『山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年』大塚信一 山口昌男山登攀

文化人類学山口昌男に出会ったのは何時頃かは忘れた。
画廊オーナーであり、恩人でもあり、友人でもあるTさんに紹介されたのがきっかけである。
なんせ、美術人間であるわたくしは世のアカデミズム世界など知らない。人文世界などトンと無縁であるが故に、「山口昌男」という人がどんな人か全然知らなかった。一度見たら忘れられない風貌の、一澤帆布のバッグに買いあさった挙句の古本を大量に入れて持ち歩いているオヤジ以上のイメージしかなかった。話しだすとなんだか止まらなくなり、話の筋は脱線しまくり、イラチなわたくしはつい先を促すのでよく怒られた。世界のあちこちを歩き回り本を買いまくり読み漁っている、この変なおじさんの話は面白く、縦横無尽に知の世界を彷徨っているようで、飽きることがなかった。でもそんなに偉い人だとは実は知らなかったのである。
皆が集まっている席にやってくる、編集者の対応で、なんだか偉い人らしい的な空気はあった。しかし無知杉というか、世の中舐めているわたくし的には、アンテナが広く漫画の巧い面白いおっさんという認識しかなかったので正直すまんかったと、今になって思うのである。

その山口氏は数年前、脳梗塞で倒れた。
それ以前から、足元がおぼつかなく、歩みが遅くなっていて、あんなに大量の本を常に持ち歩くからだよ。とは思っていたのだけど。或いは飛行機の中で少々酒をきこしめして、パリの空港で車椅子で運ばれる羽目になったとか、いろいろ体壊しの兆候はあったのだけど、それでも脳梗塞の報は「おじさんの危機」とばかりに驚いた。なんせ札幌大学の学長に就任し、これからなにやらあやしからんことをやるぞと、野望に萌え萌えだった時期でもあったので、師の心中察してあまりあるぞと、心配したのではある。
しかし脳梗塞で言葉が不明瞭になろうが、歩けなくなっていようが、脳内活動は衰えを知らず、なんだか未だにあれこれとなさっているようだ。島に行ってしまってからはなかなか会う機会もなく、どうしておられるかな?と

そんな折、こげな本が出た↓

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

岩波の編集者であり社長も勤めた大塚氏に送った山口の書簡から、大塚が接して知っている山口昌男という人の半生を書き出そうという試みである。その多岐、或いは広範な山口の脳内興味のラビリンスを、時間推移で追っていく作業とも言える。
なんというか、「山口先生が総括されちゃったみたいでちょいと複雑・・」と思いつつ書店で手に取った。何故か青葉台の本屋で「思想」ではなく「世界史」のコーナーにあったんだが、なんでだろうか????

ざざっと読んだ。山口の手紙は、そのまんま生山口的で苦笑。
興味はあちらこちらに飛び、口は少々悪く、僕ちゃんこんなにすごいじょ感覚も炸裂し、しかしその行動たるや思い立ったが吉日で、どんな地の果てまでも興味があるならば突き進む。余人には真似できない。変なものに出会えば狂喜乱舞している。彼の永遠のテーマである「道化」的ななにかが彼のスタンスでもあり、生山口氏は常に変なことを見つけ喜び愉しんでいる。こと自分を道化に見立てた話は心底楽しそうに語る。書簡にもそんな空気がある

師にとって世の全てが等価に価値があり、演劇だろうが音楽だろうが美術だろうが、民俗学だろうが、思想世界だろうが、偉い人だろうが、へんてこな出会った人だろうが、その時出会った時代的な何かも、長い伝統も、日常のナニかも、特別なものも、全てが文化人類学的な対象でしかないようで。しかしその範囲広すぎで、山口氏の著作なんぞをよんでもその膨大な知識に拠った記述についていけず、積読になってしまうことが多かった。(まぁ、ことにわたくしの場合は基礎教養ないんで、その状態で山口昌男の著作を読もうということがそもそも間違っているかもしれない)。
正直、山口氏が不遇だったとか、すごく流行して引っ張りだこだったとか知らないんだが、「周縁」をテーマにしてきた山口の成果はかつてのアカデミズムには受けが悪かったようだ。道化を自認する山口自身そんな世界が嫌いだったようではあるが、それでも80年代に山口の時代が来たようで、やがて様々なメディアの寵児となるに及び、大塚は逆に疎遠になって行ったという。それは山口の仕事が「周縁」をテーマにしていたがゆえに、周縁に生きる道化としての山口が「中心」となっていくそれ自体を大塚が受け止めることができなかったという彼自身の内面の問題ではあったようだ。
その辺りはまぁいかにも岩波の編集者だなぁという印象。
山口自身はなんらスタンスは変わっていないと思う。ただ周りがそのように変化したに過ぎない。少なくとも書簡に書かれた山口節の勢いを読む限り、今も昔もまったくそのスタンスも視点も変わっていないと思う。
他者への評価というのの流動性というのはなんだろうね?とまぁ思った次第。

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大塚の書は、改めて積読になっていた山口の本を読んでみようかという気を起こさせてくれた。
しかし山口昌男という山脈は登攀するにはすこぶる厳しい。無教養を誇る私に説明もなしに古今東西の叡智を無造作に散りばめてくれるもんなんで、ま、10ページも読み勧められなかったりするわけですよ。
ぼちぼち読んでいきますかね。