父は何故ボケたのだろうか?

先日、母のアトリエで数年前、島に越して間もない頃の写真が出てきて眺めていた。そこにはしばらく私の家でごろごろしていた父の姿があった。写真の父は島の我が家を尋ねてきたかつての部下と談笑していた。今の父からは想像できない豊かな笑顔だった。

島に越したのはほんの四、五年前。我が家で海を眺め悦にいっていた父は、私が夜中に用意した朝ごはんのおかずを冷蔵庫から取り出し、牛乳をレンジで温め、パンを焼き、寝坊な私など無視して一人で食事をしていた。カナの散歩の時間には一人で浜辺を回り、ついでに近所のホテルで茶をして帰ってきたり、街中にぶらりと出かけ、文藝春秋や、週刊新潮週刊文春を買ってきては、部屋でくつろぎ読んでいた。或いは図書館で島の民俗誌を借りてきて読んでいた。島の民話は私よりも詳しかった。

しかし、現在の父は、歯磨きも一人で出来ず、字も書けず、家人が留守を頼むと、そのあとを追って寝巻き姿で街中を彷徨い出たり、無表情にただただテレビを眺め、そして階段から落ち、路上で転び、いわれるがままに動くロボットのようでもあり、そこにただ咲く植物のようでもあり、まぁ所謂、ボケ老人だ。

たった数年で、父の生活機能は停止していった。
人間が生きて普通に生き、活動しようとする、その肉体、或いは脳のメカニズムとはなんだろうか?と不思議である。足が思うように動かず、脳は何かを思い出そうにも働かず、目に見えず、音に聞こえず、感覚器官は正常であるはずなのに、機能していない。
脳病院(脳神経外科)の専門医の分析では、アルツハイマーではなく、慢性的な脳梗塞が起きていた結果、脳の多くの細胞が死滅し、そしてそれに伴うパーキンソンの症状も出はじめているとのこと。
観察していて気付いたのだが、おそらく、外界のことはある程度認識はしているがアウトプットがうまくいってないように思える。

父がかような様態になった理由をあれこれと考えてみたりする。

一つの理由は、永らく飲んでいた睡眠導入剤の性だろう。
父は大層律儀な性格で医者が処方した薬は処方どおりに飲む。何時からかなかなか寝付けないので睡眠導入剤を飲むようになった。癖になるといけないからと、母も私もほんとに必要なとき以外は飲むなといっても聞かない。隠すと延々さがす。そして処方どおりに飲む。しかも酒と一緒に飲むという最悪の飲み方である。
実は、この睡眠導入剤はほとんど効かなくなっていた。そしてある時看護婦さんに「睡眠導入剤の性で顔の表情がおかしくなっているわよ」と指摘されてやめた。やめた途端よく眠れるようになった。何のための薬だか。
その永らく飲み続けた睡眠導入剤。私がタマに飲むと記憶が途切れることがある。それ飲んでブログ書くととんでもないことを書いている。そんな強烈な薬なわけだから、脳の神経の一つや二つおかしくなっても不思議ではない。ましてや酒と共に飲んでたって按配なので、父のニューロンは相当死滅しただろうと思う。とほほである。

もう一つの理由は、鬱が入っていた性かもしれない。
昭和一桁の、典型的な高度経済成長時代を駆け抜けた親父は、仕事人間で、趣味仕事、家のことはナニも出来ない、家父長制の申し子であった。
父の専門は土木である。そしてマスメディアに叩かれていた道路公団に勤めていた。父が勤めたはじめの仕事は名神東名高速道路の建設だった。幾つかの高速道路を手がけ、更に本四架橋のプロジェクトに関わり、公団を自主的に辞めてのち、ゼネコンに入り、今度はレインボーブリッジ、そして海ほたるのアクアライン建設などに関わっていた。
父は自分の仕事が日本を豊かにすると信じていた。地方を豊かにし、多くの人の雇用を生み出し、そして産業が発展するだろうと、純粋に信じ、それを誇りに思い、それ以上の名誉も、地位も、金銭への欲もなく、大きな仕事の歯車の一部である無名の自分というものを誇りとしていたのだが、社会の変容がその誇りを奪ってしまった。

小泉内閣構造改革道路公団を目の敵にする世間の風潮を生み出した。メディアによって連日、父が過去やった仕事が叩かれていく。何時しか父はテレビを見なくなった。猪瀬の文が出ている文春を怖いもの見たさで読んでは怒っていた。父のあとを継いで公団に入った兄は、これらの変革は当然必要なものだろうと平然としていた。父たちの世代がやってきたことは現代では通用しないと。しかし、父はそんな風に割り切ることは出来なかった。
やがて父は仕事に対する情熱を失っていった。
そしてほとんど家にいるようになった。

昭和一桁の男から仕事を取ったら何もない。家の中のことはなにひとつ知らず、なにも出来ない。簡単なことは覚えるが、それ以上のことは出来ず、そして膨大な時間を持て余す。
このような状況で鬱にならないほうがおかしい。
もともと寡黙で、一人でぼっとしているのが好きだったので、解りづらかった。それでも父の気を立てようとするあれこれも、結局、付け焼刃でしかない。根本の落ち込みの種を取り除くことは出来ない。社会の変容は歴史の必然であり、それを受け入れるしかないのだが、父はそれが出来ないというだけなのだろうから。

社会でも家でも父はいる場所がなかったのかもしれない。
そして数年かけて、自分という殻の中に引き篭もってしまった。緩慢な自死にも等しい。

そんな父を見ていると、寂しくなる。
どうにも出来ない故に無力を感じるのだが、それでも日常はやってきて過ぎていくわけで。それに慣れて行くしかない。

今日、天気がよかったので、父と母と、我が家の島犬たちと散歩に出かけた。ユニクロで父の服を大量に買い、帰りにイタ飯屋によって昼にした。典型的な家族の日曜日というものを過ごしてみた。というかほとんど初めてじゃないか?こんな過ごし方したのは?
それは大層平和な一日だった。
あとどれぐらいそういう時間が持てるのか判らないけど、まぁこんな平和な一日を沢山過ごしてみたいねなどと思っていたりしますよ。
主の平和。