。

ベネディクト16世の前任者、故ヨハネ・パウロ2世は、教皇としての任期中に、地球が太陽の周りを回っていると主張したガリレオに関して、ローマ教皇庁が有罪判決を下したのは誤りだった、と認める内容の声明を発表した(ただし、17世紀のローマ教皇庁による判断はその時代背景から理解できるものだったと説明し、教皇庁の下した判決を擁護もしていた)。

一方、英紙『The Times』の記事によると、現在の教皇ベネディクト16世は、当時ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿としてヨハネ・パウロ2世を補佐する立場にあったが、「ガリレオの時代、ローマカトリック教会ガリレオ自身よりもはるかに理性に忠実であり続けた。ガリレオに対する一連の措置は、理にかなった公正なものだった」と述べたという。

ベネチア出身の物理学者、Tommaso Dorigo氏は自身のブログでこの論争を追っている。同氏によると、イタリアの複数の政治家が、ローマ大学サピエンツァ校を批判する立場で論争に加わっている。

[このサイトが引用している教授たちの書簡によると、問題になった発言は元々、科学哲学者ポール・ファイヤアーベント(Paul Feyerabend)の発言。ファイヤアーベントは『Against Method』(邦訳『方法への挑戦』、新曜社)のなかで、ガリレオの地動説が流行したのは、「ラテン語でなくイタリア語で書いたからであり……古い思想とそれの学問基準に嫌気がさしている人々にアピールしたから」と述べ、「真理」をめぐる権力闘争的な面を指摘している。Timesの別記事によると、教会側を擁護する人々は、ガリレオが処罰されたのは、発言内容というよりはその姿勢に原因があり、「地動説を受け入れない人は人類の恥」「成長しない子ども」など過激な発言をガリレオが行なっていたせいだと述べているという。なお、教皇が今回予定していた講演の原稿はこちら(イタリア語を英語に翻訳したもの)。]

大学側は、教皇による講演が確実に行なわれるよう、大学構内に警察を配備することを計画したが、学生らは激しい抗議活動を展開した。[The Timesの記事によると、数百人の学生が学長事務所を占拠。学生たちは、教皇が「悪魔の所業」と呼ぶ大音響のロック音楽や、「反教会的な」ゲイやレズビアンのパレード、「知には父も聖職者も不要だ」というバナーなどで教皇を迎える計画だったという。]
http://wiredvision.jp/news/200801/2008011721.html

おお。嫌われとるなぁ。教皇シス。
イタリアは学生運動状態なようで。

マスメディアからは大変に嫌われている教皇であるが、当然リベラルな立場の欧州人からは嫌われている。イタリアでは更にテデスキ(ドイツ人)であることが嫌われる理由にほんのり入っている気もするが・・・。

この、教理庁時代の教皇発言については、教皇の言葉を読まないとさっぱりよく判らないのである。しかし本来、科学と宗教というのは場が違う。また歴史的な事柄を現代に当てはめて断罪するのも難しい。ただ科学の分野を永らく教会が支配してきた弊害というもの当然あっただろう。

しかし「信仰」と「理性」という問題は単純に科学VS宗教の問題でもない。単純構造で見るとこの記事は見誤るというか。そしてまたかつて教皇発言への批判に見られる事柄の多くは教皇の言葉をかなり単純化して貶めてしまっていることにあるので、この事例でも、他に「教皇ガリレオ裁判を容認した」とかいう誤解を受けるようなタイトルの記事があったが、まぁそういう単純な結論付けなどは一番馬鹿っぽい理解になるかもしれない。

ガリレオの裁判については三位一体などの教義などが関わる為にややこしいようだ。ガリレオが純粋に科学を論じていたのか、教義への批判となる要素についてどういう態度だったのか、いずれにしても純粋に教理を前提とするので教会世界においてはガリレオの説は受け入れがたかったのは当然なことだったかもしれない。しかし問題は当時の教会が科学のアカデミーを掌握し影響を与えていたことにあると思うので、まぁ、自立した学の世界の世俗の学者や学生達が「今更、教皇なんぞにナニか言われたくねーよ。けっ!」という気持ちはわからなくもないが、既に政教が分離した時代にあって、信仰と理性、また「倫理」という問題から、倫理を揺籃してきた伝統の「宗教」をことさら頭ごなしに敵視する構造もどうなんだろう?などと思うのであったりして。そういうのもまた理性的な態度とはいえないだろう。「講演するな」というよりは大学にのこのことやってきた教皇相手に、講演内容に対し、論争しかけるぐらいしてもらいたいもんである。

で、教皇が講演取りやめた理由については、どうもそれ以外の最後に書かれた理由も要因というか、治安の問題にすぎないのですかね?「議論の場が欲しい」とかいうのが取りやめになったというなら、そりゃないよねとは思うけど。

ところで始業式に教皇がやってくる大学って・・・。カトリック教会経営かなんかなのでしょうか?カトリック教会が経営している大学で文句たれてるなら、そりゃ文句言うほうが一番馬鹿みたいだが。そうでない大学に教皇が出かけてくってのはどういう状態なんだろうか?


にしても「ロックの大音声」が悪魔だとか、別な意味で騒音公害な電車の中のロック野郎は悪魔だとは思うけれど、ロックそのものの性質は多様化しているし、昨今のは反体制を気取る馬鹿の音楽とは限らないしな。そういうのは60年代ロックだろうなぁ。最近の老成したロッカー達は「平和〜」とか「地球がどうたら〜」とかやっていて、かつての反体制的なロック野郎と違い、倫理的に素直なのはいいのだが、どうも姿勢としては情けないことこのうえないのも多いかもですよ。あのトンでもな捕鯨ゲリラの方がロックだ。ロックというのはそういう存在だったがゆえに悪魔といわれても仕方がないが、寧ろ悪魔であることを威張ってもいいと思う。デーモン閣下を見習え。・・・・というわけで、ロック野郎が教皇を敵視するのは当然である。