佐世保銃乱射事件における物語

教会でへろへろと仕事をしている間にこげな事件が↓

▼乱射の容疑者、自殺 佐世保 被害男性と元同級生
http://www.asahi.com/national/update/1215/TKY200712150005.html
長崎県佐世保市名切町のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で14日夜、男が銃を乱射し、従業員や利用者ら8人が死傷した事件で、県警は15日、男を同市船越町、無職馬込政義容疑者(37)と特定した。馬込容疑者は同日早朝、自宅近くの教会敷地で死亡しているのを発見された。自殺したとみられる。一方、馬込容疑者は事件前、殺害された藤本勇司さん(36)ら友人数人をスポーツクラブに誘い出していたことも関係者の話で判明した。県警は、馬込容疑者と藤本さんの間で何らかのトラブルがあった可能性もあるとみて慎重に捜査している。

一昨日、教会の賄いさんと夜ご飯食べながらテレビを見ていたら、佐世保でナニか事件があったというニュースが流れていた。こんなすごい事件であったとはその時はまだ解らずなんとなく流していた。
翌日、家に帰ってきて事件の全貌を知ったのだが、痛ましい事件である。

その後あちこちのブログや掲示板で言及されたりしているのを読んでいて気づいたのだが、事件を読む側の価値所在によって、この事件の関心事が様々に見られるのが興味深い。

たとえば、テレビなどで鳥越なんちゃらが、まだ事件の全貌があきらかでないときに、軍関係か??などと憶測していた。鳥越なんちゃら氏はどうも米軍反対な思想なのか、佐世保=駐留軍がすぐ思いついたらしい。

ヒッキーなどが多いネットでは、犯人がどうも銃ヲタ。コミュニケーションできない不安定にあったという情報から、ヒッキーの犯罪か・・_| ̄|○的な反応がけっこうあった。

先日の銃暴発事件を受けて、銃規制の方向を論じているものも多い。これはその後のマスメディアの報道などに多く見られる。

キリスト教関連のコミュやブログなどのカキコには、「教会で死んだ」という事象から
犯人の信仰心について取り沙汰しているものが多く見られる。長崎という「隠れキリシタンの歴史」という土地について考えている所もある。

ミクシのギョーカイコミュではカトリック嫌いの客ががほれ見たことか。カトリックはカルトだ。などと煽りにきていたが、カトリックな人々はこの事件でやはり犯人の信仰心について、救いの問題などあれこれ取り沙汰していた。
finalventさんとことかでもちらりと触れておられた↓
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20071216/1197760928
finelventさんは信仰に距離を置いたところがあるので格別この事件を宗教的なものとして捉えておられないのだが、長崎や佐世保という土地の持つレジェンダ(伝統)の中にナニか根があるのかもしれないと、コメント欄で語っておられる。ちょっとなるほどなぁと思った。

正直、わたくしは「佐世保」という土地だと聞いて、先ずはじめに、村上龍の「半島を出よ」を連想してしまった。社会的な不適合者たち、ほっておけば大量殺人を起しかねないアウトローたちが日本の危機を救うというあの小説。村上龍自身が佐世保の出身者だったなと思い出した。「教会で死んだ」という事象からは、「うへぇ、おっかねぁづら」以外の感想がなかった。というのも、まぁ先日教会に泊り込んで仕事させられたからだ。

クリスチャン達がなにやら犯人の精神の遍歴というか、小説的な興味が生じるってのは解らなくもない。しかしそれはやはり当の本人の信仰への興味の投影にしか他ならなく、それは他の人々の捉え方の差異等と同列で、今もっとも興味深い事象と結び付けてしまうという、事件解釈の一つに過ぎない。

だから、なにかある事件を聞いて思い起こす反応に自分が一番気がかりなことってのがあぶりだされてくるんだろうな。村上龍の本を思いだしたわたくしは、どーも最近見たこと、聞いたことがフィードバックされるだけの単純人間だったというわけだな。